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「ハッピー・オブ・ジ・エンド」 ep.16&17(最終話)感想


愛する物語の終わり


 大好きだった 「ハッピー・オブ・ジ・エンド」が最終話を迎えた。
 2巻読了時に私が想像していたのとは、まったく違った形で。(3巻予想

「ハピエンにする」とおげれつ先生がおっしゃっていた通り、優しく暖かく、希望の持てるハッピー・エンドだった。
 何があっても揺らがない千紘と浩然の愛情が、切なくて美しかった。

 でも、なんだか胸の中にモヤモヤしたものが残り、1、2巻を読んだ時のように純粋に「感動した~!!」と思えなかった。

 私はおげれつ先生の絵も作品も、美しくて可愛らしい先生ご自身も大好きなので、作品を批判したいわけではないのだけれど、一人のファンとして率直な感想を述べたいと思う。

 注意:作品に関する否定的なことを一切読みたくないという方は、閲覧をお控えください。

転機となったep.15


 ep.15で二人が江ノ島に出かけたあたりから、物語の進む方向が私の期待とは大きくかけ離れ始めた。

 3巻予想で書いたように、私は、浩然の母がかつて住んでいて、テレビで映像を見た時に「浩然も一緒に帰れたらいいね」と言った場所=江ノ島を二人が旅するのは次の春、すっきりと晴れて暖かな日差しの下に二人はもっと幸せな気持ちでいるはずだと思っていた。

 おいしくしらす丼を食べて、道端の猫と遊んで、うきうき水族館デートをしながら、千紘が江ノ島の海を背景に浩然の写真を撮るのではないかと甘い妄想をしていた。

 だから、ep.15で、しらす丼を前にしても千紘は食べることすらできず、浩然は食後に吐いてしまい、水族館で一時的に気が晴れても、結局は迫りくる不安から逃れることはできず、二人で冷たい冬の海を眺めることになった時、私はとてもつらかった。
 海を見ながら、千紘は「カメラ買って、もっかいカメラマン目指す」と夢を語るけれど、浩然は千紘の幸せのためにすでに別れる覚悟をしている…。

 抱き合って夜を過ごした翌日、浩然が「自首して罪を償う」と言って、千紘と別れた時には、なんとなくこの先の展開が予想できた。

ep.16  感想

 
 江ノ島で浩然と別れた千紘は、一人でアパートの部屋に戻った。憔悴して、目の下に濃い隈ができている。

 浩然に有罪判決が下ったというニュースをパソコンで眺めながら、千紘は一人でコンビニのから揚げ弁当を食べている。
 思い出すのは、別れ際で涙を溜めた浩然の瞳。
「もう忘れろ」と言われても、忘れられるわけがない。

 床には未開封のパスタと8割ほど総菜の入った容器が置いたままになっていて、千紘が浩然の分も食料を買ったのだとわかる。

 千紘はコンビニに出かけ、お弁当を二人分買おうとするが手持ちの現金が足りず、おそらく浩然の分を返す。
 弁当が入った袋を手に提げてとぼとぼと歩く千紘。

 忘れるって、どうやって? どうすりゃ忘れられんだよ。

 浩然を失って、千紘は喪失感に苦しんでいる。

 アパートのソファで千紘が寝転がっていると、マツキが加治を連れて入ってきた。

 マツキは千紘のために新しい部屋を用意してくれたのだ。加治は引っ越しを手伝うため、マツキに「日雇いバイト」として雇われた。

 ep.12で浩然がマツキにした「頼み事」がここで明らかになる。
 自分に何かあった時のために、金も生活力もない千紘が困らないよう、新しい部屋と家賃3か月分の費用をマツキに預けていたのだった。
 
 千紘が少ない荷物とともにベランダの鉢植えを持って行こうとすると、土の中から小さな芽が出ていた。
 浩然を失った千紘に微かな希望を与えるかのように。

 引っ越しを手伝った後、加治は千紘にインスタントカメラをプレゼントする。
 浩然がいなくなって千紘がどんなにつらいか言わなくてもわかってくれる加治は、「たまには外出て気晴らしにさ! 行こうぜ!」と千紘を精一杯慰めようとしてくれる。

 もらったカメラを持って加治とともに街に出た千紘だったが、どうしてもレンズの向こうに浩然の姿を探してしまう。

「どう? 撮れた?」と加治に聞かれて、千紘は「あいつがいたらなぁ」と本音を漏らす。

「見た目良いから画になる。どんな汚ねぇとこにいても、アイツが居れば華やかなんだ」
 ≪どんな場所でも、どんな姿でもいい。また会えるなら、なんでもいいのに≫

 千紘は大粒の涙を流して泣き出す。
「やっぱ、もいっかい撮りてぇよ」

「生きてりゃそのうち撮れるよ」と加治が号泣する千紘の頭をそっと撫でてくれる。

 浩然と別れて悲しむ千紘を、加治ならば支えてくれるだろうと思っていたので、期待通りだった。
 ただ、私はこの場面で千紘の「見た目良いから」という言葉が気になった。
 素直に「きれいだから」の方が、良かったと思う。
「見た目いい」っていうと、まるで浩然の外見だけがいいみたいに聞こえる。

「華やかなんだ」も少し違和感があった。
 確かに浩然は華がある美人だけど、「会いたい」と千紘が願うのは浩然を愛しているからであって、「華やか」という表現は千紘が抱く素朴でまっすぐな愛情にはそぐわないような気がした。

 ep.16では浩然と別れた後の千紘の心情とマツキや加治の行動が、「たぶんこうなるだろう」と思っていた通りに描かれていたため、私はep.17と併せて感想を書くことにした。

 ep.17が発売される直前にこれで「完結」だと知り、とても驚いた。
 まだ描かれていないことがたくさんあるはずなのに、果たしてあと1話で収まるのだろうか…?

ep. 17(最終話) 感想


 ひとつのメロンソーダを二人で飲む表紙の千紘と浩然はとても可愛い。
 ep.17は最終話だから普段より一層おげれつ先生の気合が入っていたのか、全体的に作画が美しかった。

 冒頭は、踏切の前に立ったマヤの姿。
 落ちくぼんだ瞳にこけた頬、かなりやつれた様子で、末期の薬物中毒患者と言った風貌だ。
 電車が近づき、カンカンと警報が鳴る。
 マヤは後ろのポケットに紙切れを押し込み、迷いなく遮断棒を乗り越えた。
 初めは踏切の向こうに幻覚でも見えたのかと思ったが、自殺だった。

 桜の花びらが舞い散る中、刑期を終えた男がお辞儀をして拘置所を後にする。
 短い髪、こけた頬、瞳が描かれていなくても浩然だとわかる。

 季節は春。
 千紘の机の上には美しく花を咲かせたパンジーの鉢植えが置いてある。

 ジュエリートレイにはチェーンのついていないハートのペンダントが乗っている。
 おそらくまたチェーンが切れて、そのままになっているのだろう。

 浩然がくれたペンダントを大切に持っていることで、千紘がまだ浩然に想いを残しているとわかる。

 千紘は「あれから必死に働いてカメラを買い、色んな業界に売り込んで、どんな仕事でも断らずどこにでも駆けつけてたらちょっとずつ仕事も増えて」、今ではカメラマンとして生計を立てている。

 SNSから仕事の依頼が来るため、インスタにキラキラした写真も載せている。
 加治と食事をしながら千紘は、

「(浩然のこと)忘れる必要ねぇなって思ったからいいんだよ! まだ全然好きだし」

と変わらない想いを口にする。

 加治は、薬で入退院を繰り返していたマヤが線路に飛び込んで自殺したことを話す。
 マヤは母宛てに何か遺書らしいものを書いていたが、実際は孤児で母親がいない上に、幼稚園児みたいな字で読めたものではなかったらしい。
 やはり薬の影響で妄想や幻聴などから抜け出せなかったのだろうか。

 マヤについてはこれで終わりで、浩然に刺された後の心情が描かれることはない。
 もう少し、マヤと浩然の間の心理的な葛藤が描かれるのではないかと思っていたので、少し残念だった。

 結局、マヤと浩然は、薬物中毒で金のために浩然を利用していた加害者と、他に行き場がなくて逃げられないからいいように売春させられた被害者という関係でしかなかったのだろうか。

 出所した後、浩然は工事現場で肉体労働をしている。
 短い髪で作業服を着ていると、まるで別人のようだ。
 以前とは全く違う暮らしを送りながら、浩然もまた、千紘のことが忘れられない。

 ≪千紘は今、どうしているんだろう、と いつも考えてしまう≫

 離れていても、相手のことを想い合う二人…。
 二人が再会することは想定の範囲内だ。どのように再会するかが物語にとって重要なポイントだと思った。
 
 冬になって雪が降る中、浩然は、職場で「仲良くしてください!」と話しかけてきた安本と並んで歩いている。
「ハオレンさんは、彼女いました?」と尋ねられ、浩然は「……俺ももう会えない」と答える。

 千紘と再会することを諦めている浩然だが、≪ひとつだけ、どうしても知りたい≫と思っていることがあった。

≪夢は叶った?≫

 安本は浩然を漫画喫茶に連れて行き、そこで元カノのインスタを見る。
 パソコン画面の中に「ウェディングフォトは柏木千紘……撮って貰いました」という文章を見つけ、浩然は動揺する。

 安本が食べ物を取りに行っている間に、浩然は震える手でマウスを握り、千紘のインスタに移動する。そこにはずっと会いたかった千紘の日常があった。

 千紘と過ごした思い出が蘇り、浩然の瞳から大粒の涙がこぼれる。
 黒い瞳には小さな光が射している。

 脳裏に浮かぶのは、不忍池のボートに乗って、浩然が「死にたい」と千紘の胸にしがみつき、二人して線路に横たわったあの朝(1巻ep.6)。

≪あの時、こんな楽しいならもう死にたいと思った。これで終わりにできたら俺の人生良いもんだったよなぁって、心からそう思ったんだ≫

≪けど今はさ、思わないよ、死にたいとか。もうそばに居られなくても、どこかで同じように生きてるんだって。それだけでいい≫

≪千紘は新しい人生を歩んでいる。俺が邪魔しちゃダメだ≫。


 私は、あの時浩然は母を失って生きる希望を見いだせなくなり、深い絶望の闇の中で最後に千紘と楽しい時間を過ごせたから、「もうこれでいい、死にたい」と思ったのだと考えている。

「これ以上生きたって幸せになれる気がしない」と。

 でも、結局、浩然は千紘を引きずって線路から抜け出して、「お前なんかがいるから、俺、もしかしたら、このまま生きて幸せになれるかもって、期待させられる」と涙した。

 自分が死にたがる理由も聞かず、「俺も寝ようかな」と線路に寝転んで浩然の魂に優しく寄り添ってくれた千紘と出会ったから、浩然には生きる希望が生まれた。

 千紘は「俺の……俺のせいでいい。いいから……一緒にいてよ」と言った。

 今、浩然は千紘の側に居られなくても、死にたいとは思わなくなっている。
 どこかで千紘が同じように生きていればそれだけでいいと、それを支えに生きていけると思うようになったのだ。

 その日から、浩然は時々スマホで千紘のインスタを覗いてしまう。

≪これがネトスト(ネットストーカー)…≫、「俺は馬鹿か」 と自嘲しながらも、見るのをやめられない。

 インスタで千紘がグループ展に参加することを知った浩然は、

 千紘はあの日から どんな写真を撮ってきたんだろう、どんなものを見てきたのだろうか

 千紘の写真を見たいと思ったのだった。

 浩然は千紘の個展に行くために、黒いハイネックと細身のパンツ、ジャケット(コート?)を着て出かける。
 千紘に出会った頃と同じ、スタイリッシュで美しい、私たち読者が大好きな浩然だ。

 緊張しながらグループ展が開催されているカフェの扉を開ける。
 入ってすぐ、いぬえもん(おげれつ先生のアイコンであるくまえもんの犬バージョン?)のオブジェが飾られており、それを見た浩然は「ええ…、なんかよくわかんねーな」とゾッとする。

 これはおげれつ先生のお遊びで、2022年8月に銀座で開催されたおげれつ先生の個展でも会場に続く階段の踊り場にくまえもんが飾ってあったことを思い出した。

 浩然は千紘が撮った写真を幸せそうに見て回る。

≪こんな景色を見てきたのか≫

「綺麗だな」と素直に感じているのがわかる。
 最後の一枚の写真の前で、突然浩然の足が止まる。

 それは浩然の部屋に千紘が同居していた頃、公園で撮ったたった一枚の浩然の写真だった。
 千紘がシャッターを切った瞬間、鳩が飛び、浩然の笑顔に重なっている。

 浩然の瞳に光が灯り、胸の内に抑えていた本音が溢れ出す。
 

≪会いたい。千紘とまた、一緒にいたい。本当はずっと≫


 ≪ずっとこのままで(千紘と一緒に)いさせてください≫

 それが、千紘と二人で過ごした正月に初詣で浩然が祈ったことだった。(2巻ep.12)
 私は、この時浩然が真っ黒な瞳のまま静かに泣いていたので、何を願っていいかわからないという自分の中の虚無を見つめていたのかと考えていたが、違ったようだ。
 
 浩然が千紘と過ごした日々をどれほど大切に想っていたかがはっきりわかって胸に迫る。

 浩然はカフェに戻り、グループ展の主催者に千紘に会いたいと伝える。
 この日は残念ながら千紘は在廊していなかった。
 浩然の後姿しか描かれていないが、まつ毛が濡れているから泣いているのだとわかる。

 一眼レフを首から下げ、公園のベンチで一服していた千紘のもとに、グループ展の主催者から「会いたいっていう人が来てたよ~」と連絡が入る。心辺りがない千紘は不思議に思う。

 この公園は、ep.2に出てきた所とは周囲の背景や足元のタイルの形が違うのでおそらく別の場所だ。

 鳩を追いかける子供の姿を見て、カメラを構える千紘。
 その前に立つ浩然。
 逆光になり、顔は見えないが、頬を伝う涙が光っている。
 目に涙を浮かべて微笑みながら千紘がシャッターを切る場面で、物語は終わる。

 優しいハッピーエンドだ。
 この先の二人をあれこれ想像する余白や希望もある。

 こんな美しい終わりに、何が不満なのかと自分でも不思議だが、この物語を愛するあまり、一人で勝手に満足のハードルを上げ過ぎてしまったのかもしれない。

 マヤが自殺すること以外、物語の展開がep.15のラストの時点で想像した通りになってしまってあまり意外性がなかった。

 一人になった千紘をマツキや加治が助けるだろうこと(何なら、マツキは出所した浩然を援助するかもと思っていた)、クズのヒモだった千紘が改心してカメラマンになること、二人が何らかの形で再会し、ともに生きるであろうこと……。

 ep.17のハイライト、千紘が昔撮影した写真を浩然が見て胸を打たれる場面ですら、私は吉田秋生先生の「BANANA FISH」番外編、「光の庭」を思い出してしまって、既視感が凄かった。

 もちろんストーリーは全然違うし、アッシュは浩然のように自分の写真を見ることはなかったわけだけど、≪もう会うことのできない、誰よりも大切な人の写真を、カメラマンである主人公が個展の最後に飾る≫というシチュエーションがどうしても重なってしまった。

 私は感動で打ちのめされたかったのだと思う。
「ハッピー・オブ・ジ・エンド」の1巻、2巻がそうであったように、まったく見たことのない、予想外の展開を期待していた。
 あまりの衝撃で溢れ出す感情の収集がつかなくなるくらい、物語に振り回されたかった。
 
 私は、1巻で浩然が千紘にビールをぶっかけたシーン(ep.4)と、線路に横たわる浩然の隣で、何も言わずただ寄り添って一緒に死のうした千紘(ep.6)を見て、今までたくさんの小説、漫画、映画、アニメを通ってきたけれど、「こんなの初めて!!」と感激し、「こんなにも素晴らしいBLがある世界に生きていて良かった!」と心底思った。

 2巻では、あまりにも痛々しい浩然の体の傷に驚愕し、傷だらけの浩然を千紘が黙って抱き締めた場面(ep.7)で、「これがありのままの相手を受け入れ、愛するということなのか!」と涙を流した。

 3巻に相当するep.13~17では、これまでのように魂を揺さぶられるほどの感動を味わえなかったのが、私のもやもやの一つだと思う。

 もう一つは、物語にいくつか残された謎が最後まで明らかにならず、釈然としない部分があることだ。
 おげれつ先生は驚くほど詳細に設定を決めていらっしゃるはずなので、ストーリーに入りきらなかった内容がかなりあるのではないだろうか。
 
 2巻ep.9の冒頭、≪傍から見たら同じ絵≫で始まるモノローグは誰のものなのか、私はずっと気になっていたが、結局わからずじまいだった。

 この回で浩然が「絵なんか描いたことねぇよ」と言っているから、やはり千紘?
 本物と偽物の違いを「決定的」だと感じているこの人物は誰なのか、そしてこのモノローグは物語にどういう意味を持っているのか。

 ep.15で 浩然が見た学校の夢が表すものは何だったのだろうか。
 私は、「浩然が味わえなかった『普通』の生活への憧れ」あるいは「千紘とは同じ世界にいられないという浩然の自覚の表れ」と解釈したが、それでよかったのかどうか、答え合わせはできなかった。

 無論、推理小説ではないのだからすべての謎が解き明かされなくてもいいわけだが、どうしても引っかかってしまう。

 3巻(ep.13-17)各話の表紙に毎回椅子が描かれていたことも、なぜだったのか、どんな意味があったのか気になっている。

 ep.13 広いソファにポツンと一人で座る千紘。なんだか寂しい。
 ep.14 浩然が実際には一度も座ることのなかった学校の教室の椅子(机も描かれている)に腰かけている。違和感があって不思議。
 ep.15 幼い浩然がロッキングチェアに座って眠っている。安心した、穏かな表情で可愛い。
 ep.16 加治がゲーミングチェアに座って煙草を咥えている。日常的で実際にありそうな光景。
 ep.17 誰も座っていない子供用の椅子。あるべきものがない感じがして、ちょっと怖く感じた。

 こうして並べてみても、共通点を見いだせず不思議な気持ちになる。
 特にep.17の表紙は「最終回がこれ?」と一番謎だった。

 2巻の各話の表紙は、おげれつ先生が取材された新宿の風景が背景になっていて、素直に素敵だなと感じたのだが…。

 あと、願わくば、パンジーの花が咲く瞬間を千紘と浩然の二人で眺めて欲しかった。
「咲いた!」と喜ぶ千紘の姿が見たかった。
 花言葉が「純愛」だから、きっと青いパンジーだろうと予想していたが、最終話の鉢植えを見るといろんな色が混ざっていそうだった。

 2023年10月17日に3巻が発売されることを先ほど知った。
 3巻の描き下ろしはたぶん、その後の二人のラブラブ(きっとエロ)だと期待している。

 これほど愛する作品の感想の最後に、なぜ素直に「最高でした!!」と書かない(書けない)のか自分でも呆れるが、仕方ない。
 きっとこれも、「ハッピー・オブ・ジ・エンド」を愛するがゆえの迷妄なのだ。
 3巻分は単行本が待ちきれず、一話一話リアルタイムで追いかけていたので、改めて一気に読み返すと今とは違う感想を抱くのかもしれない。

 ともあれ、「ハッピー・オブ・ジ・エンド」が素晴らしい作品で、千紘と浩然が最高に可愛いという気持ちは変わらない。
 大好きな作品が無事完結したことを、幸せに思う。  

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