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2024年は、京都を味わい尽くす

あけましておめでとうございます。

年明けから、胸を痛める出来事が立て続けに起こり、まだどこか落ち着かない感覚を抱えております。

北陸に親族などはいないのですが、石川の特に能登地方、富山、新潟にはここ1〜2年の間に何度か旅行で訪れていて、足を運んだ場所や知る地名の様子がTVやネットニュースから目に飛び込んでくる毎日に、どこか他人事とは思えずに過ごしています。

被災された方々が、1日も早く、安心して穏やかに過ごせるようになり、前を向いて生きていける日が訪れることを、心からお祈りしています。

年末年始は京都にて

この年末年始は、夏の「祇園祭」以来2度目となりますが、両親を京都の自宅に招き、約1週間ほど一緒に過ごしておりました。

実家のある千葉ではなく京都で年越しをするのは、今年で4回目。数年前から家族の恒例行事となっています。

今回は初めてホテルではなく、自宅での年越し。
なんだか感慨深いなぁ。

両親の滞在中は、お茶(茶道)を始めた父のリクエストで茶道との関わりが深いと言われる大徳寺に行ったり、近所の智積院に「除夜の鐘」を聞きに行ったり(おけら詣りは、想定外の混雑で泣く泣く断念…涙)、元日は八坂神社に初詣に行ったり、辰年にちなんで「龍」の絵を建仁寺に拝みに行ったり。

大徳寺の瑞峯院にて枯山水を拝む
近所のクラフトビール屋さんで年忘れ
おけら詣りの行列(歩道の人は全部おけら詣り行列!)
雨がもはや「絵」になる京都(花見小路)
おけら詣り断念後のしょんぼり散歩
からの、人生初の「生」除夜の鐘(智積院)
元日は八坂神社で初詣
龍を拝みに建仁寺へ
こちらは双龍の天井図

後期高齢者に突入した両親と、滞在中は毎日どこかしらに出かけましたが、毎日、家に戻る頃にはヘトヘトになりながらも、1週間の京都滞在を楽しんでくれていたようです。

私も、京都の街に、両親との思い出を増やすことができて嬉しい。

改めて思うこと

自分自身が健康なこと、家族もみんな元気でいてくれること、愛おしいと思える存在がいること、仕事があること、家があること、食べたいものをいつでも食べられること、温かいお布団で眠れること。

この他にも、挙げればキリがないくらい、すでに沢山のものを与えられている「今」の環境。

これまでも上っ面ではこれらに感謝してる的なことを言葉にしてきていましたが、今思えば、何もわかってなかった。

「いつか手に入る」「いつか良い事が起きる」と未来にばかり期待をして、今をまるでリハーサルのような感覚で過ごしていたし、今は今で「これが足りない」「状況が悪い」と不足や不満ばかりに目を向けて過ごして。

京都と東京の2拠点生活でも、せっかく京都に住んでいるのに、気づけば河原町に出て東京と変わらない過ごし方をしたり、京都に住めていること自体への感謝も次第にしなくなってきて。

ちょうど、この秋頃から年末にかけて、「人生とは」的な、答えの出ない禅問答のような問いを投げては、グルグルと考えまくっていたところに、今回の能登の地震や航空機事故という出来事が重なり、「今」自分に与えられているものがどれだけ尊いものなのかを、やっと、本当の意味で気づくことができたような気がしています。

上に書いたような、「今」をぜんぜん生きられていなかったことにも気づくことができました。

2024年の抱負

前述のとおり、今の感覚としては「できてない」「足りてない」という不足、不安、不満起因での「何かスゴイ抱負」というよりは、改めて足元を見た上での「地に足のついた抱負」の方がしっくりくるので、2024年の抱負はこの2つ。

京都暮らし2年目となる2024年は、

『東京にしか住んでいなかった頃に「あー、京都行こ」と心動かされていた時の感覚を思い出し、住んでいるからこそできる、京都だからこそできること、を一つ一つ丁寧にトレースしていく』

『今を生きること』

の2つを抱負としました。

2つ目の抱負はビッグワード感がすごいですが、
きっとそんなにすごいことではなくて、至極シンプルなことなのでは、と思っています。

むしろ40年以上かけて、じっくり染み込ませてきた、これまでの思考を抜いていく作業の方が俄然大変そうだな。。

ちなみに。

2023年は冗談半分で『京都の通り名を覚える』を抱負としていたのですが、今思えば、どんだけ平和でお花畑だったんだ…!とw

我ながら、この1年でだいぶ成長したな、私!

2024年、楽しむぞー

おしまい。

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