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先天眼振のある日常

先天眼振の症状は個人差が大きい。ここに記したものは、あくまでも私の個人的体験による独断レポートであることを確認しておく。


「この子の目、揺れてる」

生後の3ヶ月検診を待つ病院の待合室、隣に座った方に指摘され、母は私の異常な眼の揺れ、つまり先天眼振にはじめて気づいた。まだ幼い頃、母に連れられ、大学病院の眼科などへ検査に通ったことをよく覚えている。

眼球は見た目では気づかないほど小さく揺れている。固視微動という。先天眼振の人は、眼球の揺れが見た目でわかるくらい異常に揺れている。しかも、いろいろな揺れ方がある。水平だったり、垂直だったり、回旋だったり。私の先天眼振は水平だ。映像が揺れて見えて、酔ったりはしないのかと聞かれる。眼球の揺れで酔ったことはない。世の中が揺れているようにも見えない。眼球が動いている瞬間の映像は、脳が意識させないでくれる。固視微動でも同様だ。しかし、外傷などで後天的に眼振が生じると、眼球が動いている瞬間の映像も見えてしまうため、酔ってしまう人もなかにはいるらしい。

ちなみに、乗り物酔いの経験もない。本人も先天眼振があって、しかも先天眼振の研究者の話では、先天眼振の人は乗り物酔いはしないそうだ。本当か嘘かは確認できない。でも、私も乗り物酔いをしないから、本当かもと思うところもある。この記事を読んだ他の先天眼振のある方はどうなんだろうか?

視力と中和点

先天眼振があっても見えないわけではない。遠方の小さなものを見る時、見づらさを感じる。焦点が合わないような、にじんでいるような、そういう感じに見える。

視力は、小学生の頃には両眼とも矯正の有無に関わらず 0.5 程度だった。成長とともになぜか視力が上がって、成人してからは矯正すると 1.0 を記録することもあった。どうしてかわからない。遠くのものは相変わらず、先に説明したように見えるからだ。自分の眼振の特性を理解できて、視力検査での応答が上手くなっただけかもしれない。

先天眼振がある人の多くは、眼振が軽減する眼位を自然に知っていて、眼球をその方向に向けて見ている。この時の眼位を中和点とか Null Zone という。さらに頭位異常も追加される。自分だけが知っている、安定した眼位と頭位で見ることで、先天眼振の人は見やすさを確保している。

そういえば、子どもの頃の写真はどれも、眼球と頭部は正しくカメラの方向を向いていない。記念撮影の時にはいつもカメラの方を向くようにと注意された。本人はカメラの方向に、目も頭も向けていると思っているのに。

読み・書き

視力が 1.0 まで出るようになってからでも、学校では黒板の文字を確認できず、板書をノートに書き写すことは困難だった。だから先生が黒板に何と書いたか、友人に何度も教えてもらったし、書き写しが間に合わなければノートをかりた。

私はまったく意識していないが、文字を書いている時、頭部が揺れているらしい。書いている文字が揺れて見えることはない。そのかわり(?)なのか、頭部が小刻みに揺れる。頭部を無理やり押さえつけられると、眼が落ち着かない感じがして文字を読んだり書いたりできなくなる。

(どうやら文字を書いている時だけでなく、細かな作業をしている時にも頭部が揺れているようだ。先日は、挽いてある珈琲豆を、袋から直接に小さめの珈琲フィルターに入れている時にも周囲から指摘されたから。頭部が揺れている意識は、本人にまったくない。)

遠くだけでなく、近くの文字を読むこともずっと苦手だ。漫画の吹き出しの文字や文庫本の文字を読むことには苦労する。子どもの頃は漫画を読むのが遅くて1冊読み終えるのに2時間は必要だった。今はそれでも1時間くらいに短縮された。

文字を眼で読んで情報を得ることは得意ではない。でも、読みたい本や読まなければならない資料が多すぎて正直困っている。

小説など、文字が小さくて行数が多いものを読んでいると、突然話が繋がらなくなる。まったく知らない世界に来てしまったと思うほど、違うところを読んでいることに気づく。かと思えば、すでに読んだはずのところをまた読んでいることもある。無意識にこれが起こる。その後、寸前まで読んでいたところを探すのが大変だ。指でなぞりながら読んだり、定規などガイドになるものを読んでいる行に当てて読むと、行跳びはほぼなくなる。

こういう文字読みの不便もあって、眼で読み続けると疲れるし、つらいから、長文に関してはパソコンやスマホを使って文字を読み上げさせることも増えた。情報技術に感謝だ。

先天眼振あるアル?

ここからは支離滅裂に書く。先天眼振がある方には、賛同できることもあるかもしれない。

・お酒を飲むと、何となく眼が落ち着く。眼振が軽減して見やすく感じるのは気のせいか?

・整えられすぎると見づらくなる。整体に行って身体のバランスを整えられると、途端に眼振が強く感じられるようになり見づらくなる。この違和感がなくなるまでしばらくかかる。中和点や頭位異常のことなど、ずっと歪んだ形で生活してきたから、整えられすぎるのも良くないのかな?

・やたら調節が遅い、そして弱い。遠くから近くに徐々に焦点を合わせてくると、そんなに近くまで焦点が合わないし、合わせるのもとても遅い。老人並みという評価を、20代の頃に受けた。近くを見ているのが長くなると疲れるので、早い年齢から近用眼鏡の使用を開始した。最近ではもう少し度を強くしようかなと思っている。

・パソコンの画面の文字を大きめにして表示することが多くなった。小さな文字だと近づかないと読みにくい。近づき続けているのも嫌だから、文字を大きめに表示して離れて読むようにしている。

・文章の行が長くなると行跳びが発生する。一行の文字を減らせるなら、眼を動かす距離も短くなるからそんなことも起きにくいのではないかと思って、可能な場合には一行の文字数を減らして表示している。こうして文章を書いている時には一行を20文字に設定して、折り返しが多い状態で表示させている。見やすく感じる。

・運転免許は取得したが、車を運転することはない。運転していると眼振が強くなるのか、とても違和感を感じる。中和点、頭位異常がきつくなり、周辺にまで気が回らなくなる。車幅の感覚を掴むのも難しい。こんな状態で運転すると人様に迷惑をかけると思うので、運転しなくなった。

・RGB3原色の色順次切り替え方式のプロジェクタ(単板DLP)で投影された映像を見ていると、チラチラした感じがする。背景輝度が暗くて、そこに白い線とか文字が映写されている時に眼を動かすと、赤・緑・青の帯が見えたりする。これをカラーブレイクアップ現象という。この現象が起きるプロジェクターで投影された映像を見た後は、眼がこの上なく疲れる。というか、途中で見ていられなくなる。

・最後に不思議な現象を報告する。何かを注視している時、中心窩で捉えられているところの揺れは感じないが、網膜周辺部で見ているものの揺れは感じられる、ような気がする。背景が暗く、周辺部で捉えたものが背景とのコントラストが高いとよく目立つ。20代の頃から感じている。先に先天眼振は映像の揺れを感じることはないといった。とすると、私の眼振は先天ではないのか? 別に考えられるとしたら、先天眼振の揺れのキャンセルは中心窩の映像のみで、網膜周辺部から入力された映像には揺れたままなのだろうか? これについては疑問だらけ。

(追記)
・いつものことすぎてここに残すのを忘れていた。定規を横にして線を弾きながら、縦に並ぶメモリを数えることができないんだった。数えている途中で眼がすっ飛んで、数えていたところがわからなくなる。だから定規を縦にして必要な線を弾きながら、上から下に向かって並ぶ横方向に伸びたメモリを読むようにしている。
・これと同じことで、ハサミで縦方向に真っ直ぐ切ることも難しい。縦線に沿って切るのが難しいから、紙の方向を90度回して、線を水平にして、その線に沿って水平にハサミを切り進める。おかしな切り方ですよね。

きっともっとある。ありすぎて書くのが大変だから、もうほんとこのへんでこの件はおしまい。

(追記の追記)これだけ
・テレビで野球、サッカー、バレーボールを見ていると、ボールが見えない。でも、どちらも好きなスポーツだからテレビ観戦する。人の動きでボールがどこにあるのかを推測しながら見ている。

ほんと、もうおしまい。

文:尾形真樹

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