本を蒐めるということ。

 昔読んだ本だったか人から聞いた話だったかは忘れてしまったが、さる人物が言った「価値あるものを集めるやつはまだまだで、価値のないものを集めてこそ本物の収集家である」という言葉がどうも私には忘れがたく残っている。
 つまりは集めるものの価値は二の次であり、集める行為にこそ価値がある、ということだろう。その人の言に倣えば私はものの価値を気にして、価値のあるものを集めようとしている二流の蒐集家である。
 私は「開運!なんでも鑑定団」という番組が好きなのだが、あれは様々なものの価値をお金という尺度で示してくれる、そのわかりやすさが好きなのであって、美術品そのものの持つ美しさが云々は正直あまりわかっていないで見ている。勿論その美しさが金額に反映されているわけでもあるが、数字の持つ魔力というのか、金額に示されるとよくわからぬものでもありがたく感じるものだから不思議だ。
 自身の蒐集活動においても、あまり価値の高くないものよりも、レアで価値のあるものを見つけられた方が一際嬉しいのは人間の情というものか。

 私は「収集」ではなく「蒐集」と書くことにしている。それはとみさわ昭仁氏の『無限の本棚』という本の帯に書いてあった言葉に深く感じ入ったためである。
「ぼくが『蒐集』の字を使うのは、文字に鬼が棲んでいるからだ」
 「あつめる」という道のりは全く鬼の道である、と私は常々思う。鬼に魅入られるようなものであり、魅入られた人間もまた鬼になる。この道は鬼だらけである。

 私が蒐集するのは書籍、とくに文庫である。「本は集めるものでなく読むものである」という読書第一主義者からは冷たい目線が向けられるが、そんなことは気にしない。読むだけが本の楽しみ方とは限らないぞよ、と言いたい。読むも道だが、蒐めるも道である。
 積読を恥ずかしく思う風潮があるが、私にすれば「何が恥ずかしくて本を積めるか。むしろ積まねば本は読めぬ」と思う。
 積読は自分の読書の可能性を広げるひとつの方法である。私の場合、蒐集活動の過程で、はなから読まない(読めない)だろうなと思いながら買う本が中にはあるし、全く興味のない本を買う時もある。しかし後々になって予想外にもその本が役立つ時がある。また仮に読まなくても本棚にその本があるだけでその学問や作品世界、あるいは自分の興味関心を俯瞰できたりする。案外積読の効果は馬鹿にできない。

 以上は積読が読書に与える効能という実用的な側面を述べたものだが、私はもっと、蒐めるという行為それ自体の魅力が一般的に浸透して良いと思うのだ。極言すれば「人の心を満たしてくれるのならば、本は読もうが蒐めようがどちらでもよいではないか」と言いたい。暴論であるし一種の開き直りだが、今の私自身の大部分を本の蒐集という行為を通して構成してきたと言って良いのだからこう言うほか仕方ない。自分のこれまでやってきた行いを否定するのは人間難しいものである。
 勿論、本を蒐めることに興味がないヤツは駄目だと言いたいわけではないが、「この世界は案外面白いぞ」と布教活動のつもりでこの文章を書いている。大概の趣味もすぐに飽きてしまう私だが、この趣味だけは不思議と飽きが来ない。
 しかし、この趣味の魅力は何ですか、と問われてもはっきりとした答えを私は持ち合わせていない。これは歳を重ねるほどわからなくなっている。体が勝手に本屋に向かう、暇さえあればフリマアプリや通販サイトで本を探すという習慣や癖、悪く言えば症状に近い状況を呈しているため、止めようと思って止められる質の話ではなくなっているのである。
 つまり早い話が病気の一種だが、無論嬉しい瞬間もあるし楽しい瞬間もある。探していた本が見つかれば嬉しいし、初めて行く本屋は楽しい(それ故に止められない)。
 また、コレクションがだんだん集まってゆく、その過程が堪らない。「育てる」という感覚だろうか。完成に一歩づつ向かっていく、ひとつひとつ積み上げていく快楽である。

 ここで一つ余談だが、私が蒐集の対象にするのは◯◯文庫レーベルや◯◯シリーズのような、基本的には終わりのあるものだけである。これはコレクションには枠組みが無ければならないと考えているからで、ただミステリ小説を蒐めるだとか文庫本だったら何でも良いとかだと完成がやってこない(理論上はこの世で出版された本は有限ではあるが膨大な量であることには違いない。個人が蒐めるとするならば無限にあると言って差し支えないだろう)。
 いつまでもどこまでも蒐めても蒐めても完成しないコレクションはつまらないと私は感じる。

 ところで、近頃はものを蒐めるのに後向きな人が多いような気がする。お金の問題、場所の問題、時間の問題など事情はさまざまだとは思うが、だとすると蒐集という行為は一種の贅沢と言えるかもしれない。毎月の少ないお給料の中からやりくりしつつ、お店に通い(お目当てのものが無ければ当然手ぶらで帰ることになる)、コレクションで部屋は占拠される。とにかくコスパが悪いし見る人が見ればこんな無駄な趣味は無いかもしれない。
 だが、敢えて私は無駄に厳しい世知辛い世の中でこう言うのである。「無駄のあることこそ案外楽しいものですよ」と。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?