笹木というお客さま。
時雨はいわゆる場末のスナックで、東北の名前を聞いてもわからないような工業都市で埋もれるように営業している。ジンジャエールを注文してもコーラしかないと断られるほどに来客がない。
笹木は毎週通ってくれる常連客で、私の事を源氏名で呼ぶ何人かのひとりだ。単身赴任の転勤族で営業職のキャリアは長く、たまたま他のお客が居合わせた時などは人当たりもよく、彼がカウンターに座るとホスト役をしてくれるので助かっている。
その日は私の誕生日が近くディオールの紙袋を携えて来て、年末年始のどうして過ごしていたとかの話や、雪がないからゴルフができるなんて話をして、岩手県の高校サッカーの話が出た時に、笹木がわかりやすく言い淀んだ。なんでこの話がダメなんだ?と思ったが、話題を変えて芸能人の結婚の話題などをしたが、ふと話が途切れた時に、笹木がグラスの水滴に目をやりながら言った。
「ほたるさん、僕、遠野の方にお客さんがいるんですけど」
僕、遠野の方にお客さんいるんですけど。
…僕はホラ、仕事柄お医者さんとやりとりすることが多いじゃないですか。
そのお医者さん、ずっと南東北の大きい病院にいたんですけど、独立して奥さんのご実家のある遠野の方に開業したんですよ。
奥さんのご実家は地主みたいな…そこの土地で有名な一族で、すごく大きな昔のお屋敷みたいな家で。そこの敷地の一部に病院が建てられて地元の偉い人とかが参加するような開業のお祝いのセレモニーをやりました。
その会場で、先生の奥さんが妊娠してるって大々的に発表されたんですよ。関係者の方々も招待された僕たちもみんなでお祝いをしました。
新しい病院はできたばかりで綺麗だしその地域は開業医があまりいなかったようですから小さな医院は患者さんでいつも満杯でした。
正直、先生の経歴からしたらこんな田舎の小さい病院に納まるような方ではないんです。それなのに、とても気が利いていて穏やかで、驕らない先生でした。僕も可愛がってもらって…だいたい週一のペースで納品があったのでそれくらい頻度で通っていたんです。
開業してからしばらくしたある日、受付にいるはずの奥さんがいらっしゃらなかったので、これはついに、と思い、先生におめでとうございます男の子ですか女の子ですか?ときいてみたんです。
そしたら、なんのことだって言うんですよ。
えって思ったんですけど、先生の顔が怖くて、周りの看護師さんの空気もピリッとして、理由はわからないけどこの質問はしちゃいけないんだったんだってすぐわかりました。
その後すぐに会社にウチとの取引を止めるって連絡がありました。僕は上司にしこたま怒られて、謝ってこいって言われて、わけはわからないけどあぁまずいことしたんだって。手土産買ってとんぼ返りで遠野の方に向かいました。
夜ももう時間も遅くて、病院は閉まっていたので、奥さんのご実家の方に行きました。そしたらね、聞こえるんですよ、赤ちゃんが泣く声が。あっやっぱり奥さん赤ちゃん産んだんじゃんって思って。で、とりあえず呼び鈴のピンポン押したんです。そしたら、急に静かになって。誰も出て来ないんですよ。電気とか煌々とついてて、人の気配もひとりじゃないのに。だから、これは明らかに居留守だから、あまり刺激しない方がいいなって判断して、手土産だけ玄関に置いてきました。
次の日、朝一で先生をつかまえようとして、病院へ向かいました。もしかして、奥さんとか義実家とかとうまくいってないのかな、とか考えたりしながら。病院の玄関の前に患者のおじいちゃんが診察を待っていて、その人と一緒に入り口の外で待ってたんです。
病院の玄関からは奥さんのご実家の玄関が見えて、昨晩置いて行った手土産はなくなっていたのでちょっとはホッとしました。
おじいちゃんに挨拶なんかして今年はあまり寒くなりませんね、なんて世間話をして、その人も気さくな地元の人だったから、つい、そういえば先生のところにお子さん産まれたんですか?って聞いたんです。
そしたらね、おじいちゃんちょっとびっくりしたような顔をしたんですけど、すぐにニタニタ笑って、あの子はザシキワラスだからなぁって言うんです。
ザシキワラス?
あぁ、座敷わらし、かって。
かわいいってこと?
話してるおじいちゃんの顔の向こうに、立派すぎてハリボテのように見える二階建ての家から先生が出てくる姿が見えました。僕の目線見ておじいちゃんも振り返りました。それなりに距離はありましたけど、先生が僕らの事を確認したのを感じました。
だから、おじいちゃんに、どうもって言って話を切り上げようとしたんです。そしたらね、おじいちゃんが、急に腕をつかんだんです。僕、なんだよってびっくりしておじいちゃんを振り返ったら、
目をね、こう見開いてギラギラさせながら、一層楽しそうに言うんです。
『産まれた子供は、あそこの家の娘とその実の父親の子供だよ。この辺ではよくある話でぇ、そったなわらすは恥ずかしいからって一生外に出れねぇんだ。そういう子供の事を座敷わらすって言うんだぁ』
って。
えっ、なにそれって。
先生がずんずん歩いてきて、昨日よりとても怖い顔をしていて。
本当は駆け寄って謝る姿勢みたいのを見せようとしました。でも、おじいちゃんが腕をがっちり掴んで離してくれなかったんです。すごい力なんですよ。振り解こうとすると、こう、胸と両腕で僕の腕を挟んででますま食い込ませるんです。小柄のおじいちゃん僕より腰曲がって小さいのにどこにこんな力あるんだろ?って。
僕は片腕をひっぱられながら、「おはようございます、昨日はすいませんでした」って言って頭を下げました。とにかく子供のことは聞かない方がいいな、と思いながら。
そしたら先生、なんのことだって言うんです。僕は驚いてぱって頭あげました。
先生の顔は、真っ赤に充血した目を見開いて、口角だけ上げて、でも唇はプルプル震えていました。おじいちゃんの顔を見たら同じような顔で僕を見上げています。
それで、こんな早くから困るなぁ〜とかちゃんと朝ごはんは食べてきたのか〜なんてぶつぶつ言いながら病院の玄関の自動ドアの鍵を開け始めたんです。
うまく開けられなかったのか、そのうち自動ドアの間にグッと手を入れて、扉をガタガタとこじ開けながら言いました。
「ほら、まず、中に入りなさい」
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