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居ることが許される場所

先日の日記。
八王子の地域活動支援センター・パオの見学に伺う。

心の病を抱える人たちのアート活動に力を入れてる場所で、そのあたりのご縁で紹介して頂いたのでした。室内を丁寧に案内して下さり、漫画やゾンビ道場の感想もお伺いできて、嬉しいことしきり…。ありがとうございます。

メンタルの障害について、そこを取り巻く社会について、色んなお話をしたのだけど、その中で「病気になると、病院か家で療養して、次の目標がいきなり就労になる。その中間の場所があまりない」という話題が出てきて、すごく共感した。
休む場所、弱音を言っていいところ、目標を持たなくていい場所、がんばる前にワンクッション置けるところ…。そう言う場所がもっとあったらいいよね。頑張るための休憩ではなくて、休憩のための休憩。

私個人の話で言うと、高校を途中で辞めてから常に障害のことや生きづらさを話せる場所や人に常に出会えてきた。フリースクールだったり、地域の居場所だったり、イベントスペースだったり、そこで会った人だったり、色々。
私自身の生活スタイルや気持ちの変化で場所は色々と変わってきたけど、それらの場に行っていた大きな理由は、そこが「私がいても良い場所」だったからだ。

肩書き、仕事、学歴や特技。そういったものがなくても、自己紹介をしてもしなくても、将来の希望を語らなくても、肩身が狭くならない場所。(特に「肩身が狭くならない」というのはかなり大きかったな…。社会においては肩身が狭いので…。)
そうした場所に出会えていたからこそ、そこを離れても、似たような場所が他にもあるかも?と思える。
自分がいても良い場所があるというのはそれだけで、社会や世界に対して絶望しないことにも繋がった。

しかしそのようにしていられたのは、探せばいろんな場所がある東京に住んでいて、なおかつ私が性格的にかなりガツガツしているからであって…。
そんな風にガツガツ探さなくても、どこに住んでいても、ある程度の選択肢があるに越したことはないと思う。

ひとしきり話したあと、アトリエスペースで、パオに来ている様々な方の作品を見せていただく。障害のある方の創作作品を見る機会はいろいろあるけど、パオの作品は優しい雰囲気のものが多い印象。「この方の作品も、良いんですよ〜」とニコニコしながら作品を見せて下さって、作品とその場の空気ってやっぱりちょっとリンクしているなあと思った。
作品ってやっぱり語る力がある。この人はこれを書いて解放されたのかな、と思うと自分もスッと風通しがよくなるような感じ。


こういったリアル居場所ではないけれど、安心して見られるような、ここではホッとできる、というような感覚を、私も作品の中で作っていきたい。

静かな雨の中、しかしちょっとウキウキして帰る。
帰宅後、本の作業の続き。よし、よし、良い感じだぜ。


今日の絵


ちょっと一息

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