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人は未来にしか進めないので(Adoのライブに行った話)

9月17日、Adoのライブツアー「マーズ」横浜公演を見てきた。
ライブで見るのは2回目なんだけど、パワフルも繊細さも全力で表現するパフォーマンスは前回を明らかに上回っており、勢いのある進化に感銘を受けた。

一方、イラストを“アーティスト写真”とし、姿は見せず、「歌い手」という肩書きでアリーナツアーを満員にする彼女のスタイルを、なんとなく昨今のジャニーズと比較しちゃったりもして。
「もう“大きな力”が良しとされる時代は終わりなんだろうなあ」と感じた。“大きな力”というのは芸能界という意味だけではなくて、エンタメに対する価値観、と言って良いのかもしれない。

Adoは、可愛らしいアイドル声ではないし、キラキラした笑顔や美少女フェイスを売りにするわけでもない。アー写イラストだって、露出度の高い女性キャラや、ゆるキャラのようなマスコットでもない。また、壮絶な人生エピソードを話すような事もしていない。
そういったものを使わずとも、熱意と実力でここまでの人気を箔せているというのが新鮮…というかほとんど「珍しいものを見ている」ような気分にすらなった。

ライブ中のAdoのシルエットイラスト

印象に残ったのは彼女が、ハスキーながなり声で歌う時の姿。
両手でマイクを握り締めてステージにがっしりと踏ん張って思いきりガニ股で歌うのだ。いろんなライブを見てきたけど、あの踏ん張り方で歌う女性シンガーはたぶん見たことがない。怒髪天の増子さんかエレカシ宮本さんかと言う勇ましさである。(唐突な人選ですいません)

「とにかくすごい歌を見せてやろう」という態度があの歌い方に現れていると感じた。

横浜アリーナの外観

彼女を含む、ネット発のクリエイターを見ていると、自分達なりのやり方を自分達で持つというのがデフォルトになっているのだと感じる。
王道となっているルートに乗るのではなく、自分が乗る道をそこに乗る人たちでDIY的に作る。かと言って、孤独にこだわるわけでもなく、権力への抵抗を表立って表明するわけでもない。

そういったスタイルが良し、他は悪し…という訳ではなく、新しいことをするにしても、まずは王道を踏まえて、追従するか抵抗するかと考えるのが当然だった私(世代かな…)からすれば、新鮮と言うか羨ましいというか、その柔軟さは、シンプルに見習いたいところ…!
自分の頭が凝り固まっているのをダイレクトに感じ、ううむ、と考えさせられる時間でもあった。

「成長痛」って、子供が大人になる時に味わうものだと思っていたけど、大人になっても痛いものは痛いのだな。


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