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上塗りは解決ではない

昨日、今日と寝過ぎてしまった。
しかし半年くらい前はすごい不眠だったので「眠れないよりはマシか」と思うようにしている。

1月3日
ラジオを聞いてたら「リアルな日常を書いた歌詞にリアリティを感じない。公に出来ないことがあるのが“リアル”なのに」というような話をしていてハッとする。
例えば、SNSで切り取られる“自然な日常”の、白飛びしたようなキレイさ。さらりと歌い上げられる“素朴な日常”に対する、なんとなく馴染めない感じ。
そういうのに引っかかってしまう理由がわからなかったので「なるほど」と膝を打つ思いだった。

ラジオで話していたのは歌詞のことだったけど、人を“落ち着かせないため”のプロダクト=「排除アート」の本を読んでいるところだったので、ついその話と重ねてしまった。
どうにもならないモヤモヤや問題を、解決ではなく「回避」する。綺麗に上塗りすることで回避しきれたらそれを「解決」であり正解としてしまう感じ。あの居心地の悪さはなんなんだろう。
覆い隠したくなる気持ちも、異質なものを排除したがる気持ちも、全くわからないわけではないんだ。でもそれは向き合うべき感情であると思う。

読んだ本です。

1月5日
家事などやってから「かいちぐ」のまとめ。
ツイッター上ではあるけど、こうして当事者の方とやりとりが出来るのはとてもありがたい。
“かいちぐ”へは、症状への対策やアイデア以外に、日々思った事や気づきなども投稿してもらえる事が多いんだけど、そういうのを見ていると「みんな試行錯誤しているんだな」と思えて励みになる。

人から話を聞くにしても本を読むにしても、発端と結果を聞く事が多く、「結果」に至るまでの気持ちって聞く機会がほとんどない。
解決したという「結果」が必要なのは当然なんだけど、試行錯誤している仲間がいるのを知れるのって、大きいと思うのよね。

いろいろ書いてくださって、ありがとうございます!

「綺麗事は良くない」とか「綺麗じゃない部分も見るべき」とか思うけど、私も大概きれいな物が好きです。美しいものも大好き。
でも、そのきれいさや美しさって、そうでない状態を含んでこそのものなんじゃないかなと思う。
清濁合わせ飲んで尚「きれい」であろうとする精神の気高さというか!私にとっての「きれい」「美しい」ってそういう感じだ。


今日の絵

本物はどれだっけ

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