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「生きづらさ」という言葉の変遷

2月11日、世田谷で行われている「みんなでかたろうひきこもり」というイベントにちょこっと出演させて頂きました。

私はオープニングトークで少し話をさせて頂いただけだったのですが、当事者の方や、支援者、ご家族の方からのお話を伺って、難しいなと思ったり、考えさせられたり…でもなんか、ほっとする日でした。
孤独な思いをシェア出来る場があること、その場を作った人がいて、そこに集う人もいて…という全体像が、なんか良いなと思ったのです…。

トークをするにあたり、何を話そうかなと数日間考えていました。
実際は全然違う内容になったので、考えていた内容はほぼ関係なかったんですが、ここに書いてみようと思います。
それは「生きづらさ」という言葉の変化についてです。
(※これはただの私の感覚です!具体的な数字などの根拠があるコトではありません…)

特に写真を撮っていなかったので…チラシの写真…

私が、生きづらさをテーマにしたイベントに初めて足を運んだのは、たぶん20年くらい前のことです。当時「生きづらい」という言葉は「世の中の大体の人は、適当にうまく暮らせている」という前提のもと「そんな中、つらい思いを孤独に抱える人がいる=生きづらい人」という意味合いのものでした。
そこから時間が経ち、現状は「多くの人は生きづらさがある」というのが前提になり、以前ほど殊更に「生きづらい」という言葉が使われなくなったように感じます。

社会的・経済的な背景によって「皆がしんどい(生きづらい)状況になってしまった」というネガティブな側面はあるでしょう。
しかし別の面から見れば、様々な障害やマイノリティの話題が可視化され、「うまくやれていない人/生きづらい人はかなり多い」というのが明確になった結果でもあるんじゃないかと思うのです。

たとえば、発達障害について。
少なくとも20年前にはその名前はほとんど一般的には知られておらず、人と関われない人、うまくやっていけない人はただ「おかしい人」「うまくやっていけない人」という扱いでした。そこから、あのつらさは発達障害所以のものなのだという構造に、多くの人が気づけるようになったのは様々な変化を生んだと思います。

まったく見えないものには誰だって対処が出来ません。ただ、知ることができたら、それに対してどうアクションを起こすか、あるいは起こさないか、考えることが出来ます。

雨の中、青空が映った水たまりに傘をさしている男の子のイラスト

これから必要なのは「生きづらい人/そうじゃない人」という区分ではなく、個々人の中に潜む生きづらさの内訳を問い、それとの共存の仕方を、他人事ではなく“自分事”として主体的に変えていく事ではないでしょうか。

もちろん、様々な生きづらさに対する正答が必ずしも見つかるわけではありません。問題が可視化されてしまったが故のヘイトや痛ましい確執が色々なところで生まれているのが現実です。
しかし、傷つけまいとする人やその知識が増えたのもまた、希望的な“現実”と捉えて良いのじゃないかと思います。


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