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ビビりながら行こう

今日や明日や、目の前の生活をこなしながら暮らしてますが、ニュースで連日報じられているのは、ヘイトや戦争、貧困など決して明るくはない現実。
概ね平常運転な自分の日常と、それらの出来事のギャップに、時々「自分はどこを見ているんだろう」と言う気分になります。

世の中で起きていることを知らなければという気持ちと、しかし見るとしんどくなるなという気持ちが葛藤して、モヤモヤする日々。

ただ、そんな風に足踏みする気持ちを先日友達にぼやいたところ「そりゃそうだよ〜」と言われて、スッと視界が開けたような気持ちになりました。
一人で考えているとどうしても「もっとしっかり向き合わなきゃ」or「考え続けててもどうなるわけでなし」という雑な二択で考えてしまいがち。また、自分以外の人はもっときちんと結論を持って生きているに違いない…とも。
でも、自分以外の人もそういった狭間で、意思や行動を選択しながら歩いてるんだとわかったら、「もうちょっと動けるかも」という気持ちになれたのでした。

私の場合、立ち止まって動けなくなる時って大抵「わからない」という感情が強くなった時であることが多いです。
それでもいつも、まず自分は何を“わからない”のかというのに気づくと自然と思考を進められるようになる気がします。
そして、自分の中の苛立ちや焦り、戸惑いを認めると、なぜか同じように戸惑っている人に出会えたりもして。ああ、じゃあ共に行ってみましょうか…と思える。

憎悪に対し、より強い憎悪ではなくて、それを覆すほどの優しさや真摯さで立ち向かいたい。
ぬるいかもしれないけど、その気持ちだけはなんか「わからなく」はないのだ。

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