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生活は交わっている

この日は終日、テキスト書き…。引き続き、「かいちぐ」のツイートを分類して、まとめる作業をしています。

最近、解離性同一性障害の人物が登場するドラマが続いているという噂を小耳に挟みました。しかも立て続けに、凶暴な人格とか犯罪に関わっているキャラクターの様子。
(と、伝聞形なのは、私はそういうのを見ると具合を悪くするので、見られないのです…)
当事者の方の日常の困りごととか、周囲からの誤解に困っているというエピソードを日々まとめている人としては、危険な側面ばかりが強調される事にはすごくモヤモヤしてしまいます…。

こういう話に対して「フィクションはフィクションだよ」と言う声も聞くのだけど、少なくとも私が知る限りでは「解離性障害ってドラマで見たことあるけど○○なんでしょ」という思い込みに傷ついている人も、それを言われるのが怖いから絶対にカミングアウトしないという人も、結構いるのです。
だから描くなとか、知識がないなら触れるなとも思わないけど、実際の障害を「危険なもの」として描くことは、世間のそういったイメージを強固にする事に繋がるというのを、作り手側の方にはもう少し考えてほしいなとは思います…。

とはいえ、別の病気の話になれば私だって同じこと。
自分の知らない病気ならテレビなどで見て「そういう病気があるのか〜」と普通に思ってしまうし、「ここに描かれているのが全部本当のことじゃないだろう」と解りつつ「でも、概要としてはこれに出てきたような感じなんだろうな」くらいには考えます。
たぶんみんなそんな感じだろうなと思うのですが…どうなんだろう?どうですか?

こういうのって、その病気や障害を知る機会が少ない上に、入ってくる情報が偏っているのが誤解の原因なのだと私は考えています。
というわけで…
「解離性障害は、激しい症状の人だけではないし、そういう人も同じ社会で暮らしているんだよ〜〜」というのを、今書いている本で示していきたいです!!!

しかし今はまだ出てないので、出ている本を読んでください(突然の宣伝)

「病気や障害を理解しよう」という感覚自体は大体の人にあると思うのです。
ただ、その病気について知識を持つ事と「自分もそういった困難さに関わることができる」という事を結びつけるのは、別の話なのかもしれません。知識としての“理解”から一歩、主体的に歩を進めないといけない。

例えば、足が悪くて困っている人が世の中にいるという事を知識として知ってはいるけど、実際に会った時に手助けをするとか、そういう人が困らないように日常的に配慮するには至らない…という感じ。
(「敢えて関わらない」という選択肢もあると思いますが、それはまた別の話として…)

全ての状況の人に配慮するのというのは難しいけど、少なくとも「自分が知らないしんどさを持つ人がいて、その人と同じ世界に自分もいるんだ。」という謙虚さは、可能な限り意識していたいです。


今日の絵


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