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世界に「驚き直す」 こと 〜「ソフトな人類学 裏・糸島フィールドワーク」レポート

2024年4月26日〜27日にかけて、「ソフトな人類学 〜裏・糸島フィールドワーク」という不思議なイベントに参加してきた。

糸島をフィールドワークの対象として、そーつき(糸島弁で「歩き回る」の意)、考え、話す2日間。この2日間で多くのものを学ぶことができたような気がする。が、それは何なのかを明瞭に言語化するのはなかなか難しいと感じている。
「学んだ」のに「何だか分からない」というのも矛盾しているような気がするが、それはそれで私にとっての真実なので仕方がない。
ここで見たこと・聞いたことの事実を書いていく。そしてそこから学んであろうことを類推し、レポートとして残すことにする。

なお、本記事ではできるだけ心の動きを素直に・率直に残すことを優先して書いていこうと思います。そのため、分かりにくい箇所や論理的ではない箇所があるかもしれないのでご注意ください。

偶然と必然が絡み合う動機

前日に、福岡のUXリサーチのコミュニティ「Fukuoka Research Club」(フリクラ)というイベントに主催者の一人として参加しており、牛丸 維人さんに
「案内人」として参加していただいた。
※今後も続けていくので、福岡在住の方はぜひご参加ください!

内容については上記のtogetter等をご参照ください。
そして、その打ち上げの席での話し、  参加者として参加いただいていた室越 龍之介さんに「何でこんな変なイベント("ソフトな人類学 〜裏・糸島フィールドワーク")に参加しようと思ったんですか?」と素で聞かれて「あれ、何でだろう」となった。
そのときは「前回mihozonoさん(松薗 美帆さん)たちが主催した本屋アルゼンチンのフィールドワーク合宿にも参加したので」というフワッとした答えをしてしまったが、よく考えると人類学畑でもない自分が参加するのはいろいろと不思議ではあった。
ただ、参加するときは必然性を感じて「これは参加するしかない!」と勢いで即参加を決めたのだった。

なぜ自分が必然性を感じたのか? ということを問い直すと、ここに参加する動機は恐らく偶然3つほどの自分の個人的なストーリーが関わっている。そして、私は「偶然の動機が複数回重なった機会は絶対に参加する」というルールがあり、まさにこのイベントはそのような偶然性が重なったときだった。

その3つを書き出すといかになる。

① 糸島というローカルでいかに生きるか?

私は福岡県北九州市の小倉という福岡のド田舎・ドローカルに生まれ、育った。大学進学を機に東京に上京し、約20年後に福岡にUターン移住することになった(理由はさまざまあり)。そして住んだのが糸島。

小倉に住んでいた10代のときは、とにかくこの「ローカル」が嫌で仕方なかった。情報も物も文化も無い、野蛮で閉鎖的な土地。この場所で生きて死んでいくことを想像すると身が凍るほど恐ろしかった(個人の感想です)。要するにローカルに自分が生きる意味を見いだせず、東京という文化・物・情報の「中心」の地で生きることで自分の生きる意味が見いだせるのでは、ということを妄想していた。

そして上京して20年(すっ飛ばします)。いろいろと学んでいき、インターネットやスマホの普及などのテクノロジー・時代の変化があり、そのような若気の至り的な衝動は消え失せていく・・・かのように思えつつ、そのときの恐怖感は通奏低音として自分の意識の底に横たわっていたする。

よく語られる北九州のド派手衣装の成人式。最近になって面白がってガラパゴス的な文化として残そうという動きがあったりする。

自分もこれについてはある程度面白い文化だと思う一方で、このような世界観の中で一生を生きていかなければいけないかと思うとゾッとする恐怖を感じる。 自分が語り、考えて、生きていきたい世界と、そこに居る人達の会話が成り立たない恐怖。外国に一人だけ言葉が通じずに生きていくような疎外感。自分の小倉で過ごした18年は、そのような恐怖を自分の中に否応無しに確立してしまったのだった。

とはいえ、住んだのは福岡・糸島。もちろん自分の生まれ育った場所とは違うが、ここも大いなる田舎でありローカル。「じゃあ、なぜ東京を離れ移住したのか?」と問われると、これもかなり複雑な事情があるので詳細は省くが、改めてこの糸島というローカル・場と「出会い直す」ことに自分の中で必然性を感じたから、と答えることはできると思う。

それは論理的ではなく直観的な部分が多い。改めてローカルな場で、ローカルと関わり生きることによって、自分の中で新しいことができる未来への予感。その予感はまだまだ茫漠としたものであるが、今回のイベントはそれを考える材料を見つけるためのとても良い場になるのでは、と感じた。これが必然性の1つ。

② 結論と現場、インターネットと場

前項ですっ飛ばした部分の話。大学に行って専攻したのは「西洋哲学」専修だった。いろいろと思いはあったが、知りたかったのは要するに「世界とは何なんだ」の結論が欲しいという思いだった。結論さえ分かれば、面倒くさい人間関係も不要であるし、分かったルールに従って生きれば良い。そんな結論を求めていた。自分はドイツ現象学、フッサールについて学んだ。

さまざまなことを学んだ。そして結論としては「世界とは複雑であり、常に謎である」ということだったりする。何も分からなかった。人類学もそのころ知った。贈与、構造主義、レヴィストロース。人類学とは感想としては「わざわざ現地にいって長い時間理解するために時間を費やさなければいけない学問なんだ」という面倒臭さしか理解できなかった。

その後、インターネットを知り、プログラミングを学んだ。プログラミングの素晴らしいところは、「自分の作ったルール通りにすべてが動く」というところだ。つまり世界を作ることができる。小さい世界で自分のルール通りに生きることができ、そこには実存的な悩みもなく、人間関係も無い。素晴らしく論理だけの潔癖な世界を創ることができる。

そして、ここでインターネットで音楽をリリースすることを始めた。実はこの辺は歴史はあるのだがまたすっ飛ばすが、演奏することよりもインターネットでリリースすることが自分にとってしっくり来ることが分かった。いろいろあってGorgeという音楽に結実した。

そしてまた、なぜか登山にハマってしまい、気づけば暇があれば岩を登りにいったり沢登りをしたりするアウトドアな人間になってしまった。割と自分は天性のオタク気質があると思うが、それが外に向かうと暴走してしまうのだ。

そんなことを経て、プログラマーから気付けばプロダクト・マネージャーになっていた(めちゃめちゃすっ飛ばしてます)。ここで気づくのは、結局ソフトウェアも「人」の使うために作るもの。いかに使う人のために、使い人の経験(UX)を考え続けなければいけない。一周してまた人と出会ってしまったのだった。

抽象的な概念の戦いではなく、実際の人の使っている現場にしか答えがないソフトウェア作り。そこには「現場」しかなく、抽象的な概念は役に立たない。いかに現場に出て人を知るか、人を理解するか。UXリサーチという概念にそこで出会い、mihozonoさんと草野さんの「はじめてのUXリサーチ」を読んだのだった。

「結論」が分かれば世界が分かるし、ソフトウェア作りもそうだと思っていた。実は終わりなき現場のリサーチにしか正解が無い、ということが分かってきた。

ワクワクした。これからの世界は自分が創るチャンスがある。それはめちゃめちゃ狂っててクールなことだ。

ようやくそのことに気づいた。

③「人類学」という関心と人のつながり

2020年、福岡に移住した後にCOTEN RADIO というPodCastを知り、興味深く聞いていた。一度人文学的な興味から離れた自分にとって、この語りがとても面白く受容できるのが自分にとって新鮮だった。第一次世界大戦、空海、フランス革命など聞きかじりの知識が凄くビビッドな話題として聞けるのがとても面白い。その中で出てきたのが「レヴィ・ストロース」。構造主義だ。自分はまた哲学と出会ってしまった。

このとき、構造主義について話して居たのが今回の主催者として参加していた室越 龍之介さんだ。大学のころに学んだ知識をすっかり忘れていた。それを凄まじく鮮明な解像度で紹介してくれて、ワクワクが止まらなかった。

いろいろあってCOTENから離れた室越さんということで、個人的に気になっていたが、まさか邂逅できるとは思っていなかった。

という方向性と、もう一方でmihozonさんとの出会いがあった。私はプロダクト・マネージャーとして仕事をしていて、「RESEARCH Conference Pop-up in FUKUOKA」というイベントになぜか登壇者として呼ばれたのであった。

ここでいろんな方と出会い、その勢いのまま「Resarch Camp in ITOSHIMA」に参加した。

ここでの体験は凄く面白かったのだが、また大きく割愛しつつ、自分が凄く不思議だったのがmihozonoさんに聞いた「なぜ現場にコミットし続ける関心があるのか?」「そこにはどんな喜びがあるのか」ということだ。
mihozonoさんは、そこは凄く素直に「研究対象としてではなく、人としての繋がりが面白い」ということを語っていただいた。
これが自分にとってかなり意外なことだった。
ソフトウェアを作っているものにとって、目の前の人は「N1」の対象であって、そことの繋がりは仮説の検証の結果だと思っていた。

そこから逃れる「N1」の対象ではなく、生の人の手触りの面白さを語るMihozonoさん。人類学とはこういうことなのか。

そしてソフトな人類学へ

室越さん、 mihozonoさん、そして本屋アルゼンチンの大谷さんという人との出会い、人類学、UXリサーチへの関心、そして糸島という場所。すべての物語がここに参加するべき方向を指し締めている。これは参加するしかない。しないと必ず公開することになる。そんな経緯でここに至ったわけだ。


事前説明会・「裏」というテーマ


イベントの前に事前説明会があり、テーマが大谷さんから語られた。「裏糸島」。九州出身であり糸島在住である自分にとっては、挑戦的なテーマであると思った。
「糸島は魅力がある」という前提に立てば、いくらでも魅力は見つけることはできるであろう。とはいえ、自分は一度は九州に疲労した人間でもある。「裏」とは魅力の無さ、閉鎖的な文化、つまらなさなども当然あるであろう。聖なるものだけが街に根付くのではなく、邪も必ずある。

ここに何からの価値を見いだすことができるかどうか。その答えを探るものまた自分なのであろう。

当日の動きもここで語られた。

  • 3時間のリサーチを1日目で行う。場所は自由、やることも自由。ただし、そこで誰かと話すこと

  • 2人1ペアで行う。ペアは参加者からランダムで決められる

  • 当日のリサーチ内容を当日の時間と次の日にまとめ、発表する

極めてシンプルであり、そしてかなりタイトなスケジュールだ。初めて出会った二人が、初めての場所で、短時間で何かを成し遂げることができのか? 不安はあるが、とにかくやるしかない。

パートナーは東京から来たEmi (@mienokana)さん。話し始めると、「アジャイル」という開発プロセス手法に深くコミットしてきたという共通点があった。私も開発者として「スクラムマスター」の資格をとってアジャイル導入に邁進していたこともある。そして「アジャイル」に何かと向き合うことは開発プロセスに関わらず人生の指針となっている。そしてその人脈で共通の知人も多い。ここにも偶然性の糸は繋がっていた。

さっそく話しが盛り上がり、その後リモートMTGを経て場所が決まった。場所は大きめの集落がある「筑前深江」。そこに海沿いの集落を歩き、出会った人と話す。チーム名は、糸島弁で「歩き回る」の意である「そーつく」に決まった。

スタートからフィールドワーク

13時に糸島大入の本屋アルゼンチンに集合する。事前にdiscordでの自己紹介や事前説明会で見ていたものの、初めてオフラインでお会いする方々ばかり。多少不安な面持ちながら、つらつらと話す。ここから何が始まるのか。

人類学者陣の自己紹介があり、簡単な内容の説明、注意事項をした後は、早速フィールドワークに出かける。人類学者陣は、各駅に散らばって様子を確認する。

最寄りの駅・大入駅の電車はかなり少なく(1時間に1・2便程度)、時間が少しあるのですぐ前の浜辺に出て行く。糸島らしい、透明度の高い朗らかな浜辺だ。

何でも似合う男、室越さんが何だかよく分からないものをもって仁王立ちしていたのでmihozonさん・牛丸さんと写真を撮る。何だかよく分からないが、サマになっている。mihozonoさんに覇王と言われていたが、それはどこから来たのだろうか。

電車に乗って皆で移動する。筑前深江までの移動時間は10分程度。海が見える筑肥線。海が見える電車は良い。

5年前に糸島に引っ越してきたとき、やはり知り合いも殆どおらず、仕事も大きく変わり不安だった。当日は通勤をしていたので(コロナ禍以降はリモートになった)、通勤途中に海が見えることがその不安を和らげた。思えば海が見えること自体と不安さにはまったく関わりがない。しかりそのときに安心した感覚は確かにある。これは何なんだろう?

Emiさんが「この注意書き珍しいですよね」と呟く。確かにいろいろやってほしくないことはJR九州にはあるだろうが、その中で「床に座る」ことを禁じているのは不思議だ。しかしこれはこれで、必然性があったのだろう。書いているからには、床に座ることが常習的に行われ、それが迷惑になったという事実があることが推定される。なぜそれが起こったのだろう? などとEmiさんと話しながら向かう。

フィールド・筑前深江での違和感

筑前深江駅に到着する。

筑前深江はかなり大きい集落となっており、密集して建物が連なっている。この辺の集落の道はかなり狭く、漁師町的な雰囲気がある。大きな温泉施設があるため観光客が多く訪れるが、実際に集落の中に入る人はそれほど多くないであろう。

ここでの歩きはYAMAPで記録したので、参考にしていただきたい(という名の宣伝)。3Dリプレイは雰囲気を把握するにとても良いツールだと思う(という宣伝)。


駅前にある「いなほ焼き」が美味しそうだったのでmihozonさん、emiさんと食べながら戦略を練る。お店の人に聞くと「この辺の人は深江神社に行かれる形が多いよ」ということで、まずは深江神社に向かう。深江神社は歩いて5分くらい。

深江神社に向かいながら、町並みを眺める。古い建物が多いが、その中で新築の建物も多くある。

途中で深紅の物体に気づく。近づいてみると鳥居だ。違和感がある。「家の敷地内に鳥居を建てるのはなぜだろう?」。神社もすぐそこ。家の敷地の一部をわざわざ生活のため以外のものにあてる必要はあるのだろうか?

5分ほどの短い距離だったが、同じような鳥居と、その前に祠を置いてある家が3軒ほど見つかる。このあたりの独特の文化である可能性は高い。裏・糸島への切り口として、この事実を解き明かすことは良さそうだ。

深江神社にお参りをしたあと、北のほうからぐるっと回ってみようということで北の方に歩いていく。途中にも多くの鳥居・祠の家がある。

以下のようなことをEmiさんと話しながら向かう

  • 鳥居は綺麗な朱色に塗られていたが、祠は少し色褪せていることがあり、鳥居だけ新しいように見えるものが多くあった

  • 榊が備えられており、水も比較的新しいものがあったりと全体的に人の気配が感じられる。

  • 新しい住宅も多くあったが、鳥居があるのは瓦が立派な古い民家が多かった。

1回目のインタビュー・井戸端会議の女性お二人


国道を歩いていくと、左側に60〜70代の女性二人が井戸端会議をしていた。深刻な話でもなさそうだし、これはチャンスだ。一度通り過ぎたあと、「あのお二人だったらいけそうじゃないですかね」「行っちゃいますか」と話しかかる。

Emiさんが口火をきってくれた。
「ここら辺をぶらぶら歩いてたんですけど、ここら辺鳥居が多いなぁと思ってたんですけど、みなさんあるもんなんですか?」

お二人は怪訝な表情。怪しまれたか? と不安になるも、会話を進めていく。

「私もこの人も糸島出たことがないから、そんなところ気になったことなくて、何の話してるのかと思った」と話してくれた。

  • あの鳥居と祠は「お稲荷さん」である

  • 鳥居は汚くなったら塗り直す

  • 塗り直す時誰に頼んでるのかはわからない

  • 家の建て替えとかで動かさなきゃいけない時は、「深江さんにお願いしたら(お祓い:魂抜き?)色々やってくれる」からお願いする

  • 「お稲荷さんは深江神社の近くより、もっと海の近くの方があるよ」(→実際海の方を歩いてみたが深江神社の方が多かった)

などの情報を得る。肝心の「なぜお稲荷さんという鳥居・祠があるのか」ということは、「なんでやろうね、この辺は田舎やから、ちゃんとせないかん、と思ってちゃんとやっとんよね」というお言葉。

一瞬、自分としては「肩透かし」と思った。あそこまでちゃんと作っているからには、正当な歴史的経緯や宗教的な信仰があるかと思っていた。

しかしよく考えるとこれが「在り方」だと思った。「ちゃんとせないかん」という理由で受け続けるられる慣習・文化。権威によって強制的に続けられたり、論理的な必然性によるものではなく、「何となく」受け続ける物の在り方。大きな物語ではなく、小さな習慣によって現実は形作られたりする。その面白さ。

10分ほどお話をお伺いして別れる。

川べり・海岸をそーつき話す

emiさんと話しながら、大きな橋を渡る。一貴山川だ。ちょうど先週、トレイルランニングの大会に初めて出た。40kmのコース。運悪く雨が激しくなり、道はドロドロになり苦戦して、30kmで時間切れとなりリタイアした。泥だらけになり山中を走り回ったワイルドな体験だった。

そんな話や、糸島に引っ越してきた経緯、これまで経験したことなどをつらつらと話す。

先週とうってかわり、抜けるような青空。emiさんの人生やご家族の話などもいろいろお伺いする。当たり前のことだが、自分とはまったく違う時間軸・世界・人がそこにあり、とても面白い。海まで突き抜けた広い視界の中、トボトボと歩きながら偶然出会った二人が人生を交差させる時間。これもまた豊かな経験だ。

2回目のインタビュー・浜辺のゴミ拾いをする女性

深江海岸に辿り着く。広い浜辺が広がり、気持ち良い場所だ。その前の堤防に、青いペンキで落書きが描いている。

最初はよく分からなかったが、よく見ると「ゴミを捨てるな」「しばくぞ」というゴミを捨てることに対する非難が強い言葉で書かれている。自分の頭の中では、「○○○○参上!」という暴走族の自己主張や「たかしlove」のようなカップルの記念落書きが残されていると思っていたら、意外な文言だった。景観の美化を主張する、景観を乱す(ように見える)主張。なんとも転倒的な存在だ。

向こうから60〜70台の女性1名がゴミを拾いながら歩いてくる。手にはトングとゴミ袋。お話をお伺いできるのでは、という期待。emiさんに「あの人いってみましょうか」と声をかける。先ほどはemiさんが口火を切ってくれたので、今度は自分がやるべきだ。なんと話しかければ良いのだろう。

「私たち、人類学という学問の研究で、この辺の人達にお話をお伺いしています。少しお時間いただいても良いですか?」と割と真っ向から話かけてみる。正確には学問の研究ではないが、これくらいの盛り具合であれば許されるだろう(誰に?)。

「良いですよ」と小さめの声で答えてくれた。警戒されているのか、少し距離感を感じる。ただ、自然の美しさについて話すと警戒心が薄らいだようで、淡々といろいろなお話をしてくれた。10分程度話す。

話したのは以下のこと

  • 2日に1回くらい、歩きようと

  • 10日に1回くらい、掃除してくれよる人がおる

  • 牡蠣の養殖場がある。そこから貝が流れ着く

  • 貝が多いので、歩くのは向かない

  • 今の時期はホース貝が取れる。ほんとはとっちゃいかんが、あの人は近所の人だから

  • 30年くらい前に防風林ができた

  • ずっとこのあたりにすんでいる(すぐそこ)

  • 高校の頃は海岸に歩いて遊びにきていた

  • 千鳥饅頭の別荘がある。その横の桜が綺麗。見る?(スマホで見せてくれた)

  • 志摩の方は、沢山観光の人がくる。このへんはそうなってほしくない。ゴミが増える

「すごく綺麗なビーチですね」と伝えると嬉しそうな様子だった。

筑前深江の自然の美しさ・豊かさに対する誇りを感じる。それを伝えようとスマホの桜の写真を一生懸命に見せてくれた。我々にそれを伝えることにメリットは何もないと思うが、その素振りがとても嬉しく感じた。

「世界に誇る観光地」「移住したい街No.?」というような、他と比較して価値があるか、ではなく、「自分の生きている場所」が持っている豊かな自然であることへの誇り、喜び。そのような世界との付き合い方・生き方を見るような気になった。

深江神社から夕食場所・宿泊場所へ

「お稲荷さんと深江神社の関係を知りたいですね」とemiさんと話し、再び深江神社に向かう。神社の関係者が居れば、話しをきいてみたいところ。

残念ながら深江神社には人気がなく、話を聞くことができなかった。最初のときは気づかなかったが、ここには「稲荷大明神」と名の付いた鳥居と祠がある。これも何か関係があるのかもしれない。

そうこうするうちに予定していた時間が過ぎ、集合時間の17:00だ。町並みを眺めながら集合場所の焼き肉・鍋まるやに向かう。

▲YAMAPの記録より

気づけば歩行距離4.4km。かなり歩いたものだ。お疲れさまでした!

「まるや」では猪の丸焼きなど珍しいジビエ肉などをいただき、大変美味だった。いろんな方とおしゃべり。その後、宿泊場所に移動してまたわいわい話しました。

2日目、レポートとイベント

2日目はふたたび本屋アルゼンチンに集合し、プレゼン準備をしてプレゼン。人類学者陣がそれぞれのチームの発表を聞いてもらい、コメントをもらう。
我々のチーム「そーつく」には室越さんに参加してもらった。

発表の内容は、この記事に書いている通りのことなので割愛する。室越さんからの質問で、「インタビューのときどのような風に質問しました?」「問いに対する答えを得ようとして質問しましたか?」と、話すときの「向き合い方」について聞いていたのが印象的だった。

「その話をきいたときに、対象者がどう話したかだけではなく自分がどのように向かい合ったのか」も凄く重要な情報だと教えてくれた。「整理された情報だけではなく、その人そのものが見えてくる。その豊かさを拾っていく視点が必要なんです」。

その後、全体に向けて各チームが発表する。それぞれの見てきたものが共通していたり、異なっていたり。それぞれの視点が見えてきてとても興味深かった。

そして無事に二日間のプログラムが終了する。お疲れさまでした!

その後、トークイベントが行われるためその開催を待つ。 車座になって皆で感想を話しながら昼ご飯を食べる。絵に描いたようなピクニック感覚だ。

そしてイベント。人類学をビジネスに活かすには? 

ゴロゴロしながら皆さんのお話を聞きながら考える。

考えながらXに感想を流したり。

自分の中で少し考えが進んだのが、今まで漠然と「人類学的な手法をリサーチに活かす」=ビジネス活用、と思い込んでいたのだが、それは狭い捉え方だったこと。もっと広い視野で「人類学的態度」によって世界と関わる、ということが主題となっており、それをビジネスで活かすことが目的となっているということだ。

一方でずっとむず痒かったのが、「ビジネスに人類学は活用できる」ということが今回のイベントの主題であるが、この問いを考えれば考えるほどビジネスと人類学の関係が言語化できない複雑さがあること。少なくとも既存の「ビジネス」を前提に考え過ぎるそこに無理に人類学を押し込めることにならならないか、むしろ「ビジネス」という枠組みを解体していくことが人類学の役割と考えることはできないかのか。恐らく今回の登壇者全員がこの悩ましさを捉えた上で「ビジネス上の活用」を考えているのだろう。想像以上に厄介なテーマだし、これが実現することのラディカルな可能性を感じつつ、まだ自分はすっきりとはしないままに新たな悩みを抱えることとなった。

世界に驚き直すことは可能なのだろうか?

ということで、またの再開を誓いつつ解散。私は住んで居るところは電車で15分程度の場所なので、一番最初に電車を降り、濃い2日間が終わった。

ということで最初に戻る。「何を学んだのであろうか?」
もし人に聞かれたら、と考えて素直に書いてみるとこのようなことだろう。

  • 「何かを見つけよう」という視点で筑前深江の街をみることによって、普段は目に入らない鳥居などの違和感に気づく

  • そのテーマで人の話を聞くことによって、そこに存在している歴史・文化の在り方に触れることができた

  • そこで生きる人・自然を誇りに思う人の言葉・行動を知ることにより、土地の生き方を知ることができた

申し分の無いストーリーに見える。しかし、これは有り触れたストーリーで、事前に「こういうことが起こるであろう」と予想可能なものだ。その穏当なストーリーに自分を押し込めてはならぬ、と違和感がある。

もっと自分に突き刺さるような、嫌らしく、居心地の悪い事実こそ自分の学びとなるのではないか?

今回あったことを書き出してみる。

  • ローカルという恐怖から逃げ出し、再びローカルへ

  • 人から逃れて哲学・ルールへ、そして再び現場・人へ

  • 人類学・偶然の出会い・そしてその場へ

  • 「裏」というテーマ

  • その場に生きる人の生活「ちゃんとせないかん」の文化

  • 住んで居る場所への誇り

  • インタビューするときの「態度」、豊かさを引き出すこと

ほぼ偶然で揃ったこのようなカードが何を差し示しているか。これをずっと悩んでしまった。そのためこれを書くのに10日間くらいかかってしまった。

キーワードとしては「目的」と「価値」ということが分かってきた。

これまで何らかの「目的」に向けて行動は遂行されていくべきであり、それこそが「価値」を規定すると思っていた。そしてそれに沿って自分の感情も配置していくべきだと思っていた。

mihozonoさんが「仮説の検証よりも甑島での人の付き合い」に楽しさを見いだしたり、室越さんが「目的よりも人の豊かさ」に注目していたこと。またその場に生きる人の「何となく」続いていく文化や自然と共に生きること。

そしてまた自分も多くの偶然によってこの2日間を遂行している。そしてなぜか(本当になぜか分からないが)呪いのように音楽を続けたり、死にそうになりながら岩を登っていたりする。

非常に多くの偶然・非目的・非価値のものが自分の今を形作る一方で、必然・目的・価値を探し続けている。なぜ探し続けるのか? これは自分が九州に居たときの恐怖と結び付いていて、シンプルに言うと「自分の価値が無いと感じるから」。価値の無い場所に居て、価値のない人間になるのが本当に怖かった。

多くのことを学び、「価値」は容易に転倒しうることも分かった。論理的には。ただ、「価値がない」ことに対する恐怖は根源的なものであり、それでも絶対的な価値を求め続けてしまう。なぜだろうか?

自分は「世界に驚く」ことが極めて下手なのではないか、という問いに辿り着いた。物事に触れるとすぐに価値を適用してしまい、目的を作ってしまう。それを遅延させて「世界に驚くこと」を適用することができれば、価値より先に世界に出会うことができるのではないか。

自分が音楽や山が好きなのは、そういう価値判断から離れて言語外の体験がそこにあるからではないか。しかし、それもあっと言う間に目的と価値の波に呑まれてしまう。それでも「世界に驚き直す」ことはできるのかもしれない。

これが人類学的な態度かどうかは分からないが、今回の学びとしてはそのように言えるだろう。しかし、まだどこかで自分を飾っている気がする。結論が出るのはこれから10年後かもしれないし、死ぬまで出ないかもしれない。出ない答えを探し続けるのもそれはそれで悪いものではない。

ということで、2日間の旅は終わった。主催者の皆様、素敵な体験をありがとうございました。参加者の皆様、お話していただきありがとうございました。emiさんはとくにめちゃめちゃ歩かせてしまって申し訳ない(と密かに反省してました)と思いつつ、またそーつきましょう! 


emiさんと本屋アルゼンチンの前で




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