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会話観

昨日、1対1で初めてごはんを食べた人は、本当に自分の話しかしない人だった。

私はどちらかと言えば人に興味があるタイプだ。
ゆえに、その人がどんなことを考えているのか、どのような意思決定をする人なのか、なぜそのように思うのかなどが知りたくて、どんな人と会っても、就活の面接さながらに「それの何が魅力的なんですか」とか「なぜそう思うんですか」とか、色々聞いてしまう。
もちろん相手は選ぶ。誰にでも根掘り葉掘り聞きまくるようなことはしない。詮索されるのが嫌そうな人に対してはそういう行動は控える。けれども、大体の人は自分のことについて聞かれると嬉々として色々語ってくれる。みんな本当は喋りたいんだよね、自分のこと。

昨日、その人とご飯を食べていた時も、半分は目の前にいる人間への好奇心から、そしてもう半分は「私の話を聞かせて退屈させるよりは、相手に気持ちよく話をさせたほうが相手にとってよいだろう」という考えから、色々と質問を投げかけていた。

例に漏れず、その人も自分の話をするのが好きなタイプだったので(実際に「自分のこだわりとか話すの好きなんですよね〜」と言っていた)、質問に色々と答えてくれた。
はじめて知ることや、自分とは違う価値観に触れることができて、なかなか興味深かった。

だがしかし。
その人は私には一切質問をしてこない。話を振ってこない。ずーっとその人のターン。「(私)さんは?」の一言が全く出てこない。
私が投げかけた質問にただただ答えていくだけで、その様子はまるで、言葉のキャッチボールならぬ、言葉のバッティングセンターのようだと思った。もちろん私が投球マシーン側。

相手に話をふらない。
質問を返さない。
ずっと自分だけが話し続けている。
そのような状況で平然としていられるその人の神経、正直違和感を感じずにはいられなかった。「理解に苦しむ」というやつ。

私が、その人に「興味を抱くに値する人間ではない」と判断された可能性は否めない。
ただ、これは感覚でしかないのだけど、その人の場合は「私に興味がない」というよりは、「自分について話すことがだーいすき」(かつ、自分が話し続けた場合に、目の前の相手がどんな気持ちでいるのかを想像することが少し苦手)なだけだと思った。

まあ、私があまりにも質問をするものだから、相手に「この人は聞くことが好きな人なんだ」認定をされた可能性はある。これは大いにある。そういう意味では私にも少し非がある。
というかそもそも、話したいのなら私も話したいこと話せばいいじゃないかと思われるかもしれない。それもごもっとも。でも、何ていうんだろう。そういうことじゃないというか。あの場で私のしたい話をする時間を与えられたとしても、別に満足はしなかった。私があの時求めていたのは「対話」であって、「自分の話をする時間」ではなかった。私は「自分の話ができなかったこと」に対してではなく、「話のやりとりができなかったこと」に強い違和感を覚えたのだ。

時間が経つにつれて、どうしてこんなに会話が一方通行なんだろう、私は今日この人に質問をしにわざわざ電車に乗ってやって来たのか、というか会話の9.5割自分が話していることに対して何も感じないのか、いや9.5割片方がしゃべっているのはもはや会話とは呼べないよな、といったふうに頭の中が自分の心の声で埋め尽くされていった。
最終的には自分ばかりが色々と質問していることがアホらしくなってきて、いよいよ私も聞くことをやめた。最後に「私のこと興味あります?」と聞いてみようかとも思ったけど、それもやめた。
おそらく、その人と一緒にごはんを食べることはこの先もうない。


人は私に興味がある、ということを前提としている自分がそもそも間違っているのかもしれない。私の人間への興味が平均より高いだけであって、みんなはそんなに人のことなんか知らなくても大丈夫なのかもしれない。
人に質問をされたら自分も何かを聞き返すべき、(状況にもよるけど)自分と相手の話をしている時間の割合は偏りすぎないようにするべき……。そんなのは私の会話に対する勝手な思い込みであって、ルールのように決まっているわけではない。考え方の一つだ。みんながそう思っているわけじゃないし、みんなもそう思っていると思ってはいけないこともわかっている。勝手に定義した自分なりの定義で、勝手に1人で怒っているだけ。わかっている。

でもなんだか私は、昨日過ごした時間があまりにも異質なものに思えてしまって、そこで感じた疑問やら不満やらをどうしても言葉にしないと1週間くらい「昨日過ごした時間、あれなんだったんだろう」と引きずってしまいそうだった。大袈裟に思われるかもしれないけれど。
それと同時に、真の意味で「話ができるひと」って、すごく貴重な存在なんだなということも学んだ。そして、ものすごく上から目線な考えだけど、もっと人々は「聞く力」を身につけるべきだと思う。そこにいる人たちみんなが「聞ける」人になったら、会話は今よりも快適で素晴らしいものになるのに、なんてわりと切実に思ったりしている。


これは本当に余談でしかないのだけど、
自分の話しかしなかった人とごはんを食べたお店は、冷房が効きすぎていてかなり肌寒くて、「冷房がききすぎて寒い部屋と、暖房がききすぎて暑い部屋だったらどっちの方がマシか」という話になった(話になったというか、私がそういう話を振った)。

その人はえーどっちも嫌だなと、どっちつかずのつまらない回答をして(しょーもない質問をした私も悪いが)、私は「暑い部屋から出た時の『涼しい〜』よりも、寒い部屋から出た時の『あったか〜い』の方が幸福度が高い気がするから、寒い部屋の方がいい」と言った。

そしたら、その人は「条件が加わる(?)のはずるい。それなら自分は1,000万円が置いてある寒い部屋がいい」と言った。さすがに意味不明だった。思わず「ちょっとよくわからないです」とサンドイッチマンみたいなことを言ってしまうくらいには訳わからなかった。

勢いで書いてしまったからだいぶ散漫な内容になっているけど許してほしい。そして私は、私と言葉の「やりとり」をしてくれる方を常に募集しております。なんてことを申し添えてみたりして。今夜は終わります。

恐れ入ります。