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「それぞれのおうちごはん」第1話~ポテトサラダが食べたいけれど

◇あらすじ◇
家庭にはそれぞれの味があり、それにまつわる記憶がある。そんなおうちごはんをテーマにした連作短編。
《第1話》彼はポテトサラダが食べたいというけれど、糖質制限を意識しているわたしは気乗りがしない。結局彼のポテトサラダ愛には勝てず作ってしまうが、自分用にちょっと思いついたサラダも仕上げてみた。翌朝それをトーストに載せて食べて、わたしは食事の意味はそのとき食べる本人が決めればいいのだと気付く。
《第2話》子どもの頃、野菜嫌いの僕のために一度だけ食卓に上ったトマト炒めに彼女は興味を持ってくれたようだ。
《第3話》私の中のオムライスの少し苦い記憶は友人のおかげで解決した想い出でもある。

「ねえ、ポテトサラダ作ってよ」
彼のなにげない言葉を聞いて、わたしはちょっといらだった。

「やだ」
「どうして」
「わたしがさあ、糖質制限してるの知ってるでしょ」
そういうと、彼はわたしのベッドに寝ころんだまま、怪訝な顔になる。
「え? だってサラダだよ」

そうなのだ。彼は食べる専門。料理にはまったく興味がない。だから、じゃがいもは野菜だけど穀物で、糖質が高いということに気付いていない。

彼がこの部屋に来るようになって、三年余りたつけれど、料理を作るのはいつもわたしの役目だ。わたしが教育したおかげで、ようやくお皿を洗ってくれるようになったので、まあそれはそれでいいかと思っている。

「サラダはサラダでも、ポテトじゃん」
そういって、わたしはスマホを手に取ると、「ポテトサラダ・糖質」で検索して、そのリンクを彼に送った。

「わっ。そうなんだ。知ってた? ポテサラって生野菜の3.6倍も糖質あるんだって」
いや、だからそのリンク、今わたしが送ったよね。そりゃわたしだって、生野菜の何倍とか、具体的な数字を知っていたわけじゃないけど、糖質が高いことは知ってたよ。だから君のリクエストに素直に応えていないんじゃんか。

「でも、あれだよね。生野菜ってどこに糖質があるんだろ」
「どうしたの」
「いや、ポテサラの糖質ってたぶんというか、ほとんどじゃがいもだよね」
「うん、そうじゃないかな。まあにんじんなんかも糖質はあるんだろうけど、絶対的にじゃがいもだと思う」
「それと比べてさ、生野菜ってどうよ。レタスとかきゅうりとか、水分ばっかりでさ、どこに糖質があるんだろう。もし、糖質がなかったら、ポテサラと比較するとき、ゼロは何倍してもゼロだからさ、3.6倍って数字は出ないと思うんだよね。ってことはどっかに糖質あるんだよね」

理系の彼はこういう計算をしたがる。そこに何の意味があるのか、どんな役に立つのか、わたしにはまったくわからないけれど、それはあくまで習性のようなもので、本人もその計算の答えが何か画期的なものにつながるとは、そもそも思っていない。

「ほら」とわたしは検索結果を送る。

「あー、きゅうりにも糖質あるのかぁ」
彼は一大発見をしたように感心して、続けてほかの野菜の糖質を比べはじめた。

わたしが糖質制限を意識しはじめたのは、二年前のことだ。在宅勤務。テレワーク。リモートワーク。今でこそ、そんな言葉も定着したけれど、それ以前は平日はオフィスに出勤するのが当たり前だった。

もともと家にいるのが好きで、休みの日のデートも彼が積極的にどこかへ行きたがらないかぎり、わたしから外に誘うことはほとんどない。彼が来て、ふたりで映画を見て、キスをして、ごはんを食べる。わたしはそれで満足している。

在宅勤務が始まったとき、わたしは彼にメッセージを送った。
──平日は来ないでね──

それは彼と家で過ごす時間がいやだという意味ではない。仕事中に彼がそばにいることは避けたほうがいいという、ある種の社会道徳みたいな、いわゆるひとつの建前だった。だが実際それより遥かに強かったのは、本音は、ひとりで家にいられるという嬉しさだったのだ。

そう、わたしは家にいるのが好きだ。おうちloverなのだ。

朝起きて、着替えなくてもいい。メイクもしなくていい。こんな楽なことはないと思ったけれど、さすがにそれではだめだなと思い、在宅勤務のマイルールを決めた。

朝起きたら、シャワーを浴びる。そうしないと、寝間着のまま仕事をはじめてしまいそうだったので、まず最初に着替えなくてはならないシチュエーションを調えることにした。

在宅勤務がはじまって、これはいいなと思ったのは、通勤電車に乗らなくてよくなったことだ。もちろん、あの時期のことだから、もし電車に乗ったとしてもがらがらだったんだろうとは思うけど、わたしの知っている、わたしの載っていた電車はいつも息が詰まりそうなほどの人ごみだった。

隣の人のぐいぐいと押してくる肘に脇腹を押され、詰め込まれた人々のむせ返るような体温と充満する息に飲み込まれる時間は、ただただ目的地までのがまんの連続だ。それから解放されるなんて、なんて素敵なことだろう。

朝起きてシャワーを浴びる。テレビをつけると、それまでは画面の左斜め上に表示される時刻にばかり気を取られていたのが、そうではなくなった。朝の情報番組はたいして重要なことを教えてくけるわけではなかったけれど、今まで見たことのない時間帯になると、知らなかったタレントの出演情報や、昨日のスポーツの結果を伝えてくれた。おかげで、ちょっと雑談のネタが増えたような気がした。もっとも、その頃は彼以外、実際に顔を見て話す相手はいなかったけれど。

PCの画面と向き合いながら、テレビをつけっぱなしにして仕事をしていると、時刻は常に把握できる。10時になり次の番組がはじまり、11時になりまた次の番組がはじまる。平日は毎日おなじ番組を流しているのだから、仕事のリズムがテレビにコントロールされているような気がして、不思議だなと思ったこともあった。

お昼になると、ちょっと買い物にいく。その日のお昼ご飯の材料を、その日にスーパーで買えるなんて、不思議な感覚だった。それまでは土日に買いだめした食材を作り置きして、平日食べていたのに、在宅勤務になって、家から徒歩3分のところにスーパーがある環境のおかげで、お昼から新鮮なお刺身が食べられたりする。

18時に定時が来ると、仕事が片付いた日は、その瞬間から大好きなおうち時間がはじまった。昼休みの間に仕込んでおいた料理をテーブルに並べて、ビールを開ける。おつかれさまでした、と自分で自分にいう。

夕食を済ませ、おふろに入って、髪を乾かしてもまだ8時すぎ。オフィスに通っていた日々は、帰宅したら9時。ベッドに入るのは11時半。それが日常だったのだから、有り余るような時間に驚いたものだった。でも、とても充実していると感じた。

そんなわけで、わたしの在宅勤務はイコール快適な勤務状況だったのだが、その快適さに落とし穴があることに気付かされたのは、3か月後のことだった。

「ねえ、なんか最近狭くない?」
ふたりで身を沈めた浴槽の中で、わたしの体に背中から手を回した彼がそういったのだ。
「え? そう?」
「ほら、なんかちょっとおなか出てきたんじゃない」
彼は笑いながら、お湯の中でわたしのおなかをつまんでくる。
「ちょっとやめてよ、くすぐったい」
わたしも笑って返した。そしてふと、自分でもおなかに手をやってみた。

あれ? あれあれ?

おふろから出たわたしは、開口一番彼に宣言した。
「糖質制限する」
彼は首からタオルをぶら下げて、冷凍庫でキンキンに冷やしたビアグラスにビールを注ぎながら、どうしたの、といった。グラスはふたつ並んでいたけれど、わたしはさっとひとつを奪い、「ビールじゃないのにする」といった。

彼が先に浴室を出たあと、わたしは体を拭くとヘルスメーターを取り出した。ふだんはめったに使わないから、脱衣所の隅っこに押し込むようにしまってあったやつだ。これは何もわたしが自分自身に興味がないわけではなく、こんな状況になる前は、月に2、3度はサウナ付きの温泉施設に通っていたからだった。そこで体重計に乗る習慣がついていたので、逆に家では使わなくなっていた。

デジタルな数字を見ながら、わたしはこの3か月を振り返った。朝起きて、シャワーを浴びて、朝ごはん食べたり食べなかったり。でも食べるときはトースト1枚に目玉焼きとサラダをコーヒーと一緒に。食後にはヨーグルトも食べていた。しかもお気に入りのりんごジャムをたっぷり載せて。

それからPCを立ち上げて仕事をはじめる。お昼が来たらご飯を作って食べる。ときには、近くの洋食屋さんにいくこともあった。営業時間に制限が設けられた中で、がんばっているお店に少しでも貢献したいという気持ちもなくはなかった。それからまた仕事。夜が来る。ごはんを食べる。

ごはんの時間が来ると、おなかはちゃんと空いていたから、特に何も考えずにすごしていたけれど、あまりにも動いていないことに気付いた。これって絶対的に運動不足、栄養過多じゃなかろうか。そもそも、日によっては家から一歩も出ていない。

「3か月以内に5キロ落とす」

わたしはそう宣言したのだ。

それから公約の3ヶ月が経って、わたしの体重は元に戻った。糖質制限を意識したのはもちろん、朝起きたらシャワーの前に1時間ウォーキングをする習慣をつけた。もともと、1時間かけて通勤していたその時間を運動に当てたのだ。

歩きはじめると、いろいろと面白いことに気付いた。家から徒歩10分もしないところに、わたし好みのカフェを見つけた。駅とは反対方向にあったから、今までいくことがない場所だったのだ。早朝から営業している八百屋さんに、開店は午後だけど素敵な雑貨屋さん、大きな神社に、こじんまりとした美術館。この街に住んで5年以上たつけれど、知らないことがこんなにもあったんだ。その後外出の制限がなくなってから、彼とは何度か訪れた場所ばかりだ。でもその存在を知ることができたのは、在宅勤務にはじまった、環境とわたし自身の変化のおかげだった。

それからも何となく、糖質制限は続いている。もちろん、まったくごはんもパスタも食べないわけではなく、減らす意識をしているというだけなのだけれど、その意識がわたし自身の気持ちの安定につながっている気がする。やっぱり、あの日ヘルスメーターの示した数値は、自分自身、ちょっとショックだったんだと思う。世間の様子に合わせて、在宅勤務の回数は減ったけど、朝のウォーキングも続いている。

「ポテサラ食べたいなぁ」
彼がまた、何の気なしにそういった。わたしはわかったよ、と答えた。

「うまかったぁ」
彼は嬉しそうだ。

レンジにかけたじゃがいもの皮を剥いてボウルに入れたら、熱いうちにマッシャーでつぶす。そのときに少しだけお酢を入れる。これでマッシュすると、じゃがいもがなめらかな仕上がりになる。

薄く切ったきゅうりは塩を振って少しおいて、よく絞る。玉ねぎはみじん切り、薄切りのにんじんは電子レンジで20秒。きゅうりとにんじんは、ついでにわたし用に、ちょっと切り方を変えて切っておいた。

つぶしたじゃがいものボウルに材料を合わせて、マヨネーズ、こしょう。これが基本の味付け。塩はきゅうりの水気を出すのに振った、その塩味をそのまま活かす。アクセントに入れるフレンチマスタードが深みを出してくれていると思う。

「いや、ほんと、今日のポテサラ最高だったよ」
「それ、メインじゃないんだけど」
「あ、ハンバーグもうまかったよ、ほんと、うまかった」
「お味噌汁は?」
「最高だった。何ていうの、ほっとするよね、味噌汁あると」
「ごはんは?」
「え? いや、美味しかったよ。ほくほくしてて」
「お漬物は?」
「え? それは買ってきただけだろ」
「切ったよ」
「あ、切り方がよかった。何ていうか、俺の好きな厚さだった」
「じゃあ、ビールは?」
「冷えてた」

わたしたちは同時にふきだし、それからわたしのハイボールと、彼のビールのグラスを合わせて、自然な流れでくちびるも合わせた。

ふたりでふきんを手にして、ひととおり洗い終えたお皿を拭いていると、彼がいった。

「あのさ、美味しそうだったよね」
「何が」
「いや、そっちの食べてたやつ」
「ああ、あれ。でもポテサラが食べたかったんでしょ」
「うん。でも美味しそうだった。ひと口ちょうだいっていったのに、くれないんだもんな」
「だって、ポテサラが食べたいっていったじゃない」
「そうだけどさぁ」

ポテトサラダは美味しそうだなと思ったけど、わたしはそれでも糖質を制限したサラダを自分用に作ったのだ。彼はそのことをいっている。

そして、わたしは彼のためのポテトサラダを、作っているときにひと口味見したけれど、わたしの分の糖質制限サラダは、彼にはひと口もわけてあげなかった。

だってそうでしょ。わたしが作ったんだから。それくらいは大目に見てよね。

🥗糖質制限ポテなしサラダのレシピ

🥒材料
・きゅうり
・にんじん
・玉ねぎ
・塩
・マヨネーズ
・フレンチマスタード
・こしょう

きゅうりは5mmくらいの厚さに切って、塩を振ります。30分ほど置いてから、しっかり水を絞ります。手の中でぷちっときゅうりの皮がはじけるくらい、思いきって絞ってOKです。ちょっとストレス発散にもなるかも。

にんじんはサイコロ状に切って、電子レンジで1分弱加熱します。竹串を刺して、ちょっとだけ手ごたえがあるくらいが理想。玉ねぎはみじん切りにしておきます。

下ごしらえした野菜をボウルに入れたら、マヨネーズとフレンチマスタード、こしょうを投入。

よく和えます。

これで糖質制限、ポテ抜きサラダのできあがりです。

きのう、彼は泊まらなかった。けさ一番の出張があるからだという。世間は少しずつ、日常を取り戻しはじめているんだな、出張という言葉に、わたしはそう思った。

1時間ウォーキングして、そろそろ彼は新幹線の中かなと思いつつ、朝ごはんの準備をはじめた。サラダは昨日多めに作っておいた。朝の貴重な時間、食べる前に準備するのは面倒に思うので、きのうの自分をちょっと褒めてあげたい。

食パンをトースターに入れて、焼き上がりを待つ間にサラダを盛りつける。

ひと口つまみ食いしてしまうのは、いつものこと。うん、ひと晩冷蔵庫で仮眠したサラダは味がなじんで、昨日より美味しく感じる。

こんがり焼けたトーストに、バターを塗って、コーヒーをカップに移す。サラダをひと口。そしてつぎのひと口はトーストの上に載せた。

いい朝ごはんだった。ポテトサラダのリクエストがなければ、作ってなかったサラダだ。だって、けっこういろんな野菜を材料にするのだから。ひとりだと、結局面倒だという理由で作らない。そんな種類のレシピだった。

お皿を洗いながら、はっと気付く。

あれ?

糖質制限とかいって、じゃがいも抜きのサラダを作ったのに、トースト食べたら意味ないじゃん。

わたしは思わず、ふきだしてしまった。けど、いいよね。ポテサラに満足して、彼は機嫌よく帰ったし、わたしの朝ごはんは充実した。それにそもそもトーストは朝の定番なのだ。

食事の意味なんて、食べるそのときに、食べる本人が見つければいい。

彼にとってきのうの夜はポテトサラダが美味しい夜だった。大好物のハンバーグより、わたしにおねだりしたポテサラが、なにより美味しかった。

今朝のわたしには、そんな彼がひと口ほしかったといった、糖質制限サラダがごちそうなのだ。うらやましそうな彼の口ぶりが忘れられない。

今度はあのサラダをおつまみにしようね。

スマホのスケジュールを確認する。木曜日に彼は帰ってくる。きっとその足でこの部屋に来るだろう。お土産に、わたしの好きな何かをぶら下げて。それは本当にわたしの好みかどうかは大きな問題じゃない。彼が、きっとこれは気に入るだろうと、推測してくれることが大事なのだ。

水曜日の夜、余裕があったら、きゅうりを塩もみしてみよう。にんじんをサイコロ状に切って、玉ねぎをみじん切りにしてみよう。

だって、このサラダは、ひと晩冷蔵庫で寝かせると、とってもよく味がなじむのだから。

今朝もPCを立ち上げる。月曜日の日常がスタートする。今夜は何を食べようか。そんなことを考えながら、わたしはログインパスワードを入力する。

(了)

第2話

第3話


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