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失恋から立ち直る方法:あいはかけすて

ふと、ああ、おそらく失恋というか、まったく望みのない一方的な恋い焦がれから離脱するというのは、なかなか難儀なのだなあと、ちょっと他人を見ていて思った。が、これ、心のもちようでうまいこと離脱できるのでは? とも。

だいたいにおいて、誰かを好きになってしまって、その恋愛がまったく実らないっていう場合は、恋愛が実る場合よりも離脱が難しい。なぜなら、相手のことばかりを考えて、行動することが自分の一部になってしまって、相手を失うと、というよりも、今までの自分の想いや行動を失ってしまうのが、とて深い傷に思えてしまうんだよなあ。

平たくいえば、これまでの「投資」を「回収」できないまま、一縷の望みを賭けて逆転を狙うというわけなのだが、もはや自分では負けがわかっているのに、まだ投資を続けてしまっている状況。ストーカーなんて、まさにこうした心理状況から始まってしまうのかもしれない。

で、こうなるともう、「愛」でもなんでもない。もはや「妄執」でしかないんだけれど、ただその妄執はすでに自分の一分になってしまっているからなあ……というわけ。

だから、ここで、「愛」というものの性質を、いったん立ち止まって考えてみてほしい。

「愛はかけすて」なんだよなと。

保険商品で、掛け捨てってあるじゃないですか。掛け金が一切戻ってこないやつ。アレですよ。愛に、自分にとって「利益」になるようなリターンはないのです。親の愛もそう、おそらく夫婦間もそう、相手の喜びが自分の喜びになるのが愛なのであって、相手と付き合いたい手に入れたいやりたい、は、もう愛じゃない。

なので、愛はかけすての保険みたいなもので、いくら想いや時間や、場合によってはお金を投資しても見返りはゼロ。

だから、恋愛でうまくいかないときは「アレ? 自分は相手が好きなんだっけ、それとも相手に投資した時間が惜しくなってるだけなんだっけ?」と考えてみればいいのではないでしょうか。そうなると、実は単に「惜しい」という気持ちだけで行動していた自分に気づく場合があるはず。もしそうならば「愛は掛け捨て」と割り切って、さっさと過去と決別したほうがいいのではないのかなと。

と、『舞いあがれ』で、おそらく小さい頃から舞ちゃんが好きだったたかし君、もしかしたらめでたしかもしれないが、そうではない場合は過去の妄執にとらわれず、さっさと舞ちゃんはあきらめとけ、と。ていうか、舞ちゃんに歌を送ったところで、ハンバーガーうめーな、程度のお気持ちで「ええ歌やなあ」って言うだけだぞw 舞ちゃん、そっち方向の感受性はないんじゃないんですかね、と。

ちょっと形を変えた『舞いあがれ』の感想でした。

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