恩師の考えとフィンランド語と
フィンランド語の発音に関する記事をはてなブログにアップしました。
一部の人はご存じかもしれませんが、私はnoteを始めた当初この手のフィンランド語に関する記事は書かないでおこうと決めていました。
言語学習は粗探しされると言いますか、マウント勢が湧きかねない自分にとっては少々厄介な話題だったからです。
こういった考えでコメントや反論記事を書かれたりしやすいものです。
結構前の記事ですが好ましくないことを書かれたこともありました。
さらに言語以外にもサウナなんかもターゲットになったりしました。
※追記が多いのはそのためです。
もちろん記事内容の誤りならありがたく受け取る意見です。
しかし実際は見当違いなことを言っていたり(文章はちゃんと読もう)、自分本位だったりで真面目に聞くに値しないような話がほとんでした。
自分の書き方が悪かった面もあるので読み手に不快感を与えないよう文面を見直したり、柔らかい口調に書き直したりもしましたが・・。
文才に長けてるわけではないので上手くいったかは不明です。
彼らが何をしたいのかは検討がつきますが相手にするのも面倒です。
そもそも地雷記事を書かなければ面倒な人は嚙みついてきたりしません。
そんなこんなでフィンランド語について、特に学習方法を記事として書くことはしませんでした。
ただある時ふと恩師のことを思い出しました。
自分の中学時代、英語の授業を担当した英語教師です。
彼の名前や顔はもちろん覚えていたのでGoogle検索をかけてみることに。
近況を知ることができました。
英語授業研究会という英語教師のコミュニティ兼勉強会のような組織を1990年から運営されているとのこと。2024年現在でも「英語教育とは」を自問し、活動されていらっしゃるようでした。
かっこいい、自分もこんな風に言ってみたい。まだ貫禄が足りませんが。
当時、英語の授業と言えば文法問題を解いたり単語を覚えたりがメインで、少しリスニングの練習がある程度でした。たまにオーラル(話す授業)もありましたね。かなり昔の話ですが今も座学がメインなのでしょうか?
そんな授業が主流だった当時に杉本先生は割と大胆な授業をしていました。
能動的に動かなければならない授業が多く、眠くなることが少なかった記憶です。※ちなみに自分は興味のない授業は寝てました。
文法などのいわゆる受験英語はあまり教えず、英語の映画を字幕なしで見させたり、授業用ではない日常生活の題材を授業に使用していました。
私は何より机でのお勉強が大嫌いだったので、そういった授業は楽しんでいました。(でも成績はそんなによくなかったですけどね!)
しかしクラスメイトの大半は「受験が不安だから文法の解説をしてほしい」と不満を口にしていました。多くの生徒が不満を言っていたので、もしかしたら保護者から何か言われた可能性も0ではないでしょう。
そんな中でも自分の考えを曲げず授業をしていました。
頑固な人とも見えるかもしれませんが、当時の自分にはそれが信念を貫く人間に見えました。
英語は受験のためでなく、もっと広い視点で学んでほしいとの彼なりの考えがあったのかもしれません。
このような英語教育を40年以上続けられているとのこと。
1980年代から既にそう感じていたと研究会のサイトに書かれていました。自分が生まれる前からと考えたら感慨深い。
周りから理解されなくても、何が生徒にとって大切かを考え、自分でやると決めたことに半世紀近くの人生を捧げている人が私の恩師です。
自分がブログで発信するきっかけは「日本語リハビリ」でした。
そして多くの人に受け入れられなくても、1人でも「ためになった」「情報に助けられた」「面白かった」と思ってもらえるような情報を提供することが目標です。
例えば100人に読んでもらって、1人でもいいと思ってもらえたら成功です。
99人から不評でもそれはカウントするべき数字ではないのかもしれません。
フォロワーは5人が目標、記事のいいね数の目標は5です。
1が成功、5なら大成功、みたいなイメージで書いています。
ありがたいことに最近はずっと大成功の状態が続いていますが、この目標設定が変わることはこの先ないでしょう。
アレな意見を裏でグチグチ書かれようがどうでもよかったんですよね。
杉本先生のように信念を貫きたいと思います。なんだか恥ずかしい気持ちになってきました。
自分が言語に関する記事で言いたかったことがあります。
言葉というものは「人とコミュニケーションをとる」「知見や思想を得る・伝える」手段だと自分は思っています。
海外在住の日本人コミュニティでは現地語が話せる人の方が立場が上、といった認識が一部であるようです。
また周りからの評価だけが目的で勉強したり、高度なことを言っていると見せたいが故にプレゼンで難しい単語や言い回しを好んで使う人もいます。
いつから言語は「自分の能力を他人に誇示するため」のツールになってしまったのでしょうか。
いいえ、鍛えてきた筋肉がそれぞれ違うだけです。
人の優劣はそう簡単に決まるものではありません。
そういったことに惑わされず、自分のためにフィンランド語を学習してほしい考えを元に書いた記事がこちらです。
またフィンランド語を学習する人のために役立ててもらえばと思い、併せてこんな記事も書きました。
興味のある人は読んでみてください。