DAY NINE / 楊貴妃と玄宗皇帝の華清池 #021
中国四大美人のひとりにあげられる楊貴妃。
玄宗皇帝は 楊貴妃に溺れ最終的に唐が傾くことになってしまったわけですが、このふたりがこの世の春を謳歌したのがここ華清池です。風光明媚という言葉があてはまる美しい景観、そこに美人と温泉があれば政治をほったらかしにするのもうなずけます。
華清池・華清宮 入場券
池は本来、温泉を意味するそうです。
入口にある現代風ポーズの楊貴妃像です。最近 出来たそうですが昔の楊貴妃図とは似ても似つかない。
さすが中国、観光名所としてのツボを押さえた写真スポットを用意してくれます。多くの人が記念写真を撮ってました。
さらに華清池に入って見えてくる白い楊貴妃像、ちょっと薄汚れているのが気になります。
3Dマッピングで色を付ければ面白いと思いますが、よく見るとかなり艶めかしく作ってあるので視聴には年齢制限が必要になりそうです。
上の二つはかなり現代風にアレンジされた楊貴妃ですが、下にある歴史的 楊貴妃図と比べてどちらがお好みでしょうか。
これが楊貴妃のお風呂、もう少し石を磨いて美しく仕上げて欲しいなぁとも思いますが、やはりそのままの状態を保管する必要があるのでしょう。楊貴妃の入浴シーンを必死でイメージしました。
これが玄宗皇帝のお風呂、かなり巨大です。
ところで楊貴妃は日本の山口県で死んだという話があります。
まあ真実とは考えにくいのですが、なぜそういう話になるのか?
それは楊貴妃と玄宗皇帝の近くに日本人がいたからなのです。
19歳で遣唐使として唐に渡った阿倍仲麻呂、日本人でありながら科挙に合格し唐の要職を務めたほど優れた人だったようです。李白、杜甫、王維といった詩人とも仲がよかったそうです。
そんな阿倍仲麻呂は、玄宗皇帝に気に入られたために帰国を許されなかったり、ようやく帰れることになった船が難破したり、最終的に唐で一生を終えることになりました。
その阿倍仲麻呂が古里を思って歌った歌が百人一首にあるこの歌です。
「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」
玄宗皇帝は信頼している阿倍仲麻呂に、愛する楊貴妃を日本に逃がすように頼んだ・・・なんていうのは面白いですよね、そんなことから楊貴妃日本死亡説が伝わっているのかもしれません。
華清池は西安事件の舞台としても有名です。階段を上がっていくと 当時の蒋介石の執務室がそのまま保存されており、中には肖像画も飾ってあります。
お約束のオヤジの記念撮影です。
師匠なりの楊貴妃のポーズをご覧下さい。
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