東島カナ
日本で10年選手の作業療法士だった私がイギリスで再就職に励んだ話です。時々更新していきますので、お付き合いくださると嬉しいです。
退屈したときこそ創造だ。聖書のメッセージを素人目線で語ります。
俳句や俳句を通した活動に長年身を投じていた亡き母の想いに近づけるかもと思い、俳句なるものに手を付けてみました。
はじめまして 東島カナ、イギリス在住です。 といってもロンドンのようなおしゃれな感じではなく、地図でいうとイギリスの島の真ん中ちょっと左寄り。白人よりも移民が多い、コーヒーにカルダモンのスパイスを入れて飲んじゃうようなそんな場所。私の英語は、まあまあね。 2020年8月15日、日本は終戦記念日、イギリスは普通の夏の日にnote始めます。 これからここに、ここでの生活、文化、人、クリスチャンとしての視点、そして愛について綴っていけたらと思います。 − 自己紹介として
中高年の再就職、in 英語圏。3年目も終わりに近づく頃、サービス利用者から、「あなたは前の担当者より良かったわ」とか「ここのクリニックがベストだと聞いたわ」とか言ってくれる人がでてきて、今それを心の宝石箱に入れてしみじみと見つめている。
「コントラフリーローディング効果」と呼ぶらしい。 薬学博士の池谷裕二氏の著書によると、 ネズミに、「いつでも食べられる餌」と、「レバーを押せば出てくる餌」の両方を同時に与えると、レバーを押してでてくる方を選ぶ確率が高いそうだ。 これを人間で試すと、就学前の幼児ではほぼ100%でレバーを押すのだそうだ。これがコントラフリーローディング効果と呼ばれているものだ。 簡単に言うと、ガチャガチャの楽しさである。簡単に手に入るものより、少しだけ負荷がかかったほうが物と同時に喜びも得ら
「Ah, 夢から覚めた これからもあなたを愛してる」 ポッドキャストに上がってきたこの曲、GLAYの「BELOVED」。20代の時にどう思ったかは覚えていないけれど、多分その時とは違う想いで今このフレーズを聴いた。 人生において、どの年齢においても恋に落ちる瞬間は訪れると思う。浮き立つ心を抑えながら、どこかでその恋する存在に会える時を心待ちにしている。もっと近づいたり言葉を交わしたり、心を通わせたりしたくなる。 恋する相手は、人間だけではない。芸術や学問かもしれない。ス
「双子語」とか「個人語」とかいう現象があるらしい。 この独特な言語は、生まれてから間もなく周りの人が話す共通語を聞き学習するうちに消失してしまうようだが、それまでは確かに双子の間だけで通じているという。 どうしてこれに興味があるかと言うと、これはもしかするとキリスト教の中で話される「異言」に共通する現象ではないかと思ったからである。 ちょうど今日はペンテコステという、イエスの復活から50日後に起こった聖霊の下りと教会誕生を祝う聖日であった。 その中でよく語られるのが「異
愛を語る人が好きだ。 恋ではなく、いや、恋なんだけど、愛。 愛に落ちる恋。 クリスチャンとして生きていると、時に大きな失恋を経験することがある。それには大抵他人が関わっているのだろうけど。 私も5年くらい前に大失恋をした。まさに胸を引き裂かれる思いだった。共に福音を伝えられると思った仲間と離れ離れになってしまった。そこから学ぶこと、成長するための課題は本当に大きかった。 今はまだ、もう一度あのような恋に落ちる気にはなれない。だけれど、あの感覚が身体から消えることもない
退屈は創造性の土台だ。 私は英国国教会に飽きもせず毎週通っており、毎週聖書の話を聞いている。色々な聖職者の語るメッセージを聞いてきた。興味のあるものもあればつまらないものもある。英語が聞き取れないことも多々ある。と言うより、私が聞き取れない英語を喋りやがる人のほうが多い。 そうすると私はそうそう聴くことを諦め、自分で説教メッセージを考えはじめる。(牧師さんたち、ごめんなさい。) それで、せっかく考えるのだから、たまにはnoteに記録しておくのも良いかと思ってこの記事を書
一冊の本を読むことは、その作者が読んだ100冊、1000冊の話を読み聞かせてもらっているようなものだ。 実に有り難いと思う。私の代わりに古い難しい本などを読んで、咀嚼し、飲み込み、少しやさしい身近な人の言葉になって、それを伝えてくれる人がいる。 近藤康太郎氏 ー 落ち着いた知性・品性、というよりは、真夏の天気のようなピカーッと晴れたかと思えば入道雲と夕立を降らせて埃っぽい暑い湿気を地面から立ちあがらせてくるような語り口。なんだろう、このめんどくさい感じは。 100パーセ
ああ、ヒトという生きものよ。 人間歴も五十年に近づくと、そろそろヒトとして生きることへの喜びや価値を見出し、そこに常々触れていたくなるようだ。 そしてその感覚を精錬するにつれ、折々その高みに昇った時の快楽を味わうようになるなら、私達の人生は幸いと言えよう。 私は歌う人間である。 全くの素人だが、本当に歌うことが好きだ。また歳のことを言うが、今の私の声はもう若い頃のあの爽やかな時代を過ぎてしまった。頬にお尻にいつからかハリがなくなってしまったように、声帯も弾力を失っている
数日前にたまたま夢に母がでてきてとても気持ちが安らいだので、追悼ポエムでも残しておこうと思う。 「真昼の雨」 優しい人たちが私を見て言った、 あなたの笑顔を見るとあなたの母を思い出すと。 母はよく眠る人だった。 のび太か母か、一呼吸で眠りに落ちる名人だった。 目を開けている間の彼女には雨も降らないかのような真昼の光が差していた。 しかし夜が来ると嵐がやって来て、雨戸が軋み、高くて細い音を立てて隙間風が鳴くように、泣いた。 翌日の彼女はまた晴れていた。 彼女が眠ると雨
君の笑みに 母思い出すと 人の言う 母亡き後に里帰りした際、私の笑顔を見た近所の人が母を思い出すと言ってくれて、ああ、母はここで母らしく生きてそして愛されてきたんだなあと思ってありがたかった。
ピラカンサ 刺しつ刺されつ 相生きよ 勢いよく伸びたピラカンサの枝を剪定し案の定その棘に刺されて痛さを思い出したという今日の一句。
私を刺してなんになろうか。 庭の低い植木を剪定していて、何箇所かトゲに刺された。かゆみと赤み、僅かなミミズ腫れが、子猫を飼っている人の手を思い出させた。 その木は私たちが引っ越してきた時に庭にすでに植わっていたもので、濃い緑の小さな葉を一年中つけている常緑低木だ。そして棘だらけだ。密に棘。 横に縦に不格好に伸ばした枝は花も咲かせず実もつけない。なんともつまらないやつだ。 なぜ前住人がこれを植えたのか分からない。フラワーベッドの空いた場所をただうめただけかと思うと更に愛想が
熱いお茶 湯呑み行き来し 冷ます父母 子供の頃、食卓に上がったお茶が熱くて飲めなかった時に必ず父母のどちらかがそのお茶を二つの湯呑みの間で入れ替えながら冷ましてくれた。そういう手間は愛情でしかない。
イギリスにも桜がある。 あるという範囲を超えて、うちの近所では結構どこそこに見られる。と言っても山にはないが。いや山自体がない。というのはウソで、イギリスにある山はせいぜい1000メートルくらいの高さで岩がゴロゴロ、ところどころにHebeや棘のある低木などがところどころにモサモサもさーっと茂っているような山だ。 早くも話がそれてしまったが、イギリスには自然に育っている桜もある。チェリープラムやブラックソーンのような実がなるすもも系の桜である。しかし道端や公園に植樹されてい
夜明けしと 声上げ祝う鳥たちに 誰が昨日を語ろうか イースターの朝、夜明け前の教会に向かう坂道で鳥たちの声が空に舞っていて、その純粋さに今日を生きようと励まされたのです。