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自問自答と決意

私は死にたいけど周りには生きていて欲しい
とか最低なエゴだ。
同じ気持ちを抱えているのに
素直に肯定できない。
自分だって肯定されなくて
苦しんでいるというのに自分勝手だ。
でも、それでも、偽善だろうがエゴだろうが
何でも良かった、
あの人が死にたいなんて思わないような
幸せな日々を送っていて欲しくて。
でも、それは多分叶わない願いで、
この事実が現実が、1番痛いのは苦しいのは
私じゃなくてあの人だ。
あの人が耐えきれなくなって零した言葉。
初めて大切な人の「死にたい」に触れた時
大嫌いだったはずの綺麗事しか
私の頭には浮かんでこなくて。
けど、その言葉を口にしたらいけないことは
痛い程分かってた。
私だって言われて傷付いた人間だから、
あの人を私の無責任な言葉で
傷付けたくなかったし、
何より枷になりたくなかった。
死んだら悲しむ人がいるって有難いことだけど
同時にとてつもなく重い枷にもなる。
枷は空に向かうあの人の足を引っ張り、
あの人の暗い心を更に深い海の底へと
沈めてしまう。
だから、私は自分の気持ちを押し殺してでも
受け止めたいと思う。
最後は「お疲れ様」って言いたい。
上手く微笑むことは出来ないかもしれないけれど
涙を流しながらでも良いから
精一杯の優しい笑顔で「お疲れ様」って。
知らない人から見たらおかしいのかもしれない。
けれど、私は尊重したいんだ。
私の憧れの人。
いつも「吐息ちゃん」って
優しく呼びかけてくれる人。
辛い時にそっと寄り添ってくれた人。
私はあの人に救われたから、
どんな時でもあの人の味方でありたい。
そう思うことは間違っているのだろうか

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