今この瞬間に一番やりたい出来ること

ここ半年くらいの間、結構この状態を意識出来る時間が多い。
いわゆる〈今を生きる〉というやつだ。
「山に行きたい」とか「ジムに行きたい」とか「走りたい」とかが多い。
トイレに行く時でさえ〈あっ、オレ今、一番したい事はトイレに行きたい事だ〉というくらい細かく、〈今何がしたいのか〉を考えている。

でも〈今この瞬間〉より、ちょっと先の〈なりたい自分〉を先に整理したい気分になってきた。そんな事改めて考えることなんてなかったけど、おそらく以前とは別の回答になるはずだ。
ここ数年、それぐらいの人生を変える事件が起こったからだ。

少し先の未来
〈どんな自分になりたいのか〉
〈どんな自分で生きたいのか〉
〈どんな人間に憧れるのか〉
〈どう変わりたいのか〉
〈どう体験したいのか〉

自分のやりたい事を最優先でやれる自分になりたい。〈他人にどう見られるか〉が出てこないようになりたい。そこは絶対ブレたくないとこだなぁ。苦労して手放したヤツだから勿体ない。
後は、時々やって来る宗教の勧誘の人にイライラしなくなりたい。
睡眠を削ったり、焦ったり、追われたりしない生きかたがいい。
でも、何かにちゃんと集中して本気度は高めに生きたい。ダラダラなまけたいわけじゃないって事。本気出してる時って、結構楽しいんだよね。
あとは時々ゲラゲラ笑える自分なら、なお良しだな。

…と考えていたら、ある記事が目に止まった。

ロッククライミング界では有名なアレックスというアメリカ人の記事を見てなんかスゴいと思った。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/060700213/?ST=m_news
ナショジオの記事で見つけた。
有名な岩壁の900mのルートを〈フリーソロ〉という命綱のロープなしで登るスタイルで、世界初トウハしたという記事だった。
記事にある内容にとてもスピリチュアル的なモノを感じる。
記事から彼の生きかたが伺えた。
シンクロが起きて目に止まったモノだと確信出来るような内容で、とても共感出来る内容だった。

実はオレも去年から本格的にロッククライミングを初めて以来、2度ほど〈フリーソロ〉で登った経験がある。オレの場合はたった20mの簡単な岩壁だけど、コノ文章を書いているという事は成功したという証しだ。
〈フリーソロ〉は信じられないくらい高い次元の〈本気〉を味わう事が出来る。
その時は文字通り〈命がけ〉の本気になる。

記事の話に戻ろう。アレックスはクライミング界では有名なトップクライマーなんだけど、社会人としてはダメでちょっとイタい生活をしている。
バンの車で寝泊まりしているみたいだ。
有名になる前からこの人は定職につかず、住所不定、ガイドなどで日銭を稼いで、岩壁に登るを繰り返す日々を暮らしていたみたいだ。
ナショナルジオグラフィックの取材費が入って今頃はバイト無し生活出来るようになっただろうが…。

スポーツは種別により、仕事として収入に換算した時、ステータスがまるで変わる。野球界ではイチロークラスのステータスの〈世界トップクラス〉だが、アレックスは、社会人としては底辺のイタいやつで、絶対女にモテないタイプなのだ。

以前の自分なら〈絶対無理〉な生活だと思っていただろうけど、今ならちょっと気持ちが分かるというか、〈アリっちゃアリ〉な暮らしだなぁと思ってしまう。

オレが共感出来るのは、〈本気度〉の高さだ。
本気度が高い状態を継続していたい…という欲求がある。

〈フリーソロ〉は命づな無しで登るスタイルだから、必然的にとても強烈な〈本気〉が必要とされる。

一度登り始めたら2つの結末どちらかに必ずなる。落ちるか登り切るかだ。
登っているその瞬間ごとに、文字通り人生をベットしてもいいと思えるレベルの〈本気度〉が体験出来るのだ。

何がそうさせるのか考える。
本気になりたいから〈フリーソロ〉で登るのか、〈フリーソロ〉で登りたいから本気になるのか…たぶん、どっちも系の話だ。

本気な状態はとても気持ちが良い。今はそれが理解できるようになった。半年ほど前の〈いちべつ体験〉以来、ずっと続いている〈あっちと繋がってる感じ〉の感覚のおかげだと思う。
あっちと繋がってる時のオレは、常に本気というか、真剣というか、そんな感じで人生を生きている自覚がある。

もしかしたら、それ以前も本気で生きてはいたのだと思うが、チャラいような装いを表面上見せて、ちょっと本気すぎる人はダサいと思ってたりしたこともあった。

ここ数年は、人生の転落期だったから、強制的に本気モードに入れられていた気もするが、今は自分自ら本気モードに浸っていたい気持ちになっている。

本気モードで岩を登る時、オレはとても〈今のこの瞬間を生きている感〉を感じる。本気モードじゃないと登れない…というのもある。

ともあれ、オリンピックの決勝の時の選手しか味わう事の出来ないようなレベルの〈本気度〉が、フリーソロでは味わうことができるのだ。
〈人生を賭ける〉ほどの本気度という事だ。

もちろん山に行くたびに毎回ロープ無しで登るなんて事はしないし、何ヵ月も入念に準備をする。
ロープ有りで簡単に登れるようになるまで練習し、日々筋トレと体重コントロールに本気でいそしむ。
〈フリーソロで登る事〉を目標にすると、全てが命がけになるから、そりゃあ筋トレもかなり本気モードだし、恐怖心を抱かない為の集中力トレーニングも本気でやっている。
筋トレの合間に合掌しているおじさんは、かなりイタい感じに見られているはずだけど気にしていない。
それもこれも命に関わるからだ。
〈他人にどう見られるか〉を考えるスキマがなくなっていく。

記事にあったコメントで、「フリーソロ愛好家はみんな心の中に目指してる岩壁がある」とあったが、オレにもある。

やるかどうかはわからないけど、目標にはするということだ。
皆、他人には言わないものだ。登る時でさえ、誰もいない早朝などの時間を選ぶ。誰にも内緒で誰にも心配させずに1人でこっそり挑むものだ。

世の中には「そんな危険な真似をして、けしからん!命をなんだとおもっているんだ!オレは昔落ちてケガをしている人を見たことがあるんだぞ!自殺する本人はいいかも知れないが周りの人が迷惑なんだよ。」
…と言って、怒りと共に訴えかける人もいた。もっともな正論を言っていて、その証明みたいな理屈を10分ほど追加で述べていた。

気持ちはわかる。オレも以前ならそう思ってたかも知れない。自殺なんてドラマでしか知らない別世界の関係ない話しとして見ていた頃だ。

でも今は生きかたが変わり始めていて、〈やりたい事がたまたま危険な事になってしまった〉という現状をしょうがないのだと受け入れられるようになってしまった。

*〈フリーソロ〉を勧めてるわけじゃないんです

かといって、アレックスのようなバンの車中で寝泊まりすることをしたいわけじゃないが、もしオレがそれをしたくなったら、おそらくそうするのだろう…とも思うのだ。

あとは、時々は元家族の顔が見られる人生を選びたい。
彼らがどんな人生を歩むのか、どうしても気になるからだ。 

あとは山小屋みたいな立地の所に住んでみたいな…とかどうでもいい事ばかり思いつく。

…という事で、少し未来のことはコレでおしまいにする。
次は「今この瞬間」だけに意識を向けるってことだ。ここまで来れば、あとは身体がどう動くのか見ているだけでいい。
そう!オレはこの〈身体が勝手に動く〉感覚で生きている。コレはとても便利で安心感が違う。
あれこれ悩む必要がないからだ。
「もうどうにでもして!」って感じになると、自動で身体が動き出すんだよね。
本気でチカラを抜く感じ。伝わるかなぁ〜。

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