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目標は安心して暮らす

先日山で動物のすみかのような洞穴的な場所を見つけた。周りに〈ケモノ臭〉が漂っていたので、動物の家なのだろうと思った。
動物の家には家財道具がなく、気楽に出入り出来て、共有施設みたいに色んなヤツが雨宿りしたりするのだろう。
家と言えば、オレには持ち家がない。
東京にいると、戸建てを買うのは結構大変だ。オレは将来、戸建てに住むのは無理なのではと勝手に思い込んでいたふしがある。それは〈将来の不安〉とくっついている思い込みだと思う。

将来の自分は安心して暮らす事が出来るだろうか…という不安は、漠然とだけど生涯ずっとあった気がする。
社会人生活で自由なフリーランスの期間が断然長いせいもある。自由を得るための弊害とも言える。

家を買うとかいうのも、どこか遠い世界の話しのようだった。
それよりもその月にたくさん稼いで、沢山使うことの方が性に合っていた。要は〈死ぬほど稼いで死ぬほど遊びたい〉人だった。ジェットスキーとかスキューバとか金のかかるスポーツも沢山やった。沢山の国に行った。

しかし、同時に「一戸建ては無理なんじゃないだろうか?」とか漠然とした不安のような感情が常にあった気がする。

この「不安」の感情をちょっと深掘りして、原因を突き止めたいと思う。
おそらくそれはオレの〈恐れ〉を手放す為に必要だからだ。

そもそも何で家が欲しいのか?どんな家にどんな人とどんな感じで暮らしたいのか?
1人で住みたい訳じゃない。1人なら別にマンションでいい気もする。

家を買うなら、やはり家族がいてこそだろう。戸建ての家とは家族で住むものだ。
なぜそう考えるのか…

子供の頃、家は最も安心感のする場所だったからだ。
いや、最も強い安心感を抱いた子供の頃に住んでいたのが、戸建ての家だったからだ。

…つまり、多分オレは安心感を抱いて暮らしたいのだろう。ただ家を買いたい訳じゃないって事だ。

…つまり将来のどこかで、安心感を抱けるかどうか…という不安を抱いていたわけだ。これはつまらない話だ。

なぜなら安心感は常に簡単に抱けるからだ。
風呂に浸かった瞬間とか、山に行ったり、岩壁を登りきった時は、かなりの強烈な安心感を感じているくらいだ。

今でも充分に安心感のある生活をしているのだ。
だから、未来の不安ではなくて、今の安心感に浸る方が良い。

うん。そういう事だ。
〈今この瞬間〉に限っては、いつでも安心感を得る事が出来るという事だ。

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