記憶の当てにならなさに驚く 南平台の記憶・その2
こどもの頃に住んでいた社宅の敷地に大きなヒマラヤ杉の木が四本あったという話をしたが、ほんとうにそれがヒマラヤ杉だったのかは定かではない。おとなたちがそう言っていたのをそのまま信じていただけだから。松ぼっくりがたくさん落ちてきそうなものだが、それで遊んだ記憶もないのだ。
だがともかくも、背の高い立派な木々だった。
次の写真は、二階ベランダから撮ったものだが、木がニ本写っている。
社宅入り口の門(写真で左手上方に車用の金属ゲートが見えているあたり)を入ると、正面がなだらかなスロープになっており、その右側の平らにならしたところに大きな砂場があった。それを囲むようにヒマラヤ杉が四本あって、たしか途中で
一本枯れてしまったという記憶もある。
しかし記憶とは裏腹に、砂場を取り囲んでいたわけではないようだし、引っ越してすぐのどの写真を見ても、四本いっぺんに写っているものが見つからない。もしかして、もともと三本しかなかったのかしら、と思い始めている。
別の角度から撮った写真にも、砂場の反対側に一本しか木がない。
ダメ押しに、もう一枚。向かって右手の木は一本に見えるが、向こう側にもう一本あるのが手前の木で隠れている。
記憶というのは、自分で勝手に作られて、脳内にそのまま定着してしまうことも多いと聞くが、われながらびっくりだ。
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