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''知る''と''理解する''の違いについて

皆さんは、''知る''と''理解する''には、
違いがあると思いますか?

今回は、私が中学生の時に経験した、
''知る''と''理解する''の大きな隔たりについて
のお話です。




ただの知識は、時に人を傷つける

私がこれを考えるようになったきっかけは、
私が中学校2年生の頃までさかのぼります。




私は生物学的にも、性自認的にも、
男性として生まれ育ちました。
※性自認:自分で認識している性


おそらく、
恋愛的には多数側の人間であると思います。

小学生の時にはクラスの女の子に初恋をし、
中学校では初めての彼女ができ、

と極めて一般的な恋愛経験をしてきたと思います。


そんな私は中学生の頃、
その当時では、まだ世間に浸透していなかった、
一般的とは、言えなかった恋愛経験をしました。


それは、



クラスのある男の子に告白されたことです。


その彼は、私のクラスメイトであり、
いつもつるんでいた、
いわゆる仲良しグループの中の一人でした。


私は衝撃を受けました。


当時、私はLGBT、性的マイノリティのことを
よく理解しておらず、
同性から恋愛感情を抱かれるということに関して、偏見は無かったものの、
それでも衝撃と、不思議だなあ、と感じたのを覚えています。


その時の私は、彼女がいたこともあり、
彼とは友人のままでいたいと伝えました。





私はそれから、「ゲイ」について調べ、
ネットを通じて、なけなしの知識を得ました。

男性が男性に恋をする
女性が女性に恋をする

ということもあるんだ、
と''理解''をし、

私はまた一つ賢くなった、
これで彼の気持ちも理解できる、
と嬉しく感じたのを覚えています。



それから一年ほど月日が経ち、
私は中学校3年生に差し掛かっていました。


その一年間、私は彼とまた、普段通りに話すことができるようになり、
私の何が好きになったのか、を冗談交じりに聞けるくらいには友人としての親密さを取り戻していました。


彼は、後ろの席から見た、私の大きな背中が好きだと言っていました。


私は自分とは違う人の考えを''理解''していることに、
喜びを感じていました。充実していました。

それは、今となって思えば、
優越感とも言えるものでした。


その後、受験の時期に差し掛かったこともあり、
彼とは次第に話さなくなっていきました。





そして、受験がひと段落したある日、






久しぶりに話した彼には、彼女ができていました。






彼はゲイではなく、バイセクシュアルでした。




彼とはその後、なんとなく距離ができるようになり、関わりが無くなってしまいました。





知ることと、理解することの本質的な違い


このエピソードに、''知る''と''理解する''の本当の違いが隠れていると思っています。



✓''知る''とは、

物事を見聞きして、情報として捉える。知識。

「ゲイ」について調べた時の私は、
''知る''ということを経験しました。


✓''理解する''とは、

得た情報を元に自分はどう思うか、を考える。
他の可能性も考える。

中学生の時の私は、
''理解する''というところに達していませんでした。

友人がゲイであること
(その後バイセクシュアルであることが分かりましたが…)
をどう思うか。

また、
ゲイではなく、両性を好きになる可能性を考える。
ということ。



このどちらもできていなかったことになります。



でも本当に大事なのは、+αの部分です。



私は、''理解する''ことの本質は、
この+αの部分にあると思っています。





''理解する''ことより大事なこと


以下は、わたしなりの見解です。



本当に大事なのは、知識ベースで、
''知る''ことを''理解する''ことに
昇華することではなく、



彼自身、彼の考え、彼の感性、、
彼の人間性を理解したいと願い、
「努力」すること
です。


これが、''理解する''の本質的な部分であり、
''理解する''ことより大事なこと
です。



彼がゲイであるか、
バイセクシュアルであるか、
それは、この際関係ありません。




もっと言うと、
実際に理解できるかどうかは関係ないのです。




彼の恋愛観や人生観、悩みなどを聞き、
共感したり、議論したり、時には喧嘩したり、

そうして彼自身を理解することができれば、

別に彼が誰を好きになろうが関係なく、

本当の意味で理解し、

彼にとってかけがえのない人間になることができたかもしれない。
今でも仲良くすることができたかもしれない。



私が本当に''理解''したかったのは、
LGBTや性的マイノリティの人間ではなく、


彼という人間、彼自身でした。



''理解する''とは、そういうことだと思います。








グループ分けが理解を阻害する

世の中には、国家、宗教、性別、等々の様々なグループ分けが存在します。

これは、人間が社会性を持った生物であることを如実に表しています。


一方で、このグループ分けには、デメリットもあります。

それは、
他のグループに属する人間と接する時に、
偏見固定観念を持って接してしまうことです。




✓イスラム教の方は、豚肉だけ食べられない
✓TVのオカマタレントは、ゲイかバイセクシュアル
✓外国人はみな英語が話せて社交的



''理解''していれば、
すべて偏見や固定観念であることはすぐにわかります。



でも、''知識''を持っているだけであれば、
偏見や固定観念を拭い去ることはできません。




私にはイスラム教の友人が居ますが、彼と最初にお話した時は、
私の偏見のせいで彼に大変失礼な物言いをしてしまいました。



知識だけを持ち、それにあぐらをかいていた結果です。




これらの偏見や固定観念は、
相手を理解しようとしているのではなく、
知識のみを知ろうとした結果です。




大事なのは、属するグループを知ることではありません。
その人自身の人となりを理解することです。





その人自身を理解しようと努めれば、
必要な知識は後から死ぬ気で勉強するようになります。

宗教や性別なんてものは、些細な問題です。



今でもそのイスラム教の方とは連絡を取り合っています。


彼自身を理解したいと願い、行動した結果だと思います。



最後に

誰かを理解しようと努力する姿勢は、それだけでも尊いものです。


上述のように、

理解しよう理解しようとするたびに、
私は様々な失敗をしてきました。


でも、その失敗があったからこそ、
今の自分の考えがあるとも思っています。



だから、
皆さんも、失敗を恐れず、
誰かを理解しようとしてみてください。


繰り返しになりますが、
実際に理解できるかどうかは関係なく、
誰かの人間性を理解したいと願い、
「努力」すること



これが、一番重要で、尊いものだと思います。




そうすることで、
今度はあなたを理解しようとしてくれる人が
周囲にたくさん溢れていくのだろうと思います。



また、世の中の人全てが、そう考えることができたら、
グループ分けなんてものは無くなるのだろうなあ、
と思うのでした。




以上、''知る''と''理解する''の違いについて、でした。





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