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イメージの世界に行くこと 描きたいものを見つけること

こんにちは、こんばんはtoga.shiです。
アートセラピーで自分自身や他者を受け入れる経験を作っていくことが目標です。

昨日は天気が悪い中、車の運転をしていたのですが、虹をみることができました。いいことありそうですね。それでいいよって応援してくれていると思って、無理せずにやっていこうと思います。

変な話をします。パステルアートを描くとき、私は描き方を伝えて、見本をみせながら皆と一緒に描くんですけども
「僕はそうは描きたくありません」とか「私はこう描きたいんですけど」って言われることがあるんです。そういう言葉をきくと、私は嬉しくなるんです。どうぞどうぞ、描きたいように描いてみてください、と言ってしまうんです。
つまり、私が示した描き方や見本に捉われずに、その人がそれを乗り越えていこうとする力が見えると、そっちの方を断然応援したくなるんです。じつは、私は、私の示した枠組みを破ってほしいと思っているんだなぁ、それって面白いことだと思うんです。

ある時、海の絵を描いたんです。見本は、海があって、波があって、雲があってカモメが飛んでいる絵でした。典型的な「ザ・海!」、と言う感じの見本でした。で、Aさんはすごく集中して海の色を塗っていたんです。はっきりとした濃い色で。それでこう言いました。「カモメは描きません」と。
私が「どうしてカモメは描かないんですか?」ときくと
「僕の見ていた海にカモメはいなかったからです」と言ったんですね。
お話をきいてみると、横浜の方に住んでいたことがあったそうです。その時、Aさんはよく海を見ていたそうなのです。その時の海をイメージして眺めながらこの絵を描いていたわけです。つまり、Aさんは絵を描きながら、私の見本の絵から抜け出して、思い出の横浜の海のイメージの中に行っていたわけです。
それで私は「Aさんが、カモメを描かなくてよかった」と思ったんです。海の、リアルな経験の思い出が、典型的な「ザ・海」の見本のイメージに勝ってよかったなと思ったんです。それをきっかけに、Aさんの過去の暮らしの話が聴けてよかったと思いました。

で、また考えたんです。それじゃあどうして私は、パステルアートの見本や描き方という枠組みを作っているんだろう、と。その枠組みを乗り越えてほしいなら、そんなものは設けなくて、自由に描いてくださいってやればいいのに、それをしないのはどうしてだろう。と。

そんな経験を友達に話して考えてみたところ、どうも、その人が本当に描きたいものにたどり着くための、踏み台と言うか、ジャンプ台のような役割が、見本や描き方の枠組みにはあるんじゃないだろうか、と気づいたんです。
長くなりそうなので、この辺の話は次回にしますね。
今日も読んでいただきありがとうございます☆

パステルアートの描き方動画
(まだはじめたばかりで模索中ですが、描き方を紹介しています)
https://www.youtube.com/channel/UClSvJ4c8cHldWi6BOTBarDg

インスタグラム
https://www.instagram.com/toga.shi.y

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