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空地

小学校低学年までバス停から徒歩20分もかかる不便な場所に住んでいたせいか、遊び場に困ったことがなかった。辺りは梨園やリンゴ畑に田んぼ、雑木林に竹藪といった具合。収穫期が終われば梨園やリンゴ畑は自由に出入りできたし、枯れ枝を集めて勝手に基地を組んでも近所の大人は文句ひとつ云わなかった。高学年になり行政の方針転換の影響を受けて転校を余儀なくされ、駅前の小学校へと移り家も駅前へ引っ越した。すると同じ市内だというのに環境は一変した。空地がどこにも見当たらなかったのだ。



遊ぶ場所といえばせいぜい学校の校庭か公園ぐらい。校庭は時間で締め出されるし、公園はやってはいけない遊びが多すぎる。自由に遊んでいたぼくは行き場を失い、仕方なく「水戸黄門」や「遠山の金さん」などTVの夕方の再放送番組を観るハメになった。もちろん東野英治郎と杉良太郎である。幸い姉が同級生から仔犬を連れてきて飼いはじめたので、また犬を連れて出かけるようになったが、あのままでは危うく小学生にして時代劇の解説者になるところだった。



子どもが自由に使える空地は、社会の寛容さや自由度を測るモノサシではないだろうか。空地に土管という「ドラえもん」に登場する昔の鉄板風景は、いまや絶滅危惧種である。遊び場としての現在の公園は、まったくその用を足さない。ここではボール遊びをしてはイケマセン。縄跳びは危ないからやめなさい。かくれんぼも危険です。いったい何をして遊べというのだろうか。こんな環境ではジャイアンは歌の練習ができないではないか。




20年ほど前に購入した中古住宅は、当初周囲に畑と空地と公園とまばらな住宅しかなかった。風が吹けばガタのきているサッシから土埃が室内に吹き込み、食事前に食卓を拭くと布巾が土だらけになって、そのあまりの黒さに大笑いしたものだ。
それが、20年の間にあれよあれよと建売住宅が立ち並び、いつの間にかいっぱしの「閑静な住宅街」となってしまった。




しかしながらありがたいことに、近所には広大な田んぼや畑それから空地と管理のゆるいグランドがあるおかげで、我が家の子どもたちが行き場を失うことは今もってない。そこに土管こそないが、巣ごもりを余儀なくされる世情で、自由に散歩や運動ができる環境は本当に価値のあることだろう。




空地の様な「余白」を許さない社会は、子どもたちだけでなく大人たちをも苦しめるということがコロナ蔓延で得た教訓だろう。土地を市場原理にまかせたままでは、想定外の事態に対してまったく融通がきかない。競争がすべてを進化させる装置であるという思い込みは、すでに破綻しているのだ。
ゆるい余白と無駄こそが、ポストコロナの時代に生きるミソではないだろうか。




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