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『アルケミスト』『ベロニカは死ぬことにした』感想文とか

下らないニュースを探してマジメに書くよりも、本を読んで好き勝手書く方が性に合っているような気がしてきた今日このごろ。


そういえば、こういうのを世間では「評論」と呼び、「評論」する人間のことを「評論家」と呼ぶようですが、
私が村上春樹が嫌い(というよりハルキストなるものが嫌い)と以前書いたのは皆さんご存知の通り。

そんな評論家で思い出したのですが、私と同じく村上春樹が嫌いで「村上春樹の小説は結婚詐欺」とまで言い放った、蓮實重彦なる「評論家」が書いた『伯爵夫人』という本を、前にAmazonで買って読んでみたのでありました。

そん時の注文詳細。296円もした。

んで、この三島由紀夫賞を受賞したとかいう本、まっっっっっったく面白くない!!
よくもこんな駄文が書けたなというレベルの、スポーツ新聞に載っているエロ投稿にも及ばない時間つぶしにもならないシロモノで、
村上春樹の小説の方が1,000,000,000,000,000,000倍マトモなのでありました。

肉欲をテーマにした話なら、野坂昭如の『マリリンモンロー・ノーリターン(歌じゃなくて小説の方)』の方が断然面白いし、

もし早稲田の学生やOBが、この蓮實某が書いたクソ小説と野坂昭如や村上春樹の小説とを引き合いに出し、
「どうだどうだ、東大なんかより早稲田の方が優れているだろう」
と言ってきたら、「それは君、十把一絡げというものだよ」と言うことすらできず、何の反論もできずに黙る他なくなる程の低レベルなのであります。

コンディション説明の通り、本の状態は「非常に良い」だったのですが中身は最悪そのもので、「何が非常に良いだバカヤロー!」とその日のうちにゴミ箱に叩き込み、

「こんなのが三島由紀夫賞だなんて三島由紀夫もナメられたもんだな、こんなボケ老人がかつては東大総長だったなんて信じられない!!伊丹十三も北野武も、こんなクソジジイの戯言を聞いてただなんて世も末だ!!こんなカスが言いたい放題抜かして大手を振って生きていられるなら、そら村上春樹がノーベル賞とる方がよっぽどマシだわ!!」

などと怒りに打ち震えたのでありました(公開する為に表現をソフトにしております)。

万が一、蓮實某本人やその取り巻き連中がこれを読んでいたら、私の前で「お目汚し大変申し訳ございませんでした。どうかお許しください」と謝罪するとともに、296円返して。

そして、村上春樹大先生におかれましては、是非ともノーベル賞とって蓮實某にF*CKサインをかましてF*CKIN' C*NTと言ってやってください。

『アルケミスト』

そんな非常に私らしからぬ、お下品なことを書いてしまいましたが、気を取り直して今回「評論」するのは、まずパウロ・コエーリョの『アルケミスト』という本。

なんか引き寄せ界隈では有名な本で、私も引き寄せにハマっていた10年くらい前に図書館で借りて読んだことあるのですが、オチくらいしか覚えておらず、この度また図書館で借りて読んでみることにしたのであります。

で、読んだ感想を正直に「評論」すると、

  • 初っ端に金を盗まれてから錬金術師と出会う前あたりまでは良かった。特に「人生の出来事は起きるべくして起きる」は本当だから。

  • 「3日のうちに風を起こす」の箇所は、結果的にワンネス的なものを表現したかったのだろうが、あまりにヘボ過ぎる。もっと他に表現方法なかったんか。

  • その後の錬金術師が金を精錬してパカッと分けるのも、何か物語がチープになっただけな気がする。

というもの。

特にあの風を起こすために風やら太陽やらと話をするシーン、私の大好きな『よだかの星』をパクった上に極度に劣化させただけのような印象を受け、なんか精神をレ○プされた気分になりました。

というか、これだけの短文でこれだけの物語を描くことができる宮沢賢治が天才すぎるだけなので、はからずも『よだかの星』を連想してしまった私が悪いのだけど…

悟りは限定的なもの、制限されたものではない

加えてこの『アルケミスト』、終始パン屋やクリスタル屋といった人々を見下した様に書かれておりますが、パン屋にはパン屋の悟りが、クリスタル屋にはクリスタル屋の悟りがあるので、作者はその辺が全然分かっていないな、という印象。

「全てが一つ」や「マクトゥーブ」、そしてラス前に出てくる「神の魂はまた彼自身の魂であることを悟った」という梵我一如的な悟りは、「選ばれた者」の特権ではないのであります。

一例を挙げると、世界史の教科書にも名前が出てくるカビールはどうでしょうか。

『アルケミスト』的にいえば、カビールは「生涯を織物工として過ごした、冒険しなかったかわいそうな人」になるのだけど、全くそうなっていないじゃありませんか。

以下カビールに関する、美しい物語の引用。

カビールはその生涯をヴァラナシ、ヒンドゥー教徒にとって最も神聖な都市で過ごした。ガンジス河のちょうど向こう岸に、マガハールと呼ばれる小さな村がある。ヴァラナシで死んだ人は楽園に行きマガハールで死んだ人はロバになるという考えがどうやって広まったのか私は知らない。マガハールはガンジス河の向こう岸にある。

死期が近づいたことを感じたカビールは、友人たちに言った、「マガハールに連れていってくれ」 
彼らは言った、「気は確かかね。マガハールで死にたがる人なんかいないよ。あそこで暮らしている人たちは年中恐れているんだ――死ぬ前にここから逃げ出さなければならない、と。君は一生をヴァラナシで過ごしていまや、いよいよその時が来たというのに、マガハールへ行きたいと言うのかい。マガハールで死んだ人がロバになるというのは君もよく聞いているだろう」
 
カビールは言った、「私の言うことを聞いてくれないのなら、マガハールまで歩いていかなければならない。だがガンジス河であろうと神であろうと、私にはこれっぽっちの負い目もない。もし私が光明を得ているのなら、私はヴァラナシでも光明を得ているし、マガハールでも光明を得ている。私が先例になろうではないか。なぜなら、気の毒なマガハールの人たちは何百年にも渡って非難されてきたからだ。私はマガハールで死のう。というのも、私が死んだ後ではマガハールで死んだ人はロバになるとは言いにくくなるからだ。少なくともカビールにはそれを言うことができない」

カビールはマガハールで死んだ。彼はそれを変えた。いまでは誰もマガハールで死んだ人はロバになるとは言わない。むしろ反対に、カビールを愛する多くの人びとがマガハールに住んでいる。マガハールはカビールの信奉者たちの聖地になった。

『光明を宣言しなさい』OSHO

本書の作者パウロ・コエーリョの名や物語が残るのは長くともせいぜい彼が生きている間と少し、110弱かそこいらだろうけど、カビールの名とその物語は既に500年超残っているで。

だから何だていう話だけど、「悟り」という概念に制限をかけたり選民思想を結びつけているものの何と多いことか!

こういうアルケミストみたいな話を盲信して、「そうだ!学ぶには行動が全てなんだ!」「パン屋やクリスタル屋は人生という冒険を諦めた負け犬なんだ!」とか言い出す連中こそが、
『かもめのジョナサン』4部に出てくるカモメ達と同様の愚か者で、悲しいかなそういう方が多いというのが実情なのであります。

まあでも読みやすい本なので興味ある人は読んでみてはいかが。

「あのオチは昔からある」「『日本昔ばなし』にも同じ話がある」なんてネット上には散々書かれていて、実際そうなんだろうけど。

『ベロニカは死ぬことにした』

お次に「評論」するのはこれ。パウロ・コエーリョつながり。図書館には無いのでわざわざ買って読みました。Amazonではなくてメルカリで。

なんか↓にはAmazonのアフィリンク貼っている(必要な理由は後で判明する)けど、最近は本だろうがCDだろうがメルカリの方が安いし状態も良いのでメルカリで探しております。

やっぱ時代はメルカリだね!メルカリ万歳!!!(テーマのためのステマ)

そんなメルカリで見つけた本書ですが、まず何でこの本選んだかというと、なかなかキャッチーなタイトルだったから。

筋書きとしては、特に理由もないけど死にたくなったベロニカが、クスリをODするのだけど未遂に終わっちゃう、でもODの影響で死ぬまでのタイムリミットができました、というもの。

で、肝心の中身はというと、タイトルおよび筋書きに反して、読んでみるとちっとも面白くない。
オチも「やっぱりな(レ」という感じで白けてしまう。

あとクライマックスが

い、い~くぅ~いくいくいくいくいくいくいく…お゛ぉおおおおおおごお゛ぉおおおおおぉ…あ~い~ちゃんちゃちゃちゃんちゃん!あ゛っ

出典不明

という感じで、「何やこれ一体…こんなんで興奮すんの?」となるのであります。いやマジで。

あえて良いところを挙げるとすると、118ページから始まる入院患者の会合で語られていたナスルディンの話くらいですな。いやこの話はためになりましたわ。私もナスルディンの如く、このような道化を演じているのであります(迫真)
あと弁護するなら、冒頭の『伯爵夫人』なんかよりは1,000,000,000,000倍読めます。

大体、『伯爵夫人』てチャップリンの遺作やんか。チャップリン初のカラー作品、かつ初めてのチャップリンが主演じゃない作品だったという。

こっちもこっちで見ていてちっとも面白くなく、途中で寝てしまった覚えがあります。
同じくチャップリンの演技指導中に居眠りしちゃった主演のマーロン・ブランドは『ゴッドファーザー』まで干される羽目になったという、誰も得しない作品でありました。

私的にチャップリンといえば『サーカス』『街の灯』『モダンタイムス』『独裁者』の4大々傑作で、『独裁者』ラストのスピーチで全エネルギーを使い果たして燃え尽きた、なので以降の『殺人狂時代』も『ライムライト』もあまり面白くない、という印象です。

表紙が悪い

そんな感じの本書なのですが、内容より何より、
「本書の『表紙』のせいで読むのに非常に困惑せざるをえなかった」
というのが正直な所なのであります。

一体どういうことかというと、メルカリで購入した(しつこい)本書の下記写真をご覧になれば一目瞭然。

見える見える…

上記のAmazonアフィの画像は新デザインになっておりますが、旧表紙のデザインはこんな感じで、本書の舞台は南欧スロベニアなのに、なぜか南米系を思わせる顔立ち…

というか東アジア、特に中国では国営放送に出てくるほど大人気な「某有名人」にどことなく似ており、しかもベロニカの年齢は24歳…

謎はすべて解けた…!
真実はいつもひとつ!
表紙が新デザインに変わった理由はこれだな!

こんなんさぁ!!連想するなという方が無理じゃんこんなのッッッ!!!!

よって、終始頭にチラついてどうしようもなかったのであります!!!

ということで今回の「評論」は以上。

真面目な本も見つけて読んでいるので、たまには本気で真面目な記事も書きたいのだけど、
昔からそういう記事は「私」ではない私が、「私」の身体を通して書いているので、そうならないと書けない、
色々な思考が色々な妨げとなり、「妙修を放下すれば、本証手の中にみてり。本証を出身すれば、妙修通身におこなわる」という「本証妙修」「修証一等」の境地になかなか気付けない、たまには気付くけど。
などという苦しい言い訳をしつつ、今回はここまで。












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