【SS】けっこんしようよ


「ニュースみた? また違憲判決だって」
「見た。まあ、分かってたけどね」
 待ち合わせて、喧騒に塗れた居酒屋に入り座るか座らないか、の瞬間、美羽はため息混じりに切り出した。
 その話題は出るだろうと踏んでいただけに、思わず苦笑いをしてしまった。
「分かってたけどってさ」
 もう、と頬を膨らませる美羽はそんなことを言いながらも、空腹なのか、メニュー表を取り出して眺めている。
「合憲になったからって、そんな直ぐにどうこう出来る問題でもないしさ」
「でもさぁ……とにかく、今日はやけ食いだよ」
 焼き鳥が美味しいという店なので、とりあえずと串盛りやらビールなんかを頼んで、爆速で来たジョッキを「お疲れ様」と突き合わせる。
 美羽はまだ、うじうじと言っているので、紬は半ば面白がりながらぐいとジョッキの中身を半分ぐらいまで一気に減らした。
「私たちだって結婚したいよ〜」
「はいはい。私もだよ」
 机に突っ伏しながら、泣き真似をして見せるその頭をポンポンと優しく撫でると、更にため息は大きくなった。

 美羽が違憲だの合憲だの、同性婚訴訟の動きにやたらと敏感、というか一喜一憂しているのは二人が付き合っていて、更に同棲しているからだった。
 恋人となって、はや五年。同棲してはや三年。
 お互いに、親戚やコンプラの概念がイマイチな上司からは「結婚はまだしないの?」「いい相手いないの?」と言われるぐらいには、いい年頃だ。
 同性愛がテレビやメディアで取り上げられることが多く、多様化が叫ばれているこの時代。それでも、なかなか、恋人が同性だと言える気楽さはない。
 むしろ表立って言われない分、相手が何を考えているか分からないから厄介だ。要するによっぽどの相手ではない限り、言わない。自然とそういうことになった。
 互いに色々な葛藤を乗り越え、親友やら親やらには報告し、指輪もはめていて、異性カップルであれば、あとは法律上夫婦になるだけ、という状態だった。

 けれど、同性パートナーは、現時点の法整備では結婚できない。

「私は、一緒にいれるだけで、全然いいけどなぁ。今、仕事してるし、結婚っていう制度にあんまり魅力は感じないけど。選択肢は多いに越したことはないけどさ」
 頬杖をつく。結婚できることに越したことはないけれど、紬はさしたる問題だと思わないのだ。紙を一枚提出しようがしまいが、一緒に暮らしている事実にはかわりない
「選べない状態にあるっていうのが、そもそも間違いなんだと思わない?」
「そりゃあ、まあねぇ」
 串がついたまま齧り付いていく様子を見て、確かに、と唇だけで呟く。
「あー、もう、むかつく!」
 こうやってみると、結婚を夢見てやさぐれている、どこにでもいそうな女だというのに。
 きっと独身だからと人の仕事を引き受たり、押し付けられたりして、残業。帰りにコンビニでスイーツとゼクシィを買っていって、店員にスイーツゼクシィとあだ名をつけられ、三ヶ月に一回ぐらい、重たいゼクシィを紙ゴミに出しているような、そんな様子がありありと目に浮かぶ。
 ハンコ入れやら、ポーチやらで、それゼクシィの付録? と言われると、まだ何を言ったわけでもないのに、付録だけ欲しかっただけだから! と先んじて、大きな声で取り繕うように言うところまで目に浮かぶ。
 まあ、ほとんど事実だが。
 実際に、彼女の結婚願望はそれなりにあって、たまにゼクシィも買ってくる。
 不用意なことを言えば、きっとゼクシィの背幅で殴られるから、何も言わないけれど。
「なに、しみじみ頷いてんのー?」
「んー? いや、可愛いなって思って」
「何それ。店員さん! ビール、お願いします!」
 結婚したいなんてロマンチックなことを言うくせに、こうやって可愛いと言ってもさらりと流す、その温度差に酔いも手伝って妙にツボに入ってしまった。
 いや、結婚はロマンチックでもなんでもない。美羽にとっては、現実の延長線上なのだ。


「結婚してください」
「だから、まだ出来ないって」
「え、」
 反射的に答えるが、美羽は焼き鳥を口いっぱいに頬張っていて、話した形跡はなく、むしろ目を見開いている。
 その視線を追うように振り返ると、同じく振り返った男性と目が合った。そして、その向かい側に座っている女の人と目が合った。
 女の人は、あ、の形に口を開いて、唖然としている。きっと、あ、じゃなくて、はい、のはの形なのだろう、と分かった瞬間に、全てを理解した。

「うわ、うわわ! ごめんなさい!」
 人の一世一代のプロポーズを自分に声をかけられていると勘違いしたばかりか、横取りした挙句断ってしまった。
 そんなつもりはなかったのだけど、いや、でもどうにかこの状況を脱さなければ、と立ち上がって頭を下げた。

「いやいや、やめてください。この人が、こんなところでプロポーズするのが悪いんですから」
 先に口を開いたのは、返事をし損ねたであろう女性の方だった。
 言われて、それは、確かに、と思わなくもないが、それでも申し訳なさが先立って頭を下げた。
 酔いも手伝って、よろけると「お、おれなら大丈夫なんで!」と焦ったように、手をバタバタとさせた。
 どうやらいい人みたいで、プロポーズの行方はともかく、大きな問題にはならなさそうだった。
 でも、もしこの後、この二人がうまくくっつかない未来があったらどうしよう、なんていう想像が頭をよぎってしまう。
 本当にすいません、ともう一回言うと、これも縁なので、少し話しましょうよ、と誘われて、元々四人がけだった二人のテーブルへと移ることになって、二対二の形で向かい合って座る。

「えっと、返事したってことは、ところで二人はそういう関係なんですか?」
「そうでーす。したいけど、出来ないんです」
「美羽、あんた酔ってるでしょ」
 頭が重いのかぐらぐらしていて、目が座っている。まあ、美羽の酔いはすぐ覚めるから大丈夫だとは思うけれど。
 はは、と女性は笑った。嫌味でも、ぎこちないのでもない笑みで、紬はそれを見てホッとする。
 酔ったとは言え、同性カップルだと簡単に打ち明けてしまう迂闊さが少しは紛れた。
「そっかぁ。今日も、違憲判決出てましたもんね」
「そうなんです。あ、見てるんですね」
「そりゃあ。当事者じゃなくても気になりますからね」
 そう言うものなのか、とはあ、と言う返事ともつかない返事が口をついた。
「そういえば、プロポーズ、どうするんですか?」
「受けますよ」
「え、ほんと?」
「だってこの人、婚姻届、持ってきてるんですよ?」
 カッと、男性の方の顔が赤くなるのが分かった。
 良かった、と思ったけれど、元々彼女の腹は決まっていたのだろう。
 さっき見えちゃって、と女性がくつくつと肩を揺らして笑った。どうやら尻に敷いているのは彼女の方らしい。

「そうだ。これも何かの縁ですし、証人欄書いてくれませんか?」
「え、書いてくれるの!?」
「そのために持ってきたんじゃないの?」
「いや、そうなんだけど、」
 思い立ったが早いか、と言う感じで、カバンから婚姻届を取り上げて、彼女は自分の前のスペースをどうにか確保して、記入欄にサラサラと名前を書いた。なかなかの達筆っぷりで、その繊細そうな見た目からは想像できない豪快ぶりが伺えた。
 その姿にまた惚れ直してしまったのだろう。
 ぽおっとした男性の視線が彼女の方へと向いている。
 完全に、紬たちは蚊帳の外だ。
 書き終えて、はい、と渡されたのを、美羽が受け取って、またもやスペースを確保して書き始める。おしぼりでテーブルを拭いてすぐに紙を置いたから、少し水分を吸っている。でも、それぐらいなんのその、というぐらいには紙は強いらしい。
 こっちは、サラサラとは程遠く、一画一画、魂を込めてると言う感じの書きっぷりだ。紙が破けないかヒヤヒヤしてしまう。
 書き終えて、こちらにパスされる。もうどうしてこうなったのか分からないが、とりあえず、何も考えないことにする。それにしても。

「初めて、婚姻届書いた」
 頭の中を読まれたように、書いてる途中で美羽が口にした。危うく間違えるところだった。でも、本当に。これが、左側の欄だったら、と美羽も思ったに違いない。
 書くだけなら本当に現実味がなくて、まるでテストの答案に名前を書いているだけの気楽さだ。
 これはヒトのものだから、とかそう言うんじゃないと思う。でも、美羽が言った言葉で一挙に実感が湧いた気がした。
 たかが、名前を書くだけで、他人の人生を左右しているという重さ。覚悟がないのに、書いていいのか、と思っている間に書き終えそうになってしまった。
「……何度も書いている人なんてそうそういないから」
「でもでも、数合わせの証人欄なんだけどさ、嬉しいよ」
 そうだね、と言えずに、ぐ、と胸が痛くなった。嬉しい。でもちょっと悔しい。男と女だったら、こうやって酔っ払った勢いで婚姻届だって書けるのに。そして、それが有効なのに。
 そう言う思いをボールペンの先に、載せたからか、最後の方は筆圧がずいぶん強くなってしまった。
 
「書けました。これでいいですかね」
「ありがとうございます」
 満面の笑みで彼女は恭しくそれを受け取った。
「これから出しに行くんですか?」
「うーん、どうかなぁ」
「えっ、」
「もうちょっと噛み締めたいかな、って」
「そっちかぁ」
 なんだか漫才みたいなやり取りをするカップルだな、彼女がボケか、あれどっちだ、と目を細めて二人の様子を見る。幸せ、とはこのことを言うのだろう。
 それからどうでもいい話にしばらく興じた。
 どこら辺に住んでるかとか、パンダって実はそんなに可愛くないんじゃないかとか、アライグマは実は手を洗っていないだとか、実は餃子は皮から作ったことがないだとか。

 そろそろ帰ろうか、となった時だった。
「なんか、偉そうに聞こえたら申し訳ないんですけど」
 彼女は、言おうかどうか逡巡したのだろう。く、と唾を飲み込んでから、こちらをまっすぐに見据えた。
「お二人も早く結婚できたらいいのに、って思います。本当に」
 おれも! と男性も、力強く言った。
 その言葉に、咄嗟に紬たちは何も言えなかった。

「結婚、してもしなくても、一緒にいることは変わらないんですけど……」
 先に口を開いたのは、紬だった。
「でも、二人を見て、結婚っていいなって悔しながら思いました」
 書いていて悔しい、と思うのはやっぱりそう言うことなんだろう。誰かに、世間に堂々と認められたい。誰もが同じようにその権利を享受できた方が、世の中は良くなるし幸せになるに決まっている。

***

「なんか色々考えちゃったね」
 夜風が酩酊した頬を柔らかく撫でる。こうやって悶々とした時、色々考えたい時、家が駅から遠くて良かった、なんて思う。
 きっと朝になったら、遅刻しそうになりながら、文句を言うのだろうけど。
 それにしても、なし崩し的に、変なことに巻き込まれたものだ。あの婚姻届は無事に役所に届けられるのだろうか、それとも。でも、そんなこと紬たちの知るところではない。

「婚姻届、だけでも書く?」
「本当の意味で、書けるようになったらね」
 人通りが途切れたところを見計らって、美羽が手を繋いできた。その暖かさと柔らかさに、息の仕方が一瞬、分からなくなった。
「そうだね、」
 前から人が来て、離れそうになる手をそっと繋ぎ止めた。
「結婚出来ても出来なくてもさ、ずっと、手、」
 繋いでいようよ。それが今の精一杯のプロポーズだった。

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