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タイムマシンランドセル

時々不意に思い出しては、心がささくれ立つ記憶がある。
別に忘れたいともがいているわけでもないし、今の私が揺らぐわけでもない。
だけど、ピースサインを携えて笑ってくれたあの子を見て、割ともがいていたじゃないかとちょっと笑う。

夕暮れの空に安堵し、翌朝が変わらず巡ってくることが本当に嫌だったあの頃。
私はずっと、そういう風に毎日を送ることを当然と思っていた。あの頃の自分に喝を入れることで、今の私になったと思っている。



あの頃、またやって来た変わらない朝だ。
背中に重くのしかかるランドセル。
カタカタと鳴るのは、筆箱だろうか、それともみんなで買ったお揃いのキーホルダーが当たる音?
足音に合わせてカタンカタン、その音が煩わしかった。
とにかくスムーズに1日を終えることを考える。
目立たないこと。給食を残さないこと。質問されないこと。体育をつつがなく終えること。
学級会の議題に上がるような事件が起きないこと。

小学校4年生の時だったと思う。
クラス委員と、副委員長を決める学級会で、私は副委員長に抜擢される。
黒板に書かれた私の名前の下に、正の字がいくつも連なるのを見て、私は唖然としていた。

とにかくおとなしく、とにかく目立たない。
それが当時の私だった。
決して多くはないクラスメイトの中で、先生が私の存在をついうっかり忘れて、「全員楽器決まったね!よし!」と合奏の楽譜を配り始める中、私だけが小声で「まだです…」というほどに、気配を殺して過ごしていたのだ。

その私の名前の下に、正の字が連なることなど、まさに天変地異。
今日の太陽が、正しく東から上がっているのか確認したくなる。
「はい、学級委員長と、副委員長が決まりました!」
先生の号令で、私は前に出るよう促され、呆けたまま「よろしくお願いします…」と視線を泳がせた。


本当は、とても嬉しかったのだ。
存在が認識されていること、頼られていること、もしかしたら私は、自分が思うよりずっとちゃんと見てもらっていたのかもしれない。
そんな風に思った。
当時、激しい内弁慶であった私は、家に帰ってから、母にとてもはしゃいで伝えた。
「クラスの副委員長になったよ!」
母は「へぇーすごいじゃない!お父さんにも教えてあげなくっちゃ」と嬉しそうに言った。父は、飲食業で帰りがいつも夜遅く、朝も遅く起きていたため、大事なことは母から父へ伝えられることが多かった。
「うん!」
私は、ますます自分がとても誇らしい存在である気がした。お父さんの帰りを、起きて待っていられないのがとても残念だった。

ほんの少し、いつもの空気と違う朝、だったかもしれない。
学校に着くまでは。
上靴を履くために屈んでいると、クラスのリーダー格、いや、総番長である女子がお供を連れてニヤニヤしながら話しかけてきた。
「副委員長〜!次の遠足はオヤツいくらまでですかぁ?」
そんな感じのどうでもいい内容だった。

そのどうでもいい質問が、私にとってはとんでもない絶望感を呼ぶ。
彼女の目に留まらないようにするために、今まで全力で気配を消して来たのだ。
クラス替えのない小さな小学校、この地獄はすでに3年目を迎えていた。気まぐれにターゲットにされたら最後、彼女が飽きるまで、ネチネチとイジメられてしまう。
提出したノートを小汚いものを扱うように指先でつまみあげられたり、上靴の中に雑草が入っていたりと、大人になれば鼻で笑ってしまうようなくだらないイジメ方なのだが、そのねちっこさは、自尊心を根こそぎ奪っていくエネルギーがあった。

しまった…昨夜、浮かれすぎて、この重大事項を忘れていた。あまりにも嬉しそうに笑う母を見てつい胸を張っていたが、ここから先、地獄が待っているかもしれない。

私は、出来るだけイヤイヤ副委員長になったんだ、という顔を作って
「わからないよ…」と小さな声で答えた。
すると、彼女はクスクスと手元に口をあて、言いたくてたまらなかったことをやっと言えるというように、喜びを爆発させて言った。
「ねぇ、なんで副委員長になれたと思う?」

なんで? なれた…?
それは、私が選ばれたから。
そうでなければ、あの正の字が書かれるはずがないだろう?

顔を上げて、そう目で訴えた。
彼女がさも嬉しそうに身をくねらせる。
なんだってこんなに相手を不快にさせる動きができるのだろう。
心臓が鳴る。
まるで警報のようだった。
防御姿勢を取れ、急げ、閉じろ、そんな風に聞こえる。

「先生がね、とき子さん、静かすぎてちゃんと意見を言える大人になれるか心配だから、みんなでとき子さんが発言できるように盛り上げて欲しいって。副委員に一票入れてあげてって頼んだんだよ」

小学4年生の時点で、この屈辱がどれほどのものなのか。
その女子にも、そして私にもはっきり理解できていた。
恐ろしいのは、先生が、それを理解できていないことだった。
小学4年生の思考力と残酷性を舐めている。


頭を殴られたようなショックとはまさにこのことで、私は一瞬、光を捉えることができなくなった。
いつの間に、そんな話し合いがあったのだろう。私がいない瞬間を見計らっている先生を想像した。それに頷くクラスメイトの顔を想像した。
「ちゃんと大人になれるのか」
私の名前につけられた正の字は、私を不安視している人間の数だったのだ。

泣いて悔しがったのか、それとも怒りに震えたのか、見返してやると奮起したのか。
あの直後の感情はどうもはっきり覚えていない。
そこだけ、感情が欠落したと言ってもいい。
ただ、ランドセルに付けたお揃いのキーホルダーがカタカタ鳴る音が煩かった。
みんな、副委員長に私の名前を書いたんだ。
あの子も、あの子も。
ひたすらにターゲットにならないよう息を潜め合う同士たちも。

「やっぱりお父さんには、副委員長になったこと言わないで」
帰ったその日、母にそう伝えた。
「えーなんで?お父さんも喜ぶよ」と笑った母に、本当のことはどうしても言えなかった。
打って変わって暗く沈む娘に、その後どのように母が対処したのか、父にそれらも全て伝えられたのか、そのへんは全くわからない。
だけど私は、学校が地獄で、家がシェルターであると認識していたので、多分両親は私を問い詰めなかったのだろうなと思う。

あの直後、私はイジメのターゲットになったのか、それとも別の誰かがターゲットになっていたのか、それもよく覚えていない。ただ、暗澹たる気持ちで、任期が終了するその日を待った。
遠足の日の学級新聞に、学級委員長と並んだ最前列、バスに酔って顔面蒼白になっている私の写真が載った。
娘の写真が大きく載っていることに母は喜んでいたけれど、そこだけ大きく取り上げられる自分が情けなくて仕方なかったことだけはっきり覚えている。


それから1年後、クラスの女子の保護者を全員巻き込んで、私たちは地獄から抜け出すことに成功するわけなのだが、それはまたいつか。書くかもしれないし、書かないかもしれない。

先日、小学校最高学年になった娘が、玄関に入るなり私に言った。
「委員会決まったよ!私、○○委員の副委員長になったの!」

小学4年生の私がフラッシュバックした。
一瞬、現在と過去が乱れて、足元が崩れる気がした。
口から出た言葉は
「なんで?やらされるの?」
だった。最悪である。
しかし、娘は満面の笑顔のままだった。
「友達がね委員長やるっていうから、じゃあ私、副委員長やるねって言った!」

私は知っている。
娘が私の幼少期と変わらない、内弁慶であること。
授業も手をあげず、自分の意見を大勢の前で言えないこと。
「自分から副委員長になったの!?」
つい、大きな声で反応してしまった私に、娘はとても誇らしげにピースサインをした。

かつて私が見上げていた空の色と、娘が見ている空の色は違うのだ。
同じように朝が来て、その1日は必ず終わる。
私はあの1日を無事終わらせたいと生きていたけれど、娘は明日の委員会を楽しみに生きている。
ランドセルの防犯ブザーさえ、楽しげに踊って見えるのは気のせいかしら?
「すごいね!頑張ってね」
そう言った私は、それでもまだ、少し心臓が鳴っていた。


空は、あの時も今も、ずっと誰の味方もしない。
眩しいほどの青空も、暗く沈む雨模様も、自分の心持ちひとつで印象が変わることを、私はあれから何十年もかけて少しずつ知っていく。
この子はもうそれを知っているのだろうか?
まるで、タイムマシーンに乗ってきたみたいに、同じような性格で同じような顔をして、私の子供の頃と全く違う笑顔で、私の記憶を刺激しては、この子は私をあっさり救うのだ。


「副委員長お疲れ様」
娘のおかげで、ようやくあの日の私を労うことができた。
空は、今日も変わらずあの子のランドセルを照らす。








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