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桃源枕 ⑤ 桃子の話

「松阪牛がお腹いっぱい食べたいの」

試しに目覚めた安西くんに言ってみた。
彼は、恍惚とした表情で
「まだ、松阪牛食べ放題ができるほど、僕、夢のコントロールができていません」
とそう言ってから、私の頬に手を伸ばした。

安西くんの夢の中で、私は幾度か彼に抱かれてしまっている。
当然といえば当然の馴れ馴れしさであるが、いいか安西、現実ではまだ、私たちは恋仲になっていないし、何より「好きだ」と告白されていない。
子犬のような表情で「桃子さん、桃子さん」としっぽを降ってくるくせに、ちょっといい雰囲気になると、途端に目を逸らし「あれからヨガ続けてますか?」とか「焼肉の匂いって、厳密には肉の匂いなんですかね、タレの匂いなんですかね?」と話を逸らす彼と、この先進展があるのかしらと思っていたら、夢の方ではあっさり結ばれた。
プログラムとはいえ悔しい話だ。
何より、夢の桃子の方がスタイルが良かったことについては、強めに抗議しようと思っている。
それでも、彼が無事目覚めたことに心から安堵しながら、私の頬に手を伸ばす安西くんの手をそっと握り返した。

「寝ぼけてないで。ほら、もう現実に戻ってきたわよ」
「……現実……」
「君は、私に告白できていない。起きて早々だけど、私に言いたいことはある?」
「……え…と…あ、はい。もう一回眠りにつきたいです」
「現実逃避甚だしいな!」
「え、そういうプロジェクトですよね」
「…ま、いいわ。とりあえず色々聞きたいし、起きて安藤くん」
「………」
「何?」
「いや、現実の僕、名前を間違われる存在なんだなって悲しくなってます」
「よし、しっかり目覚めてるじゃない」

3日間眠り続けた安西くんは、おぼつかない足取りでふらり立ち上がった。
子犬のような不安げな瞳でぐるりあたりを見渡す。
それから初めて見つけたB・Cのカプセルを覗き込んだ後「新しい被験者ですか?」と言って少し顔をしかめた。
「彼らの夢にも桃子さんが?」
「まぁそうなるよね。見た目、年齢は多少違ってくるけど。女性データ、まだ私のものしか入れてないし。なかなか面白かったよ、私の可能性がかなり広がってて」
それを聞いて、安西くんはますます顔をしかめた。
「なんというか、桃子さんを共有しているみたいで不快です」

なんというか、そこまで私に執着している発言を普通にできるのだったら、さっさと告白してくれてもいいと思うんだけど。
私は軽く肩を上げて返事を済ませ、安西くんをこの白い実験室から出るように促す。
ここは、PEACHがデータをかき集めている部屋だ。
この非現実的な空間は、私を落ち着かなくさせる。
早く、青空が見たい。


「で、どうだった?夢の中の私は。魅力的だった?」
屋外に出て、小さく簡素なベンチに座った。
安西くんは、つかず離れずの距離を保って隣に座る。

ラボは過疎化が進んで、もう誰も住んでいない農村地帯にひっそりと作られている。
後継者を失った田畑は、荒れ果て雑草が茂っていたが、土地としては最高だった。
見晴らしがよく、空気は澄んでいる。
初めてここにきた時は、人間が手を出さなければ、こんなにものびのびと、草木が繁るということに感動さえした。管理されていない生命はこうも自由なのかと。
ラボの中に入れば一切が無機質で、自分が老廃物を出す生物だということを忘れそうになる。
うらぶれた農村には、人の気配がない。それは生命の終わりなのか、始まりなのか私には分からない。

私たちは、あらゆる自然災害に立ち向かうため、特定の場所で、自分たちの手で無理やり繁殖させた動植物を食べて命を繋いでいる。
それが1番効率がいいと結論づけた。
より便利な都心で、肩を寄せ合って、多分、色々なものを捨ててここまで来たのだ。

どこをみているか分からないバッタが、一瞬だけ、人間を物珍しそうに見た気がした。

「夢の中って完全に監視されているんですよね?その質問、セクハラになりませんか?」
安西くんは頬を赤らめ、モジモジと答えた後、熱っぽい視線で私を見ながらポリポリと頬をかく。
寝かされたり、不眠に陥ったりを繰り返したせいで、不健康極まりない痩せた腕が痛々しい。
「セクハラを気にしてたらこのプロジェクト見てらんないでしょ。こぞってみんなが桃子を抱くわけだし」
「わーー!!やめてくださいよ!そういうの、もっと気にした方が良いですよ!?」

安西くんは、対象データを桃子にすると決定した時、他の誰もここに入れません!と宣言してこの実験の被験者になった。
彼は彼なりに、私を貞操を守っているのだろう。いくら止めても、被験者になることを譲らなかった。
それなのに自分の知らない間に、被験者が増えているのは誠に遺憾ということだ。

「割り切ってるから大丈夫。あれは私に似てるけど、まったくの別人よ」
ほんの少し声のトーンが落ちたのに、彼が気づかないわけはなかった。
「やっぱり、記憶を外すことは出来ないですか?」
「出来ない。PEACHは、いずれ外せると思ってるみたいだし、なんなら全部自分のコントロール下にあると思ってるみたいだけどねぇ。あいつちょっと中二病っぽいところない?」
「いや、自分で作っておいてその言いぐさ」
「だってさ、音声モード以外の内容、知られてないと思っているっぽいんだもん。さっき『私を頂点に置いた時点で、人間は諦め始めた』って言ってたし。出来たばかりのひよっこシステムのくせに」
「でも、このまま被験者を増やして、PEACHが学習を進めたら?」

PEACHが学習を進めていったとして、人間の記憶が書き換えられるのだろうか。
体験してきたこと、感情が動いたこと、その手触りや味覚、愛する人の匂い。
それらを全部わすれて、新しい経験として上書きをすることが可能なのだろうか。
思い描いた理想だけの夢を、現実と区別ができなくなるほどの体験として上書き出来ると?

実際、目覚めた後の安西くんは、私との距離をしっかり保っている。あれだけ何度も夢を見せられたけれど、混乱している様子は見受けられない。
それに…。私は、カプセルに入る2名の被験者のデータを思い出す。

Bカプセルの尾藤さんは、19歳当時、幼馴染であったアイドルが自殺してしまったことに、強いショックを受けている。
「コンプレックスが苦しいなら、整形するのは悪いことだと思わない」という発言が歪曲して伝えられ、「不細工は早く整形した方がいい」という発言をしたと炎上、その上、彼女の整形前の写真が広く出回り「紛い物」「整形依存」「お前の子供悲劇」と散々に叩かれた挙句の出来事だった。
さらに尾藤さんの当時の彼女(シホさんというらしい)もまた、ごく軽い会話の流れで「この子、元の顔ひどくない?」と笑ったことが、尾藤さんの人間観に決定的なダメージを与えたようだった。
幼馴染が、一度、SOSに似たLINEを送ってきたとある。
「あの頃が1番幸せだった」
今は誰だって美容室に行くみたいに、あらゆる技術で顔カタチを変えている。時代が違えば彼女はきっと死なずにすんだ。

夢の中で、尾藤さんが恋をしていたかといえば、私には分からない。
どこか恋愛感情に対して希薄だった。ただ、彼女を救うことができればそれでよかったんだろう。
目を覚ました時に、この夢を望んだことを後悔しないだろうか。むしろ現実をもっと強く憎むようになるかもしれない。

Cカプセルの千葉さんもだ。
完璧主義の母親に育てられ、6歳の時に両親が離別。
最後に父親と食べたのが、母親からは絶対に食べさせてもらえなかった、あるコンビニ店の唐揚げだった。
その後、彼は母親に育てられたため、自身も完璧主義になるのだが、そんな彼にも愛する女性が出来た。しかし、彼女もまた、彼の病的なまでに完璧主義を押し通す生活に根を上げてしまったのだという。
本当は、そうじゃない未来を望んでいた。
彼女がもう少しだけ自分の生活に合わせてくれたら。いや、自分がもっと寛容であったなら。
ただ、美味しい物を食べて、笑い合いたかっただけなのだ。
目が覚めた時、記憶が定着されたとして、家族のいない現実を彼はどう捉えるというのだろう。


元々、幸福になれさえすればよかった。
穴の空いたような目をする人が増えてきた。
脳に直接いろんな情報が流れるようになったあたりからだ。
マイクロチップを埋め込んでできることは増えたけど、脳は昼夜混乱している。

せめて眠っている時ぐらい、トラウマを忘れて安心で幸福に満たされた夢を見られないかと思った。情報を遮断して、自分だけの夢を見る楽しみを提供して、希望が持てるようになればいい。
質のいい睡眠は、必ず心に変化をもたらす。
それなのに、気づいたら、彼らの記憶を掘り返し、現実から目を逸らさせ、目覚めることを拒否するようにしてしまった。


挙げ句の果てに、少子化対策という大義名分をつけて、人の記憶と遺伝子をめちゃくちゃにしようという発案をPEACHが打ち立てた。
まさか、本気でそれに食いつく研究者と政治家が現れるなんて思いもよらなかった。

「桃子さん…?」

安西くんが不安げな表情で私の顔を覗き込んでいた。
2人の被験者の顔を振り払うように首を振る。


「これ以上、被験者を増やさない。PEACHにこれ以上学習させない。ほっといたらあいつ、ワタシはこの世を司る絶対的存在とか言いだしそうだもん」
私は笑って立ち上がると
「安西くん、このプロジェクトは終わらせなきゃいけない。ここクビになったら嫁にもらってね!」
と可愛くいってみせた。
こんなこと、しょっちゅう言いすぎてるから告白されないのかな。冗談だと思われてしまうのかしら、匙加減が難しい男だわ。
それに私から告白したところで、安西くん、コメディアンレベルで聞き逃すんだよなぁ。
そんなことを思いながら、安西くんを振り返る。
「………」
珍しく黙っているので、これは響いたのか?とほんの少し心拍が上がる。

「やっぱり僕、名前間違えられる存在なんですかね…僕、もう一度眠りたいです」
「ん?え?安西くんって言ったよね?あれ?」
尾藤さんのこと考えてたからな、私、安藤ってまた言った?
首を傾げる私に彼は言う。

「安西…?僕…桃太郎ですよ?」

もっっっ!?

桃にこだわりすぎやろPEACH!!
センスどん底かよ…!!

私は青空を見上げる。
この青も夢か。よく出来てる。

やっぱりどこみてるか分からないバッタが、また私を見たような気がした。


最終話へ続く

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