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ひとりっこの使者たちが、私に伝えてくれたこと

※妊娠を望んでいた時の話しを含みます。



我が家には、ひとり娘がいる。

彼女は、私たち夫婦が、望んで望んで、とにかくどうしても会いたいと望んで、それから、
「本当にたったひとりでいいのです、だから」
と、胸ぐら掴む勢いで神様を振り向かせて、やっと出会えた娘だ。

その経緯はこちら。


『神様を』なんて言うと、なんだかおとぎばなしのようで聞こえはいい。

娘に「弟か妹が欲しいの!サンタさんにお願いしようと思う!」そう言われた時、当然の願いだと思った。
私にも5つ下の弟がいるが、弟が我が家にやってくるまで、弟妹が欲しいと騒いだのを覚えている。


本当は、ひとりっ子にさせていることを、心のどこかで申し訳なく思っていた。
「お母さん遊ぼう」に答えられない時、公園に連れて行って、兄弟で戯れている子を羨ましそうに見ている時、もし、私たち両親に何かあったらと不安になる時。

治療していた当時の、札幌の病院には、凍結された受精卵が、ひとつ残っていた。
毎年、いつか迎えに行くと、凍結保存料金を払い続けた。

しかし、迎えに行くことは、とうとう無かった。
2人目を考えていた時、私は、熊本、そのあと香川、広島に住んでいて、そこから、札幌まで行き、何回かにわたって検査をし直し、治療をして体を整え受精卵を迎える、その行程は、あまりにも現実的ではなかった。
交通費や治療費、夫は仕事が忙しかったので、札幌まで娘も同行させるとして、治療中の預け先まで考えていたら、気が遠くなった。

きっと、私が、どうしても受精卵を迎えに行くと言ったら、夫は行かせてくれたと思う。
たとえ気の遠くなるようなお金がかかったとしても、それがたとえ、成功しなかったとしても、「やりたいようにやっていいよ」そう言ってくれただろう。


だけどその膨大にかかるお金を、時間を、今、目の前にいる娘に使ってもいいじゃないか。
もう、未来は、ここにある。
そう、思った。


41歳になった時、最後に、受精卵の凍結を終了します、と書類を用意しながら「せめて、検査も治療も関係なく、体内に戻してもらうことだけ出来ませんか?」と病院に聞いたら、それは無理なのだと優しく言われた。


冷たく暗い場所で、ずっと迎えを待っていたであろう、それは多分我が子と呼んでいい小さな細胞を、せめて温かい私の体内で葬りたかった。
着床しなかったあの子たちと同様に。


娘が幼稚園生だったころ、誕生会の後に、園長先生と懇親会をすることになっていた。わりと大きな幼稚園で、同じ誕生月の親は、他のクラス含めて10名ほどいた。

「育児の悩みはないですか?」

園長がそう切り出すと、その日、「3人子供を育てていて、気持ちに余裕が無くて」と泣き出したお母さんを皮切りに、他のお母さんも泣き出して、「我が家は2人」「うちは4人」と兄弟の人数報告会が始まったことがある。

断っておくと、私は、複数の子供を育てている人を尊敬しているし、この幸せを誰かと比べるつもりはないので、未婚、既婚、子供の有無や人数にかかわらず、好きなひとは大好きだ。


それで、兄弟人数の報告会になった時、みんなすごいな、大変だな、と思ったし、気持ちがささくれることも無かったけれど、私の順番が来て「あ、ごめんなさい、うちひとりっ子で…」とつい謝ってしまった。

私は、誰に対して何を謝っているんだろう。
話の流れを止めてしまったことを?
子育てに大して苦労してないことを?
世間でいう少子化対策になってないことを?


違うな。本当は娘に謝りたい。
それから、冷たい暗いところでひたすら待たせてしまったあの子に。
「ひとりにさせてごめん」


そんなことを考えていたら、そういや、選択を迫られていた時に、突如次々私の前に現れた、ひとりっ子の使者たちを思い出した。

それまで、私の幼少時代から、大人になるまでの友人に、本人がひとりっ子という人がいなかった。おそらく年代もあるし、地方で育っていたからかも知れない。

しかし、受精卵の保存を終了するか、無理をしてでも迎えに行くか、散々悩んでいた数年間で、偶然だと思うが「私ひとりっ子で育ったよ」という友人が、妙に多く現れた。
それも、1人や2人じゃ無かった。


そして、みんなが言うのだ。
「淋しいと思ったこと、ないなー?兄弟欲しいと思ったことは確かにあるけど、淋しい思いをしたとは思ってないよ」
「大丈夫、私、幸せだったよ。娘ちゃんも、絶対幸せな大人になるよ、兄弟とか、関係ないない!」
「とき子は、兄弟がいなかったらわがままに育つと思ってる?私を見ても?あはは」


そんな優しい肯定をして、私が、気持ちを整えたころに、不思議とみんなが転勤で、私の前から去って行った。
(もちろん、今も付き合っている友人がいる)


ふと思う。彼女たちは、
「大丈夫、謝ることなんてないから」と、私に伝えにきてくれた、ひとりっ子の使者だったんじゃないだろうか。

選択肢がありすぎて、どれが正解なのか、どれが幸せになれるのか、誰のための幸せを求めてるのか、すっかり分からなくなっていた私を、落ち着かせるために来てくれたんじゃないだろうか。

「弟か妹が欲しいの!」
そう目を輝かせる娘の願いを叶えることはもう出来ない。
だけど、お母さんはもう謝るのをやめようと思う。
一生懸命考えて、選択した未来だ。
届かない「ごめん」は、きっと誰も救わない。


あなたが、あのひとりっ子の使者たちを呼んできてくれたんでしょう?
大丈夫だからと、伝えに来てくれたあなたは、もう次の、温かいところに行けたんだと、そう信じる。そう信じたい。



今日は、娘の9歳の誕生日。
君を待っていた時間より、育てている時間が多くなった。
いつの間にか頼もしくなって。ひとりでおつかいも余裕の顔。料理だって手伝ってくれる。
立派な優しいおねえさんだ。

誕生日おめでとう。
生まれてきてくれてありがとう。


お母さんは、今、とても幸せです。
これからのあなたが、お母さんと同じかそれ以上に、幸せでありますように。

書きたいと思いつつ、重いかな、とか、ひとりっこの方もたくさんいらっしゃるのに、とか、お子様がたくさんの人に気を使わせてしまう?とか
治療中の人が読んだら、凍結受精卵の破棄は辛すぎるよな…と、あれこれ考えて、長らく熟成させていました。

だけど、凍結していたあの子について。
やっぱりどうしても聞いて欲しかった。

娘の誕生日、ただ笑える話しにしたかったけど、やっぱりあえて命と向き合う日にしました。

聞いて下さってありがとうございました!



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