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鳥取砂丘ガンダーラ

「ここが、砂丘……!!」

思い続けて20年あまり。
私は、砂丘の真ん中にいた。
一歩足を踏み締めるごとに、裸足の足の指の間から、ぎゅうむと砂が迫り上がってくる。
表面は、太陽に照らされて熱いぐらいなのに、ほんの数センチ足をもぐり込ませるだけで、ほんのり暖かくも、ほんのり冷たくも感じる、絶妙な温度が足を包み込む。
ジリジリと照らす太陽に反して、海から吹き付ける風はまだ4月のそれで、冷たいぐらいなのがちょうど良い。

「やっとこれたね、砂丘」
夫が、少し息を弾ませて言った。
娘は、ほんの少し先、まるで雲の上を歩くような足取りでふわふわと歩いている。

そう。やっとなのだ。
結婚してすぐの頃から、私はずっと鳥取砂丘に行ってみたいと言い続けた。
理由はひとつ。
両親の新婚旅行先が鳥取砂丘だったと聞いたからだ。もはや私の発祥の地と言っても、まぁ、過言ではある。

私は、『変わらずにそこにあるもの』にとても弱い。
英語の教科書に出ていたナイアガラ滝と同じぐらいの熱量で鳥取砂丘にも執着していた。



ナンシー&ケン、そして、ユキオ&ヌイコ(両親)
まず接点は見当たらないし、ナンシーとケンが付き合っていたとか、その後結婚したとかは風の噂にも聞いたことがないので、愛の聖地的な感覚ではないはずだ。
だが、ユキオ&ヌイコも、あの砂地に立って
「ディスイズトットリサキュー!」「ワオ!イッツビューティホー!!」と叫んだはずである。
いや日本語だと思うけど。

母がその時話していた
「結婚式の日、国鉄ストがあって神父もカメラマンも到着せず大変だったのよ」
という、大変面白そうな話には食いつかなかったくせに、
「旅行で行った鳥取砂丘の砂がキレイだった」
という、特筆すべき感想が得られなかったその言葉だけが、私の中でずっと残り続けていた。

私が生まれた瞬間も、私が茨城県大洗ビーチで砂にまみれていた瞬間も、私が子供と共に砂場で泥団子を作っていた瞬間も。
両親が新婚旅行で行った砂丘は風に吹かれている。
そのことが、私の胸を熱くしていた。
ナイアガラへの執着とほぼ同じ思考回路である。

だがどういうわけか、「砂丘へ行くぞ」と思いつくのが、真夏であったり真冬であったり、春先は実家帰省だったり、秋口には砂丘のことを微塵も覚えてなかったりと、月日は恐るべき早さで過ぎていった。
そうして、20年が過ぎた2024年、ついに私は砂丘に辿り着いた。

「見ろ、砂が見えるぞ」
車の中で爆睡していたら、大阪からノンストップで運転し続けていた夫が行った。
海でも山でも森でもなく、砂が見える。
耳にあまり覚えのない取り合わせに私は飛び起きた。
鳥取砂丘の入り口は一本道で、混雑を予想して早朝に家を出たが、ほんの少し渋滞が始まっていた。
起きた瞬間、胸がはち切れそうになったが膀胱もはち切れそうになっていた。
砂丘の駐車場が目の前になったあたりで
「先下りてトイレ行ってきな!」
と夫に送り出される。
こんなに優しい夫であるのに、トイレから出た母娘は、鳥取砂丘が目の前にあるワクワクに耐えられず、先に入砂の儀を行った。ひどい。
「うわーーー!」
と叫ぶ私に
「これ砂浜じゃないの?」と言う娘。
いや、明らかに砂浜の域を越えとるやろがい。

遅れてきた夫は、スニーカーを手に裸足で追いついて来た。
まだ私たち母娘がスニーカーを履いているのをみて「気持ちいいのに」と言う。
「あとあと面倒じゃない?」
つい、そう答えた。
あんなに焦がれた砂丘で、こともあろうに「面倒」とは。
夫はめげずにもう一度言った。
「一生靴から砂が出るよ」
魔法の靴だな!と思った。
塩が出続けて海がしょっぱくなったという、臼の昔話を思い出してちょっと笑った。

どうやら、脱いでも脱がなくても、砂は面倒らしい。ならば。
そう思い直して靴と靴下を脱いだ。
「う、わぁ…!」
砂浜のそれとは違う、パウダー状の砂が私の足を包んだ。少しも痛い部分がない。

これが砂丘…!

それから私たちは小高い丘を目指した。
まだまだ元気だったので、数メートル進むごとに写真を撮ってはしゃぎ、海を見下ろしてははしゃいだ。
そうして、ちょうど丘のてっぺんに着いた時だ。
「ね、海に入りたい!」
娘が遥か下にある海に目をキラキラさせた。
…い、言うと思った…!

海は蟻地獄のような砂の崖の底にある。
一度落ちたら出られぬ地獄を彷彿とさせている地形であるにもかかわらず、目をキラキラさせる小学6年のトキメキを止める力が私には無い。
「お、おう、行くぜ…」
力なく答える私は、本当に20年も砂丘に憧れていた人間なのであろうか。
だって、帰り、この砂の崖を自力で登るんだぜ…?


それでも、転がるように砂を下った。
一段と重力がかかって、足首まで足が砂に埋まる。
転んでしまっても絶対に痛くなさそうな感触に浮かれて、体を弾ませるように次の足を前に出す。
ボスンボスンボスンボスン!
きっと、両親もこんなふうに砂の丘を転がるように下ったに違いない。
無音に近い足音が、どこまでも弾んで聞こえる。

ようやく海に近づくと、それまでの砂丘の砂と、砂浜の砂にうっすら境界があった。
砂浜だと感じるところは、粒が荒く、小さな貝殻も見られる。
「こっからが海だ」
娘が、足裏の感触の違いを確かめながら言った。
別に誰かが線を引いたわけでもないのに、とても不思議だった。
あとで調べたら、小さな砂粒は、日本海の強い風に吹かれて飛んで砂丘になるとのことだった。ボーダーラインの神秘である。

海の水は思った以上に冷たかった。
そして、思った以上の透明度だ。
足先をつけただけで声が出た。
「冷たーーーい!」
ほんの1メートルほどの距離を行ったり来たりするだけなのに、娘はいつまでも海から出ようとしなかった。そして、私もなかなか海水から離れることが出来ないでいる。
砂丘には、観光客がたくさんいた。
はしゃぐ声はもちろん聞こえてくるのだけれど、いつもの海と何かが違う。

足をひたして、何度も打ち寄せる波の音を聞いているうちに、ふと気がついた。
波の音が、いつもより透明度が高く、ヒーリングの音源で聴くような余分な音がないものだった。
何が違うのだろう?
それは、観光客の多い海岸と違って、道路が砂丘に阻まれてとても遠いこと。
音楽を流すような商業施設がないこと。
遊泳禁止の海に、水上バイクやサーファーがいないこと。
波が砕けるような岩場がないこと。

もちろん、季節や天気のせいもあるだろう。
風も波もとても穏やかだった。
波の音に没頭するというのは、こんなにも多幸感が溢れるものなのか。
太古の昔からあるこの音をいつまでも聞いていたいと思っていたら、その静寂を打ち破るように、鳥取空港から、ゴゴゴゴゴという音を立てて、飛行機が飛んだ。

「明日、鳥取コナン空港に行くんだよね!?」
娘が思い出したように、急激に現代の情報を投げ込んで来て、私のヒーリングタイムは終了した。

帰りは案の定、蟻地獄からの脱出さながらに苦戦した。
踏みしめど踏みしめど、足が砂に埋もれて進めない。
こんな悪夢を何度か見たことがあるなと思いながら、ゴダイゴのガンダーラを口づさんだ。
三蔵法師が目指す天竺への道のりだと思えば、尊い一歩にも思える。

ようやくたどり着いた砂丘の終点で、私は何度も何度も振り返った。
私にとってここは本当に愛の国ユートピアであったのかもしれない。
両親が踏みしめ、その娘が踏みしめ、そうしてめぐって行く生命たちを、砂丘は何万年も前から、ただひたすらに風に吹かれて見送ってきたのだ。
いいや、そんな大層なことは本当は考えてなかった。
ただ、離れがたく、ただ愛おしい地であるなと思いながら、その後、私たち家族は体のあちこちから溢れでる砂と格闘した。まじで一生出てくるぞと思った。

帰宅後、母に
「鳥取砂丘、ついに行ってきたよ!お母さんたち、新婚旅行で行ったんだよね?」
と、写真と共にLINEを送った。
まさかの
「新婚旅行は岡山」という返事が来た。
20年という月日、両親の新婚旅行の聖地と思い込んでいた私の記憶は、一体どこからやってきたんだろう……。
私の書く過去の記憶を掘り起こしたエッセイが、どれほど曖昧なものなのかとちょっと恐ろしくなった。
でも。
あの風に吹かれた心地よさの中に、私は確かに両親の横顔を見たのだ。
砂丘は、私にとって愛の国ガンダーラで間違いない、ということにしよう。鳥取県だけどな。




鳥取砂丘の一歩
先に入砂していた我々
写真で見るよりずっと急な坂
転がるように下るワンコさん発見
ずっと波の音を聴いていたい
砂の美術館は、今『フランス編』でした
このドレープの美しさ、砂に思えない
マリーアントワネットとルイ16世
この隣には、2人がギロチンにかけられた砂像がありました
象の像!
ノートルダムの鐘
レ・ミゼラブル






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