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ベルリラメッセージ

「次の企画、お前やってみる?」

事務所の前で偶然会った奥村さんが、「あ、そういやさ」と軽い口調で言った。
あまりにも軽い口調でそう言われたので、言葉を理解する前に、目の奥でチカチカと何かが点滅するような感覚に襲われる。

「むむむ無理です私なんぞ…!」
結局、そのシグナルが何か考える前に口走っていた。

「そか」

あっさりと引き下がった奥村さんは、そのままドアを開けて事務所に入ると、それ以上は何も言わなかった。


ああ、でも、もし私があの企画をやるとしたら…
「無理です」そう言ったくせに、頭の中が勝手に段取りを組み始める。
前に奥村さんがやっていた企画を思い出す。
あの時、発注先はこっちだと食い下がったが、結局コスト面で通らなかった。
だけど…もしチャンスがあるならもう一度トライしたい。

そのあとは、家に帰っても自分のやる企画のことが頭からこびりついて離れなかった。
明日、やっぱり奥村さんに言おう。
「やらせてください」
どこまで出来るか分からないけれど、私は私のやれることを精一杯やったらいい。
踏み出せ、漕ぎ出せ、力を入れろ。


しかし、翌朝の朝会の時に、奥村さんは言った。
「次の企画、相田がやることになったからサポートよろしくー」


あ…あっぶねーーーー!!
決まってた。次が決まってた!
危うくのこのこ出て行って「やっぱりやりますぅ」なんて言って
「は?もうお前に用はねぇよ」って言われるとこだったー!
それにしても、早くない?次来まんの早くない?
相田かー、相田がやんのかよー!!


と、脳内では高波に襲われて溺れかける自分に涙が出そうになっていたが、素知らぬ顔で「ふむふむ」「わっかりましたー」というリアクションを取った。


次が決まってた。


そりゃそうだ、私断ったんだし、会社も暇じゃないんだし。
だけどさ、奥村さんだって、あんなにライトに聞かず
「お前ならできるよ、考えてみろよ」
そう言ってくれたら、私だってテンパらなかったのに。

ああ、チカチカする。目の奥の方がずっと…
なんだ、この既視感?前にもこんなことがあった…?


「ベルリラやってみない?」
音楽の授業が終わった後、先生が私に近づいてきて言った。

小学校では、運動会に鼓笛隊があって、4年生〜5年生までは、リコーダーで参加する。
6年生になると、大太鼓や小太鼓のオーディションがあって、その中にベルリラも含まれていた。
小さな鉄琴を縦型にしたような楽器で、お腹のバンドに固定して演奏する代物で、重量感もあって、音色も美しく、鼓笛隊の中でも華があって、憧れの楽器だった。
小さな小さな小学校にはベルリラは2台しかなかった。
そして1台はすでに、ピアノを習ってるリコちゃんに決まっていた。

あの時、喜びで胸がいっぱいになったにも関わらず、なぜか
「え、でもちゃんと弾けるかどうか…」と、もじもじしながら答えた。
「大丈夫よ!」
そう言ってもらえるんだと思った。
だけど、先生はあっさり「じゃ、佐竹さんやる?」そう言って、すぐさま他の子に声をかけた。
その子は、二つ返事で「やるやるー!」そう答えたものだから、私はそこで永久にベルリラを弾くチャンスを失ったのだった。

あの時、「出来るわよ」そう言ってくれたら、私やったのに…
ベルリラの華やかな黄色のフサフサを哀しい気持ちで見つめながら、例年通りのリコーダーを吹いて、小学生最後の鼓笛隊は終わった。



…ううわ。
私、あの時から全く成長してないんか…

不意に蘇った記憶は、ベルリラの銀色の輝きと、黄色のフサフサが目の奥をチカチカとさせた。

20年以上経っても、惨めに、一瞬だけ選ばれた余韻を追いつつけて、「私だって本当はやりたかった」と恨み言を言っている自分に、ゲンナリした。

頭の奥ではわかってたんだ。
「チャンスを逃すな」「同じ過ちを繰り返すな」
あのチカチカとしたシグナルは、小学生の時の私からのメッセージだった。


「あんたはね、腹黒いのよ」

過ちを犯したことに気がついた私は、真っ直ぐ家に帰ることなど到底出来ず、ワル子にSOSを出した。
ワル子は、口が悪いのワル子、である。

「お前にしか出来ないんだ!頼むよ!って言ってもらえるとでも思ったんでしょ?自分の自信のなさを、そう言われることで持ち上げてもらおうなんて厚かましいのよ」

「…相変わらずエグッて来るねぇ…出血多量で死にそう」
私は、机に突っ伏しながら死んだふりをする。

「え、言われたくて私呼んだよね?」
ワル子はニヤリと笑うと、「生おかわりしてもいい?」そう言って、私が「いいよ」と言う前に「すいませーん」と店員さんに空いたビールジョッキを持ち上げて見せた。

「あんたはね、自信のないフリすることで、自分を守ってる節があんのよ。そもそも、「お前にしか出来ない」なんて言ってもらえる奴なんて、一握りの才能でしょ。実力なんてみんな拮抗しててさ、Aさんがいいかな?Bさんのここもいいな、って悩みに悩んで決めていくわけ。
「私無理ですぅ」なんて即答するやつに、大事な企画なんて渡せねー」

今夜の刃もだいぶ鋭いぜワル子…

「ちなみにAさんにもBさんにもなれない人もいるでしょ。それなのにAさんが「私無理ですぅぅ」とか言ってたら、まじ鬱陶しいわ」

私はそんなに語尾を伸ばしてないぞワル子…

私は、滅多刺しにされながら「はい、おっしゃる通りでございます…」と項垂れ続けた。

ワル子はいつもそうだ。
私が相談事をすると、励ますでも慰めるでもなく、グサグサと本音を言ってくる。
それは、おおよそ私の頭の中でも気がついていることで、さらにその上から、全体重を乗せるが如くめった打ちにしてくるのだ。

前に、彼氏と別れることになった経緯を話した時には、ワル子の鋭い指摘に、夢も希望も全部取り払われてしまって、心の焼け野原に佇む自分があまりにも可哀想になってワンワン泣いた。
「もっと早く泣くべきだったのよ」
ワル子は、泣かせたのは自分であるのに、いい女風に私に言った。

「誰かのせいにしたり、誰かに背中を押されるのを待ってるうちは、あんた、やりたいことなんて出来ないね。てか、もう2度と誘われないかもね」

ぐぬおぅ…!
今宵最後の一撃で、私は顎からゆっくり空中に投げ出され、天井に
『K・O』という文字が出たのをハッキリ見た、気がした。

反ベソになってワル子を見る。
「今夜もいいパンチいただきました」
「マゾかよ!」
ワル子は、ひひっと笑うと、私の肩を力強く叩いて
「でも、明日には立ってるんでしょ?あんたのそういうところ、好きよ」
やっぱり、いい女風にいうのだった。

そうなのだ。
自分で自分のことをネチネチと責め続けるより、ワル子によって、自分の嫌いなところを滅多打ちにされることで、嫌いな自分が消滅する気がする。
ワル子はそれを知ってて、憎まれ役を買ってくれている。
絶妙な匙加減で、殺さない程度に、憎めきれない程度に。
なんつー恐ろしい女だ。


ワル子の背中を見送った後は、体も心も軽くなっている自分がいた。
そのうちワルヨガとか始めたら、儲かるかもしれない。

「2度と誘われないかも、か…」
呟いてみる。
それでも仕方がないと思った。
うんと伸びをして、空に目をやると、満月が浮かんでいた。

もうわかってる。
誘われ待ちなんてしない。
こっちから向かってってやる。
具体的に何すればいいかなんてのは、まだ全然わからんけど。


満月を見る目の奥で、チカチカとベルリラが揺れた。

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