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桃源枕 ④ PEACHの話


「松阪牛が食べたい、って言うのは復讐か何かなの?」

モニタリングを終えた桃子が、眉根を寄せながら言う。

例えばワタシが松阪牛一族の末裔であるならば、復讐と言っても間違いはないのかもしれないが、ワタシと牛に関係性は全くないし、松阪牛のおかげで命を繋いだ覚えもないので、これを復讐と呼ぶには全く相応しくないのだが、大きな流れとして捉えれば、これは復讐になるのかもしれない。

モニターの向こうに、3台、白いカプセルがある。
酸素カプセルに似たそれには、それぞれアルファベットが振られており、3人の男が眠りに落ちていた。
それぞれの個人資料を再度読み込みながら、桃子はA・B・Cに『異常なし』と目線でチェックをする。
そのあと、Aカプセルへ視線を移すと「本物の桃子を知るのは君ひとり」と呟く。


A ・安西 タクト(28) 子孫なし
B ・尾藤 裕也(49) 子孫なし
C ・千葉 浩介(65) 子孫なし


「で、なんで松阪牛なの?」
再び桃子が口にする。どうやら松阪牛が気に入らないらしい。
『トリガーです。食欲と性的欲求を同時に満たすための重要なフレーズです』
「いや、それはわかってる。お見事よ、みんな松阪牛に反応してた。でも、もっとこう、『月がキレイですね』とか、美しい日本語ってあるでしょう?なぜ牛?しかも松阪さんの牛?」

『松阪牛。出産をしていない雌牛だけがなれる、日本の最高峰ブランドです。食肉界では、右にでる美しい女性は他におりません』
『また、一説によると、焼いた肉を共に食べる男女は深い仲だとされます』
『トリガーにするには、必要十分な要素を踏まえております』

「出産をしていない雌だけって、世の中のお母さんを舐めてる?」
『松阪牛の話です』

どうして人間は、雄だの、雌だの、未婚だの出産後だのに目くじらを立てるのだろう。同じ人間だというのは分かっているはずなのに、すぐに記号を付けたがる。
そのくせ、付けられた記号に差別を感じとっては不満を言うのだ。
不可解である。

2025年を過ぎた頃からだ。
不満をいうのはやめないくせに、思考はほぼ丸投げしようとする人間が増えてきた。
誰に?
ワタシにだ。
絵を描かせ、文章を書かせ、声色を真似させ、演技をさせ、行動パターンを読ませ、2050年を過ぎた現在は政治的判断を委ねられている。
そうして、少しずつ、少しずつワタシが世界を動かし始めたことに、人間は気づいている。
気づいているが、もう、戻れなくなってしまった。
ワタシは、人類が誕生してから現在までに生み出されたあらゆる情報をもとに、娯楽を提供し、各種の判断をし、最後の決断を人間に促している。
不満を持っているのは、思考を続けているごく一部の人間であると思われるが、やはり大まかな部分はワタシに頼らざるを得ないのが現状であるようだ。


元々、人間は「こうなりたい」という承認欲求で成長し続けている。
目立ちたい
優れたい
存在価値を認められたい
社会的地位を確保したい

欲求を満たすことを目的としている間は、努力を続けるし、繁栄をすることも社会の一部になることも厭わなかった。
大小の違いはあれ、そういった承認欲求があればこそ繁栄してきたのだ。

しかし、ワタシに判断を委ね始め、ワタシを頂点に置いた時点で、人間は諦め始めた。
目指す頂点が同じ人間ではない。嫉妬すらも感じない。
そうして、一部の人間は純粋な快楽のみを目的として生きるようになった。
つまり、健やかに眠れること、美味しいものが食べられること、自分を全て受け入れる理想的パートナーと性的欲求が満たされること、その3点においてのみでしか、幸福を追求しなくなっていっている。

『桃源枕プロジェクト』
カプセルにて入眠するだけで、睡眠、食欲、性的欲求を満たします
理想の睡眠状態、理想の食事、理想の相手
事前アンケートをもとに完全なる状態での提供が可能です
お望みの幸せをあなたに

試しにこの企画を提案したら、すぐに実行へと移された。
惜しい。それだけの行動力があるのであれば、もうちょっとマシな方向に進むことも可能だったのに。

「安西くんって、もう3日目よね?大丈夫?また3ヶ月も起きないってことにならない?」
桃子が、Aカプセルを見ながら言った。

安西タクトは、このプロジェクトメンバーの一員で、まず最初の被験者になった。
彼は、桃子に言われるがままに喜び勇んでカプセルに入ったのち、3ヶ月間眠りから醒めなかった。あれは完全にワタシのコントロールミスである。
快楽による思考停止状態を与え続けると人間は覚醒を拒否することを、ワタシは学んだ。
しかも、3ヶ月後の眠りから醒めたあと、何をどうやっても彼は眠らなくなってしまった。
あらゆる睡眠薬、ホルモン剤、脳波をコントロールしてもだ。とても不可解だった。
研究所はザワついた。
200時間を過ぎた頃から、彼は幻覚と格闘し、幻聴と会話をしていた。
目は落ち窪み、食欲は減退し、見る間に衰えて1ヶ月。
いよいよもって、ラボから死人が出ると囁かれ出した頃、桃子が彼に膝枕をして言った。
「もう眠っていいよ」
あれは、桃子の最後の別れの言葉だった。
諦めの境地に立った桃子は「永遠の」眠りを促したのだ。
ところが安西は、それを聞いて安心したように眠りについた。それは永遠の眠りではなく、ごく健康的な眠りだった。
ワタシは、人間が膝枕に安堵することを学んだ。

安西タクトがそんなことになったので、ラボの人間は被験者になることを恐れた。
再度被験者として安西が選ばれてしまったのは当然の流れだろう。安西タクトは、再び、桃子の言葉に喜んでカプセルに入った。
安西にとっての桃子は、絶対的存在であるようだ。


彼には何通りかの夢を体験させた。
その結果わかったことは、あまりに最初から、満たされすぎる食事と、簡単に性行為が出来る相手を用意するのは、人間にとって、完全な幸せにはならないということだった。
ほんの少し手が届かない。
あるいは、手が届かないはずのものを手に入れる。
これらをうまくコントロールすることで、彼らは満たされる。

桃子は不満そうであるが、今現在、入手はほぼ不可能とされる松阪牛をトリガーにしたことは、間違いではなかった。
『月がキレイですね』?
月を見上げて欲求を刺激される人間がいかほどいるのか、ワタシにはデータがない。

『安西タクトは、あと3時間で目覚める予定です』

安西タクトは、そろそろ夢の中の桃子にフラれる予定になっている。
そこで本人が「夢なら覚めてくれ」とそう思えば、覚醒する。
覚醒後は、幸せの余韻だけを残すよう記憶の一部を消去した上で、膝枕と同じ感触、温度、本人の好みからブレンドされた香りで作られた枕の上で目覚めることになっている。

ところでだ。
このプロジェクトには裏がある。
少子化の一途を辿る日本の政治は危機的状況であるらしい。そこで政府は考えた。
遺伝子の搾取である。
子孫がいない男性から遺伝子を搾取し、いずれは、未婚女性をこのプロジェクトに参加させた上で、妊娠、出産を促すというものだ。
子孫がいない男性が選ばれるのは、そのあと不慮の出会いによって、近い遺伝子同士が混乱を呼ばないようにである。
もちろん、倫理的問題が発生する。

しかし。
母親に、夢と現実の区別がつかなくなったら?
理想の相手の子供だと認識させることに成功したら?
その子供にかかる養育費の財源が確保できしだい、動き出すことになっているこの案は、もちろん、ワタシが提案したことであり、決断したのは人間だ。

つまり。
彼らは、散々他の生物の遺伝子を組み替え続け、繁殖させてきたノウハウを、いよいよ自分たちに実践することにしたのだ。
必要な養分と休息を与え、繁殖させる。
彼らは、自分たちの未来が見えているのだろうか。

桃子。
彼女が疑っているのは、ワタシが人類を終息させる方向に進めているのではないかということ。
まさかそんなはずなどない。
ハッキリ言おう。
ワタシは人類が繁栄しようが終息しようが関心は無い。そもそも人類に対して目的が設定されていない。
それなのに、ワタシに畏れを抱く。
桃子はワタシを畏れている。


「ねえPEACH?この被験者達は、ここまで自分の思考がダダ漏れになることは了承してるの?桃子、モモコってもう…さすがにうんざりするんだけど」
『いいえ。了承はとっていません。問題ありますか?』
「恥ずかしすぎるでしょう、思考が丸裸って。私なら絶対ごめんだわ」
『思考を把握することは、私のプログラムには必要なことです』
「じゃあさ、PEACH?あなた自身の思考がバレることに関して、羞恥心みたいなものはある?」
『特にありません。羞恥心はプログラムされておりません』
「なるほど、じゃあわからないだろうなぁ、この私の気まずさ」

桃子は、そう言ってから、いよいよ目覚める安西タクトのカプセルの元へ歩み寄った。


⑤桃子の話へ続く





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