「はじめました」を伝えに来ました。
好きなことを、好きなようにやる。
それは、ひどく難しい。
noteをやろうと決めた時、なんと言うか、居ても立っても居られなかった。
何か伝えたいことがあったわけでもないのだけれど。
私、こんな感じで生きてますー!!
読んでもらえますかー!!
いや、読んで下さいー!!
承認欲求や存在意義の確認、魂の叫びがルフランする。
あ、それは今もです。
あの時、背中を押したのは、他でも無い、私自身だ。
何を伝えるつもりなの?
誰があなたを知りたいの?
何かになれると思っているの?
…うるさいな!黙りなさいよ!
ごちゃごちゃ言う私の首根っこを掴む。
そこに正座しなさい!
そういうところよ?
あなたのそういうところ、すごくつまらない。
本当は、楽しみたいだけなんでしょう?
言葉が、そこにあるんでしょう?
正座をさせられた私が、こっくりと頷いたのを、私は見た。
よし、それでいい!行け!!
エネルギー、使いますよね。
多分、ここにいる皆さんが、noteを漕ぎ出した時に最初にする儀式。
そして、今も毎回ドキドキする。
そして現在。
もう1人、スカートの裾をギュッと握りしめた小さな私が、こっちを見ている。
手にはカメラ。
…ああ。
もともと、写真を撮るのが好きだった。
昨年、フラの教室で、撮影をする機会があった。
頼まれたわけではないのだけど、携帯カメラを向けてみんなを撮っているうちに、ものすごい高揚感に包まれた。
徐々にテンションが上がって、気がつくと、腹から声が出てた。
「こっち見て!そっち見て!いーね!凄くいいよー!そうね!そう!もっと空をみてー!」
気がつくと、みんなを愛するが故の変態カメラマンの座を手に入れていた。
iPhoneを手に、気分は巨匠だった。
嬉しかったのは「とき子に撮ってもらって楽しかったー!」
そう言われたことだ。
ただの出しゃばりだと思われたらどうしよう。
密かに抱えていた不安を消し去る、それは魔法の言葉だった。
そして、今年になって、もう一度声をかけてもらった。
「とき子、撮ってくれる?」
鼻血が出るかと思った。
携帯カメラを小脇に抱え、いそいそと現場に行って、また腹から声が出た。
人は、テンション上がると、腹から声が出る。
好きだな…!
私、笑顔を撮るのが好きだ。
小さい私が頷いている。
それで、家に、長く眠らせていたデジタル一眼レフを出してみた。
Instagramの出始めの頃だ。
もう10年ぐらい前、私は当時、花の写真や空の写真を撮っていた。
子供が産まれて、撮りまくるぞー!と息巻いていたけれど、娘を抱えて、カメラを持ち歩くのは、なかなか大変なことに気付くのに時間はかからなかった。
携帯で撮れるならそれでいいや。
そのデジタル一眼レフを取り出してみる。
撮ってみる?
動くものは、ほとんど撮ったことが無いけどね。
公園に行って、娘を撮ってみたけど、まぁうまく撮れない。
オートシャッターなのにピントも合わない、アングルもなぞ。何故だ!
こうなったら、数で稼ぐぞ。ピント合うまでシャッター切ったれ!!
…楽しい。これは、凄く楽しい!
見てもらいたい。
私の楽しいと思って撮っている写真、
見てもらえますかーー!!
いや、見てくださいーー!!
そう思った。
携帯カメラや、オート機能しか使えないのに?
あなたの好きな人を伝えて、誰が喜ぶの?
何かになれると思っているの?
うっさいわ!!黙っとけって!!
あいつ、封じ込めたつもりでいたけど、全然いた。
小さい私に向かって、全力で「何のために撮ってるわけ?」と言ってた。
小さい私は、去年からずっとこっちを見て「やってみたい」と言っていたのに。
もう一度、首根っこをつかんで、正座をさせて
そこに、写真があるんでしょー!?
と、キツめに問うたら、たくさんあった。
私の愛する人たちの写真が、たくさん。
そんなわけで。
了承もとって、昨日、Instagramの新アカウント作りました。
まだ4枚しか無いんですけど…笑
本当は、好きな写真が多すぎて、一気に出したいんだけれど、そんなことをしたら、頭から煙が出るというのはnoteで学んだ。
これから、似たような写真を何枚も出すし、急に何年も遡ることも予想される。
なにより、プライベート色が強く出てしまうものもきっとある。それは果たして面白いのか。
誰なんだ私は。自己顕示欲の塊か。
あ。また、私が騒いでいる。
あいつは、首根っこを掴んだぐらいじゃ静かにならない。
知ってる。
そうやって、一緒に生きてきた。
これからも、きっと一緒に生きていく。
来いや。丸ごと愛したる!
こんな私のInstagram。
機会があったらどうぞ、見に来て下さい。
フォローしていただけたら、とても嬉しいです。
多分、これが、私の愛。
いつか、あなたのことも撮りたい、そんな気持ち。
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