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水一滴分の価値もない文を書いた私へ。

東日本大震災、及び熊本地震に触れています。
また3,000文字を超えていて、私の気持ちが重い文になっているかも…気楽な気持ちの時にお読みいただけると嬉しいです。


『おかえりモネ』
現在の、朝の連続ドラマ小説だ。
あの物語りで私は、何度も、何度も、何度も泣いている。

3.11 東日本大震災を軸に、ドラマは動く。

今までのドラマは、震災で「失った人たち」が主人公となり、その喪失感や悲しみを伝えてくるものが多い。
被災した方たちの悲しみを知る術がない私は、こういったドラマで泣き、その感情を知ったような気持ちになった。
中でも『朝顔』というドラマは、淡々と進む日常の中で、悲しみと向き合っている姿に、終わりがない苦しみと、これからの未来に希望があることを祈っては泣いた。

『おかえりモネ』の視点は少し違う。
震災した直後、そこに居合わせなかった主人公、家族を失わなかった者たちの視点で描かれる。
多くを語らず、テンションを上げることもなく、誰かのために何かをしたいと、淡々とした雰囲気なのに、力強く信念をもつ主人公。
でも、このドラマは、誰かのために、は、結局自分のためでしょう?と優しくも、突きつけてくる。




2011年3月11日。
私は、札幌に住んでいた。その日はバイトで、店中のお皿がガチャガチャと音を立てて揺れたので、バイト仲間と「こんなに揺れるのは珍しいね」と怯えた。

帰って、ホッと一息ついて、夕方のニュースで初めて、大変な事が起こっている、と知った。

茨城県は大丈夫なのか、海からそう遠いともいえない実家には問題がないのだろうか。
あの、古い家は、収納がない、タンスだらけの和室でよく昼寝をしている母は、ガラスの戸がついている本棚の下が指定席の父は。


それでも、早い段階で家族の無事は確認できた。
Twitterは正常に動いていて、近所に住む友人が、私の家族の安否を連絡してくれた。
ほどなく、母とも弟とも連絡が取れて、話しを聞くと、家中がめちゃくちゃなこと、ライフラインが止まった事を知った。

私の家族は、異常に明るかった。
今思えば、私に心配をかけまいとしているのと、加えて、過去に経験したことのない非日常に、感情が昂っていたのだと思う。

「前日に生協が届いてたから、食料がいっぱい!」
「うちだけ瓦が1枚も落ちなかった!」
「汲み取り式のトイレ、この辺でうちだけだから、みんながトイレ借りにくる」
「畑用に雨水溜めているから生活用水は困らない」
「庭で近所の人と炊き出しをしている」

私は、母から、ポジティブな情報だけを、ひたすら受け取っていた。
うちの家族は、明るくて強い。
勝手にそう安心しきった。

地元の友人達のメール(当時LINEは無かった気がする)では、「あそこで水が売ってるらしい」「〇〇のガソリンスタンドが、明日店を開けるよ」
そんなやりとりが連日続いてて、私は、そこに入れない疎外感のようなものを勝手に感じた。

応援したい、役に立ちたい、何ができる?

そんなことも確かに考えていたはずだ。
だけど、何も思いつかなかった。なにも行動出来なかった。

そうして数日経った頃、疎外感を感じていた私は、何か伝えたいと、友人達のメールに、家族を心配してくれた感謝や、みんなの体調を気にしていること、こっちで流れるニュースに胸を痛めていることなどを、長々書いて送りつけた。

既読、というシステムが無かった筈だ。
待てど暮らせど返事が来ないメールに、震災でサーバーがおかしいのかもしれないと思った私は、こともあろうに、もう一度、メールを送付した。
しばらくして、1人の友人から返信があった。

「そんなことより水を!」

友人から、この返信が来た時、心底ゾッとした。
友人にでは無い、自分にだ。

ライフラインが切れて、今生きるのに精一杯の人に、独りよがりの長ったらしい文章を送りつけて、挙げ句の果てに、感謝や心配いらないよという返信を期待していた自分に、ゾッとした。

自分の家族の明るさに安堵して、友人もきっとこんな感じで返信してくれると甘えた私のメールには、彼女たちに必要な水の、一滴分の価値も無い。

「誰かのため」どころか、ギリギリの状態でいるだろう友人たちの神経を逆撫でしている自分を、心底情けなく、憎悪すら感じた。

長い付き合いの友人達は、それでも、生活が落ち着くと、いつもと変わらぬ態度で私に連絡をくれた。
必死すぎて忘れたのか、無かったことにしてくれているのか、彼女達はいつも明るく、地元に帰った私と会ってくれる。嫌わずにいてくれてありがとうと心から思う。



それから5年後、2016年4月14日、熊本地震が発生した。

転勤で、札幌、熊本、香川と移り、広島に入っていた私は、熊本に住む友人達の安否に、また胸が締め付けられた。

熊本に住んでいた時は、まだ娘が1歳にもなっておらず、はじめてのママ友作りに奔走していて、同じ歳の子供を持つ友人たちと、毎日のように、子育ての相談、と称して、お喋りに明け暮れていた。

たった1年しか住んでいなかったのに、濃い付き合いをした彼女たちとは、熊本を離れた後も、旅行に行ったり、お互いの家にお泊まりをしたりしていた。

あの時も、グループLINEはすぐに動き出した。

大丈夫だよ、怪我もしてないよ、ライフラインが止まっているよ、公園の水道は出ているよ、佐賀に転勤した〇〇ちゃんの旦那さんが水を届けに来てくれたよ、△△ちゃんは、無事に病院で2人目を出産したよ。

疎外感を感じるなんて、あってはならないと思ったし、現状を知れることに安堵した。

だけど。
「体調に気をつけて」「無理はしないで」「子供たちは怯えてない?」「返信は要らないよ」

そんな文章を送るたびに、苦しくなった。
こんな文章送って何になる。
充電もままならないなら、むしろ、迷惑にしかならないじゃないか。

私には、幼い娘がいるから、だから、役に立てない。
いや、子供を理由に動かないだけだろう?そんな覚悟もないくせに。
何も出来ないなら、せめて、必死に生きる彼女達の邪魔をするなよ。

ニュースでは、千羽鶴が熊本に届いていて、流通の邪魔をしてまで、役に立たないものを送らないで欲しい、と放送されていた。


地震からしばらく経って、私は、熊本の友人達に商品券を送った。

現金にしなかったのは、複数人いることと、当時はいなかった新しいママ友さんがいること、みんなにササっと配れるのは、1,000円の商品券を束にした方が、配るのを任せる友人の負担にならないかと思ったからだ。

だけど、使えない店が多かったらどうする?
今更、恩着せがましいと思われたら?

現金書留には、手書きの手紙を添えた。
「3.11の時に何も出来なかった。だから、どうか、私のために受け取って欲しい。なんの気にもせず、ただ受け取ってくれたら、私が救われる」

そんなようなことを書いた。
手紙にしたのは、既読がつくのが怖かったからだ。
思いを伝えるためではなく、ただ、私が怖かったから、手書きにした。

数日後、友人たちから感謝の言葉が届き、私は安堵と共に「やっぱり感謝されたいんじゃないか」と、自分に呆れた。
返信がなくても傷つくくせに、それじゃ熊本のみんながどうしたらいいか困るじゃないかと、自分に腹が立った。


『おかえりモネ』で、被災しなかったことを、罪悪感として受け止めている主人公や、「私は傷ついた経験がないから薄い」と言う職場の仲間、それに対して「傷ついて良い人なんて絶対にいない、そんなことを言ってはいけない」と瞬時に厳しく優しく諭す大人、そういった人たちの、ひとことひとことが、私の胸を刺す。

「誰もがが何かしらの痛みはあるでしょう。自覚してるかは別にして」


放たれるセリフは、自覚しようとしない自分を知らされる。


大して傷ついた事がないのに、一丁前に苦しんでいる風な自分を、滑稽だと責め立てるのは、きっと違う。


初めて、自分の中の嫌な自分と、しっかり目が合った。

「私も傷ついたんです」
そんなことを言いたいのではない。

あの日、最低だなと蓋をした自分に、しっかり向き合って「最低だな」と言う。
「最低だと気付けて良かったな」と言う。
「罪悪感を感じるのは、誰のせいでも無い、自分のせいでもない」と言う。


そして私は、今日も『おかえりモネ』をみて泣く。
それぞれの立場の人の、それぞれの佇まいを、人間のしぶとさや強さをみて泣く。


そしてあの日の自分を見据える力をもらった。
自分のために、どうしても書きたかった。

あの日、水一滴分の重さも、価値もない文章を書いた私に。

今も、あなたは、それでも何か書いている。



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