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幸せに働くことを探し続けて

こんにちは。『tobira.』店主のれいです。

私は、大学を卒業してからずっと「働くこと」について思い悩んできたように思います。

35歳まではずっと会社員として働いてきましたが、今思えば自分に合わないことに随分とエネルギーを使って仕事をしてきたな……というのが本人の感想です。

“好き”よりも“鍛錬”の場として捉えていた「仕事」

そもそも社会適応能力が低いことを自認していたため、若い頃は自分の好きなことを追求するよりも、不得意なことをあえてやって自分を鍛錬させるべきと考えていました。

色んな人にとっつかまって苦労もしたけれど、今思えばこの決断はわりと間違っていなかったなと思います。

しかし反面、良さを伸ばすことよりも欠点を補うことに注力するあまり、いつまでも自分に自信が持てず、足りないことばかりに目がいくようになっていました。

今のままの自分じゃあ駄目だから努力する。

そんな考えも決して悪いものではないけれど、とかく当時の私は自分ではない違う誰かになることに必死だったように思うのです。

心を削りながら実像から離れた”私”を演じる日々

前職の翻訳会社では、営業部と制作部をつなぐ1人部隊として仕事をしていましたが、真ん中の立場ということで色んな人に気を回し、気を使い、謝罪し、心がガリガリと削られるような日々を送っていました。

正直、仕事がうまくいき褒められたとしても、うれしいとさえ思わなかったんですよね。

ただ失敗はしたくなかった……。それだけです。

それに適任だと周りも認めてくれていたけど、自分自身では全くそうは思っていなかった。

そりゃあ、そうですよ。

仕事はうまくこなせたとしても、心の部分ではとんでもない無理をしていただけなのだから。

弱さを隠すように毎日鎧を身につけ会社に行き、違う自分になって1日の大半を過ごす。

「何かが違う」と心は悲鳴をあげてもなす術もなく、虚しさを抱えつつ毎日イライラ仕事をこなすだけでした。

結局仕事は辞めてしまいましたが、その後大きなターニングポイントを迎えることになります。

離職後は結婚、妊娠、出産というライフイベントもあり、これまでのような働き方はできなくなってしまったのですが、そのことをきっかけに、もう過去の自分をなぞるように働くことはやめようと決めたのでした。 

要は「向いている」とか「できる」だけではなく、私自身にやりたいことをやることをもう許してあげたいと思ったのです。

そして、22歳だった当時の私が社会適応能力を身につけたらどんなことがしたかったのか、そのことをもう一度考えて、ゼロからの再スタートを切ることにしました。

“好き”に働くは覚悟をきめること

世の中のすべての人が好きなことを仕事にしているわけではないだろうと思います。

どこか自分を偽りながら仕事をしている人も決して少なくないのかもしれません。

でも少なくとも私は正直さを大切にしていたいからこそ、人としての心のあり方や正しさみたいなものを否定してガツガツ働くことはもうやめようと思いました。

そのエネルギーをもっと自由に、好きなことに使いたい。そう決めたのです。

「いい大人が何を言っているの?」と言われてしまいそうですが、そのためにこれまで社会で鍛錬を積んできたのだから、どうにかなるだろうと思っていました。

もちろん好きなことを仕事にしたって苦労は絶えないし、辛い時は辛いんですよ(笑)

でもその辛さのなかにおいて、何を引き受けるかは、納得して自分で決められるようになると思うのです。

もちろん私も悩んで迷ってばかりだけど、あの頃よりも自分の人生を自分らしく生きている実感があります。

そう思えるまでに時間はかかったけど、生きていく上での希望みたいなものを失いたくなかったからこそ、自分の人生の舵取りはちゃんと自分でやろうと決めました。

人生って、自分が思っているより短いんですよね。

だからそんな限りある人生において、自分にとっての幸福な労働を自分に許してあげたいんです。

そして、好きだからこそ覚悟を持って働く自分の姿によって、過去の働くことへの苦しみを浄化させているようにも思うのです。





















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