「らしさ」との向き合い方。

こんにちは。『tobira.』店主のれいです。

今日は「自分らしさ」みたいなことを書こうと思います。まぁ、ネタとしては多くの人が書き尽くしてくれたようなテーマですが、40歳になった私自身がいま思う、「らしさ」についてちょっと書きたくなりました。

私は本業では全く違う仕事をしているのですが、これまで一緒に仕事をしていた方が担当から外れることになり、彼女からこれまでの感謝の思いをしるしたメッセージをいただきました。

そのメールの文面に「れいさんらしい」という表現があって、書き方からして恐らく私の仕事のやり方なり、他者へのアプローチの仕方が同業の方とは少し違うのかな……なんて想像してしまうような内容だったんですよね。

でも彼女は、それがいいと褒めてくれているんだろうと思うんです。新鮮とかそういう意味で。

だけど一方の私は、ちょっとモヤモヤしたわけですよ。お作法を知らないと思われたのかなとか。(わー、めっちゃネガティブ…)

……で、ここでふと思ったのが、「あなたらしい」って言われるたび、いつもこんな風に褒められてるのか、落とされてるのか、よくわからなくなることが多かったよなって。

「でも、あたしは好きだけどね」の“でも”って何だよ。

高校生の時、特にセンスもよくないけど、ごちゃごちゃと好きなものだけ飾った私の部屋を見て友人が「あなたらしいよね」と特になにを褒めるでもなく口にした時とか、失恋した友人に私なりの思いを意味不明に毎日手紙に書いて渡してたら「あんたらしい文章だよね」とそっけなく言われた時とか。

大人になってからもそう。仕事でもたびたび「本当、あなたらしいよね」ってよく呆れられてた記憶がある。

そして後に続くのは「でも、あたしは好きだけどね」の一言。

「“でも”って何だよ……!」って、つっこみたい気持ちがあったけど、その後もたびたび「あんたって万人受けしなさそうだよね。でも私、好きだよ」みたいな……(笑)

(でも、そういう「愛あるダサさ」が私は好きだし、人間味という意味で惹かれるんだけどな)

「不器用で、わかりにくい」

要するにそういうことを彼女たち、彼らは言いたかったんだろう。

でも年を重ねるうちに、「不器用で、わかりにくい」ってすごく損をするから、「器用でわかりやすい」自分になりたかった。実際にそうやって無理して生きてたんじゃないかなと思う。

完璧からはほど遠いのに、完璧な人間、“器用になんでもこなせる人”って思われたかったんだよね。

だから自分が本来持っている良さと、他人の目から見たそれが合致しないということが生じる。

要は「自分のことが全然わかってなかった」ということなんだと思う。

「らしさ」って愛すべき欠点をも含むことだよね。

皆さんはどう思いますか?「あなたらしさ」ってなんだろう。

ほかの方の意見も知りたいなと思います。

この年になって、自分を諦めるでもなく、無理に誇りに思うでもなく、どうしようもなくはみ出すそのものを「自分らしさ」と呼び、カッコ悪くて見苦しい、理想とはほど遠い自分の姿と付き合っていく覚悟がようやくできたような気がします。

色々と遅いけど、それも「自分らしさ」ということで許してあげようと思います。

おしまい








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