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私にとっての2021年。目に見えない大きな収穫

こんにちは、『tobira.』店主のれいです。

11月に入り、そうか…もう2021年も終わりに近づいているんだなと、今さらながら一年の終わりを実感している今日この頃です。

社会事情によるものなのか、ただ単に私自身の問題だったのか、とにかく色んなことが停滞して、どん詰まり感を感じた一年でした。

仕事に悩み、家庭に悩み…、だけど「もうやーめた」と無責任にその場を退場できない立場になって、年齢の重みというものもずいぶん学ばされたように思います。

何度も何度も同じ場所を行ったり来たり。

仕事に邁進する夫を横目に私は家事育児のタスクに押しつぶされ、仕事に対しても自信を失い、すごく孤独だったな…なんて。

そんな現実を払拭したくて、無理に自分を奮い立たせたところで、何もかもがしっくりこず、手が止まってしまう。

やりたいことがあるとかいいながら、やりたいことが何も見えてこない。

真っ暗なトンネルの先には確かに光が見えるはずなのに、歩みを進めれば進めるほど、その出口はどんどん遠ざかってしまう…。そんな途方に暮れた日々の積み重ねが2021年でした。

でも今思えば、私はひどく焦っていたんだな。そう私自身を振り返ります。

「機が熟す」という言葉があるけれど、物事を行うには絶好のタイミングというものがあるものです。焦って何かを始めても、計画倒れになったり、先細りしてしまったり。何かをやる、始めることだけに意味があるわけじゃないですからね。

人生には、じっと待つ力が必要。流れを見る、流れが変わるまで待つ。

焦って動けば、たいだい失敗する。

この一年は、とにかく「待つ」時間でした。

といっても、待つことでずばり私が見つけた答えなんて、正直ないのだけれど。だけど今はまだそれでいいと思っているのです。

仕事においても、これと思えるテーマを見つけきれなくてもいい。私の持っている力で、誰かの力になれるのなら、今はそれでいいんじゃないかと。

そして家庭内でも、40代となり重い責任におしつぶされながらも毅然と仕事に打ち込む夫の姿を眺めながら、「この人にはこの人にしか見えない世界があるんだもんな」と心穏やかに思えたのです。

役割で縛っていたのは、もしかしたら私の方なのかもしれません。

目の前の物事に対して、コツコツと手を動かすことは案外大切なことで、人はつい未来が不安になって先への備えばかりに目を向けてしまうんですよね。

すると、今をおそろかにするだけでなく、いつの間にかその未来さえ見失う。

だから迷った時は今に集中して、静かに手を動かす。

そんな時間の積み重ねの先に、私が思う「いつか」に出会えたらうれしいな。

まぁ、理想通りの「いつか」に出会えなくても、その時に見える景色がどんなものなのか、楽しみに思える余裕を取り戻せたことが、2021年今の大きな収穫なのかもしれません。





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