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人に振り回されるのもまた人生

最近つくづく、「大変だ、忙しい」と感じることに飽き飽きしている。

というのも、日常的に「大変だ、忙しい」にすっかり支配されている私は、何をしていても心にゆとりを持てない。

さらに言えば家事育児の分担に対する不平等感をますます強めてしまい、「なんで私ばっかり」と怒りばかりを溜め込んでしまうことにもなる。

「大変だ、忙しい」は私だけではないのに……だ。

家をきれいに保つこと、家族の食事を作ること、当たり前のことが実はこんなに大変なことだったのかと、つくづく感じさせられる毎日。

例えば“当たり前に部屋をきれいにする”って、とんでもなく難しい。

部屋をきちんと片付けましょうって言ったって、家族が次から次へとモノを出して、そのまんまでどこかに出かけてしまう。

じゃあ、片付けやすい動線を作りましょうって言ったって、人にはそれぞれ習慣があってだな、人の言うことを容易く受け入れるほど自我のゆるい人間はうちの家族にはいない(笑)

リモコンを定位置におきたいのは私のルール。

洗った食器はすぐに拭いて、食器棚にしまっておきたいのも私のルール。

趣味じゃない本や雑誌は棚の中にしまっておきたいというのも、そう。

このマイルールが自分の首をしめ、「大変だ、忙しい」につながっていることも十分承知しているのだけれど。

しかし毎日、毎日家族が残した汚れを後ろからくっついて拭うような生活(これはあくまでおおげさな表現)に私が疲れているように、家族だって「ちゃんと片付けてよ」と口すっぱく言われる生活に辟易していることだろうと思う(笑)


どこかで折り合いが必要なのだろうけれど、これはおそらく一生続く戦いにもなりそうだ。

私は私の感じることに嘘をつけないし、マイルールを簡単に手放せるほど柔軟性のある、人付き合いにたけた人間でもない。

別に意地を張るわけでもなく、いつかいろんなことをスーッと諦められるまでとりあえず時を待とう。そんな気分だ。


だからあいも変わらず「大変だ、忙しい」に支配され、ブーブー言っていることだろう。

だけどすべて過ぎ去ったときに、私が感じることは変わるだろうし、記憶が持つ感触も変わってくるんだろう。

これもこれで幸せだったのかも。

多分私はそう思うんだろうな。

誰かに振り回されることでしか見えない世界や経験ってある。

すべてがそんな時間ではさすがにたまらないけれど、面倒を引き受けたことでできるようになったことって確かにあるわけで、「あぁ、私って実は人のために何かをしてあげられる人なのかも」なんて、自分の可能性に希望を見出すこともできるかもしれないし。

そんなぐちゃぐちゃな時間も人生にはあり。

今はあり。

そう言い聞かせてコーヒーを飲み終えます。

皆さま、今日も頑張りましょう。


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