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自分独特の

私は本の中でたびたび「自分独特の」という言葉を使いますが、これは元々は岡本かの子の短編「快走」から採っています。(『おやときどきこども』参照)

以下、「自分独特の」を考えたときのメモのいくつか。

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自分独特の感覚よりも相手と共感し共感される関係を優先する人が多い。それは理解ではなく構造的暴力に抗いもせず流されることなのに、暴力を嫌うはずの人たちがなぜそれを自分に許すのか。

共感の共同体を作ることにばかり執心する人は、いつの間にか自分独特の傷や怨みが他人に乗っ取られても気づかなくなる。否、気づいているが、その自己疎外の恨みをも共感しない人を排除・攻撃する形で発散することで気づかずに済むようにする。 (2023.2.18)

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自分は自己肯定感が低いと思っている人はまずその自己肯定感という言葉を捨てた方がいいです。そんなものはない。

自己を「肯定できなければならない」というバイアスが強すぎるせいでいま苦しんでいる人が多い。自己否定をやめることと自己肯定感を得ることは必ずしも一致しない。否定しないことと肯定することは同じようで違う。否定でも肯定でもない自分独特の道を探ること。(2022.9.13)

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私の中のテーマに「自分独特の生き方」というものがあり、これは私にとって経営(についての考え)と直接結びついている。それはいわゆる社会的成功を目論む「起業」のモチベーションとは異なる、ある種のやむを得なさを含む個々の(精神分析でいう)欲望が関わっている。(2022.10.31)

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RM出演のトーク番組、とても面白い。社会規範の中でパターナルに「人生の意味」を問われ続ける子供たち。でもそれ以前の欲望に気づくことが自分独特を生きることに繋がる。(2023.1.5)


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クラファンで人を応援することはあっても、自分でクラファンでお金を集めようとは思わないのは、肝心の自分独特の経済を手放すことになる(と感じる)からだ。(2022.7.31)

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両親が同じような熱意で同じようなメッセージを出し続けると子供は独自で考える余地を失う。自分独特の考えというものがわからなくなり、結果自己疎外に陥ってしまう。

子供は複数の大人が相容れない生き方をしていることを肌身で感じることで、その相容れなさの間で自分なりの生き方を見つけることができると知る。(2023.12.31)



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