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インタビューを受けたら、セラピーを受けたみたいに気持ちが前向きになった話。

人生で初めて、インタビューというものを受けた。
きっかけは、友人が私の話をインタビューして原稿にしたいと言ってくれたこと。

二つ返事で引き受けたのはいいものの、インタビューの前はただただ不安だった。
論理的に筋道を立てて話すことは私の非常に苦手とすることだし、そもそも私のインタビューなんて果たして面白いのだろうかという疑問。

友人は前もっていくつか質問を用意しておいてくれたので、私は生真面目にWordに回答を書き起こして臨んだ。

しかし不安とは裏腹に、緊張して臨んだインタビューは、蓋を開けてみたらただただ楽しかったのである。書き起こした回答なんて一切不要だった。

そればかりか、友人のインタビューを受けたことで、私はまるでセラピーを受けたかのように気持ちが前向きに変化したのである。


* * *

友人は、会社を辞めて学生になったというやや特殊な私の経歴に興味を持って、インタビューを思い立ってくれたそうだ。しかし、思いも寄らず話は私の子供時代のことにまで遡ることとなった。

思い返せば夢のように楽しかった10歳の頃までとは一転、私の10代は暗黒期だった。

小学校高学年になりクラスの女子の中で孤立して辛かった話、中高一貫校での息の詰まるような学校生活、そして家庭にも学校にも居場所がなくて張っていた糸がプチンと切れたように高校に行けなくなってしまい、しばらく引きこもっていた話。

今までこんなことは誰にも話せなかった。これらは全て私の弱点で、見せたらおしまいだと思っていた。でも話しているうちに彼女なら話せると思ったし、結果話せた。

信頼できる友人に「昔の辛かった出来事を話し、それを聞いてもらう」だけで、こんなに気持ちが楽になるなんて知らなかった。

それは彼女が非常に優秀なインタビュアーだったことにもよると思う。彼女は決して否定しない。表情、相槌など全身で話を受け止めてくれるのだ。私は割と敏感で、相手が自分の話に興味がないと感じると一瞬にして言葉に詰まり話せなくなってしまうたちだが、彼女は約2時間のあいだ、一切そんなことがなかった。

そして、自分でも何でそう思うのかよくわからなかった思いも、彼女は的確な質問をすることで丁寧に紐解いてくれ、自分でも知らなかった新たな思いを発見できたことがインタビュー中に何度かあった。

***

私は今までとても重たい鎧を着ていたんだと思う。「人生はなるべく完璧なものでなければならない」という鎧。でも、「完璧な人生」ってなんだろう?よく考えれば、私が深い仲になってきた友達は、何かしら大きな挫折経験や辛かった過去がある人ばかり。そういう人に惹かれてきたのに、自分の人生はなるべく瑕疵がなく「完璧」でなければならないなんてどうして思い込んでしまったんだろう?

辛くて辛くて、あんなことが私の人生に起こらなければ良かったのにとずっと思っていた過去。「辛かった」という思いは今でも変わらないし、人生に多分に影響を与えている。
でも、自分のことを彼女に話すことで、「自分の人生はそれぞれの出来事で断絶されている訳ではなくて、繋がった一本道になっているんだ。だからどの出来事がなくなっても今の人生ではないんだ」と思えた。
当たり前のことなのだが、それを心から実感できたことで、自分の人生がかけがえのないものに感じたのである。

セラピーとは傷つきに向き合うことである。
(東畑開人「居るのはつらいよ」)

この言葉にあるように、私は図らずも友人のインタビューを受けることで、過去の傷つきに向き合うことになり、それを話すことで受容できた。

今回のインタビューは、私にとってはセラピーそのものだったのだ。

この魔法はそのうち薄れ、また自分の人生に対してネガティブな思いを抱く自分に戻ってしまうのかもしれない。いやきっとそうだろう。人間がそう簡単に変われないことを私は知っている。

でも一瞬でも、インタビューを受けたあとに感じたあの気持ちは私の奥底に眠る宝物として、きらきらと煌めいてくれるだろう。そして、きっと私の生きる力になってくれるだろう。

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私の話に興味を持ってくれて、真摯に話を聞いてくれた友人のEに心から感謝します。ありがとう。

#もぐら会 #もぐらのこぼれ話