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傷を舐め合ってるわけではない

推しのライブに叔父と行った。
ちょいちょい出てくる叔父だが、叔父は叔父である。
親子以上に仲が良いのには事情がある。

叔父は、30年連れそった義叔母を認知症と癌で早くに別れた。
父と私は、母を原発不明癌で一瞬で別れた。

わたしたちは
それぞれ、一番愛した人をどうにもできない病で亡くした。
わたしたちの喪失感は激しかった。

目に見えて激しかったのは私だろうが
父と叔父にも抱えきれない孤独がある。
それぞれ、己の無力さを憎み受け入れ難い日々と闘っていた。

東急本店が、ごっそり無くなっていた。

父は仕事が忙しく、日本の文化に関心がないので
観劇が好きな叔父がいつも一緒に行ってくれる。
叔父には悪いが、たまに良い演目に当たると
「ああ、お母さんに見せたかったな」と過ってしまうこともある。
叔父にさせてることは母の代わりではないかと思うこともある。

わたしたちは家族で、他人にはわからない喪失感を抱え
懸命に生きている。

それは、寂しさを埋め合わせているわけではない。
寂しさは誰といようが何をしようが埋まらないのだから。
わたしたちは家族なんだ。ただ、それだけだ。