見出し画像

はじめの一歩~ライターへの扉をあけるまで~

「パパが倒れて救急車で運ばれたって」

リビングでテレビを観ていたわたしに、慌てて携帯電話を差しだす娘。ある日曜日の夕方のことでした。

電話の内容は、夫が脳出血で倒れ緊急搬送されたとの連絡でした。

「命に別状はありませんか?」と尋ねるのが精一杯で、急いで病院に駆けつけました。

お医者様から、処置が早かったので手術の必要もなく、薬の投与治療で様子をみるとの説明を受けました。

脳卒中専門外来のある病院の近くで倒れたため、すぐに搬送してもらえたのです。運が良かったとしか言いようがありません。

しかし、この日から我が家の生活がガラリと変わったのは言うまでもありません。

そして、わたし自身も自分を見直すきっかけになりました。




はじめて味わう不安

病室のベットで眠っている夫は、素人がみても右側がマヒしているとわかる状態です。

「右半身のマヒと言語障害が残るのは覚悟をしてください。」と、担当医から説明されました。

マヒ? 言語障害?
その言葉の先にあるのは「介護」の二文字です。

まだ49歳ですけど……

そして子どもたちは大学3年生と大学2年生。なのでまだまだ学費が必要な年齢です。

そのうえ、夫は2年前に会社を辞め独立したばかりだったのです。わたしが夫の代わりをできる訳はありません。

夫が倒れた日から、眠れない不安定な日々が続きました。とにかく不安で不安で不安でしかなかったんです。

想像以上のしんどさでした。

「乗り越えられない壁はないから頑張って」と、心配して声をかけてくれた友人がいました。

壁なんていらないし頑張っているから! と、当時のわたしは素直に聞き入れることさえできません。自分の精神状態を思い出すだけでもゾッとします。

50代からの就職活動

夫が倒れた時、わたしは1日4時間だけ働くパート職員でした。ですが、状況が変わったため正社員としての仕事を探そうと就職活動を始めました。

何社か条件のあう会社へ履歴書を送ったのですが、結果はことごとく不採用でした。撃沈!


50代になったばかりのことです。

なんの資格もなく事務職しかできなかったのですが、地元の小さな会社ならどこか1社くらいは合格するだろうと、甘く考えていた結果です。

働かないと! という焦りと自分の無力さで益々わたしの心はズタズタです。

結局、以前正社員で働いていた会社で、産休の欠員が出たため再就職できることになりました。

でもそれはコネのようなものです。自分一人ではどうすることもできなかったんですから。

感謝すること

夫は重度の後遺症が残ると言われていたにもかかわらず、ほとんど後遺症がない状態まで回復しました。歩くのが少し遅くなったくらいで、言葉の障害はまったく残っていません。

倒れた後の処置が早かったのとリハビリを頑張った夫の努力でしょう。きっと家族のために頑張ってくれたのだと思います。

「ママが笑わなくなった」と心配してくれた娘。
地方の大学に通っていたので様子がわからず、とても不安だったであろう息子。

「餃子を作ったよ~」「ハンバーグをつくったよ~」と夕食のお裾分けを持ってきてくれた友人。

みんなわたしの心強い味方です。心のよりどころです。だから感謝してもしきれません。

我がままで負けず嫌い、なのに臆病で弱虫。チョー面倒なアラフィフ女子。それが数年前のわたしです。なのに、支えてくれた人は、たくさんいました。

夫が病気をしてくれたおかげ(?)で、人に感謝することを深く深く感じました。

そして、わたし達夫婦が守っていたはずの子供たちに、いつの間にか、わたし達夫婦が守ってもらっている。ということにも気づいた貴重な経験だったと思います。

でも、つらい経験は二度としたくありませんけどね。

気になっていた「ライター」の仕事

少しずつ心にゆとりができ、客観的に自分を見つめなおすことができるようになったころ、ずっと気になっていたライターの仕事を真剣に調べてみようと思いました。

小学生のころから「ものを書く」とが好きでしたので、読書感想文は朝飯前なのですけど(笑)

そんな簡単なものではないので、自分なりにライターの仕事の内容、活躍の場や需要などを調べました。

なぜだか自分でもわからないのですが、ライターの仕事に自分で勝手に年齢制限を決め境界線を引いてしまったんです。今からでは遅いと……。

なんてもったいないことでしょう。何でもやりたがり屋なはずなのに間違いなく背中を向けてしまいました。

しかし、潜在意識の中にしっかりと埋め込まれていた「ライター」の4文字は、いつも頭の隅にありました。

ある時、SNSをのぞいていると、わたしより年上のライターさんの発信を目にし、いつの間にか彼女の追っかけとなったのです。

若い方から同世代の方まで幅広い方たちから、多くのコメントが届いてました。

生き生きしている彼女のようすが伝わってきて、とても羨ましく思いました。SNSでの発信だけでなく、本まで出版するという大活躍です。

最初はSNSすら使えなかったと知りました。やりたいと強く思えば、かならずできるようになるんですね。


年齢であきらめてはいけない。やりたいことを始めるのに年齢は邪魔にはならない。そう思えるようになったのです。

そして、パソコンの中で活躍している同世代のライターさんのようになりたいと強く思うようになりました。

自分で勝手に引いた境界線は、いとも簡単に取り払うことができたのはいうまでもありません。

本気で頑張る3か月のはじまり

夫の病気をきっかけに、いろいろな経験をして、たくさん考えやっとたどり着いた「ものかきの講座」

重い重い鉄の扉だとおもっていたこの講座は、案外軽く開けることができました。そして、すーっと吸い込まれるように自然と中に入れました。

わくわく、ドキドキしながら始まった最初の講座の時に、先生がおっしゃった言葉が深く印象に残ったのでご紹介します。

“人生を変える3か月
わたしも命をけずって取り組みますので、覚悟を決めましょう! ”
と。

こうしていよいよ覚悟を決めた修行が始まりました。

本気度が試される、決めたからには最後までやり遂げる体力はあります。苦しみながらだと思いますが楽しむつもりです。

やりたいことがあるのにためらっていたら…

何かにチャレンジするのに、年齢は関係ありません。「やりたいと思った時が適齢期!」だと思って思い切ってやってみるのもいいものです。

わたしのように年齢を理由にちょっと足踏みしている人がいらしたら、少しだけ考え方を変えてみてください。

やりたいことがあるって幸せなことですよ。自分の可能性を諦めないで、一緒に頑張ってみませんか?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?