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自由研究ノート-組織内政治の基礎を知る(β)

序 ある策謀ファンの誕生

おれは子どもの頃からなにしろ権謀術策が好きであった。きっかけはたぶん三国志だっただろう。最初に誰のバージョンをいつ読んだかはすっかり忘れてしまったが、遅くとも中学生の頃には、吉川英治版を愛読書としていた記憶があるし、小学校の卒業文集のタイトルが『三国志と私』だったことは、古い友人の語り草にもなっている。ファミコンに移植されたKOEIの三国志Ⅱもひたすら遊んだし、再放送のNHK「人形劇 三国志」(紳助と竜介が出てるやつだ)も全部見た。

当事、父親と三国志のどこに魅力を感じるかについて問答した記憶があるが、「一方の組織では英雄である存在が、他方の組織では憎むべき敵と認識される」などと、要するに正義や価値というものは人や組織によって様々に異なるものであり、そこにロマンを感じるのである、という旨の話をしていた。今ならそこに時代も付け加えるところだが、まあ小中学生の言う事だし、我ながら十分立派だったと評価することにしよう。

実にありきたりな話だが、三国志少年であったおれのヒーローは諸葛孔明であった。脳筋だらけの乱世において、知略を駆使し、流浪の英雄であった劉備を一国の主に押し上げ、曹操という強敵を前にしながら、三国鼎立というグランドデザインを実現した人物。偉業・・・・これは間違いなく偉業だ。

おれは孔明の影響で、子ども心に四書五経、武経七書に通じ六韜三略を諳んじるようでなければひとかどの人物にはなれぬ、と思い込み、少なくとも現代に伝わる兵書の傑作である「孫子」をマスターする事から始めようと思った。「やるなら軍師」ってやつだ。とはいえ、子どもにリーチできるリソースはかなり限られている。おれは放課後に小学校の図書室を隅から隅まで探し、ようやくのことで漫画版の「孫子」を探し当てた。借りたのはおれが最初だった。

たぶんだが、絵柄等を見る限り、蔡志忠の『マンガ 孫子・韓非子の思想』の単行本バージョンだったように思う。同じシリーズで『マンガ 老荘の思想』とかもあったので、なんか中国の古典っぽいやつには4000年の叡智が詰まっているに違いないと考えたおれは、とりあえずそっちも読んだ。かくして、兵法と老子、そして韓非の政治論にかぶれたマセガキが大阪の郊外に誕生したのである。その後も、親に『小説十八史略』のボックスをねだったり(買ってもらった)、陳舜臣の『諸葛孔明』(今でも手元にある)を買ってもらったりしながら、ためた小遣いを握り締めて、自分用の本格的な「孫子」(守屋洋)を本屋で始めて手に入れた時に実に満足したのをよく覚えている。

そんなおれも、思春期の間に、オルタナティヴ・ロックがどうのこうのと言い出したりして、そういうことはいったんすっかり忘れてしまい※、今や特別詳しくもなんともないが、振り返って考えると、自分の考え方のベースに多大な影響を与えたものだったような気がしないでもない。内容を思い出せなくても、心の深い部分に小学生の頃に読んだ中国古典の思想は今も息づいている。内容を理解していたかもあやしいのに不思議なものだ。

子どもにどういう書物を与えるか、というのはそいつの人生を決めかねない重大な事項なのだ。子育て世代のかたには、十分注意を払うことをお薦めする。

※ とはいえ、高校のころジョゼフ・フーシェの評伝を漫画にした『静粛に、天才只今勉強中!』(倉田江美)を読み、政治のど真ん中でまさに「政治的」に立ち回る変節漢の生きざまに感銘を受けたりもした。なお、本作の底本となったのは、シュテファン・ツワイクの『ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像』という評伝であり、大学の頃に入手して以来愛読書となっている。ちなみに、ジョゼフ・フーシェは、フランス革命期からナポレオン時代にかけて生き抜いた政治家で、秘密警察を駆使して要人の弱みを握り、政権を渡り歩いた策謀家である。その辺の社内政治本を読むより、よっぽどためになる本とも言えるが、本格的過ぎてほとんど使いどころはない。

そしておれは組織内政治に興味津々おじさんになる

そんな人間がまがりなりにも社会人になるとどうなるか。本人も忘れていたような眠っていた古代中国の知恵がむっくりと起き出し、やにわに無意識領域で仕事を始め、組織ライフをソーシャルな方法で乗り切ろうと策謀を練り始めるわけである。世の中は道徳的な人ばかりで成り立っているわけではない。組織の統治には誰かの権勢を有効に用いる事が必要であり、組織成員の様々な様相を観察し、致命的なコンフリクトを避けながら、うまいことサヴァイヴしなければならない、とおれは考えた。幼少期を振り返ればごく自然な流れだ。別になんかあったわけではない。もともとおれは世の中とはそういうものだと思っていた、つまり世界観の問題だったわけである。

おれにとっては、組織というものは、もともと善意でほっとけばうまく行くようなものではなく、なぞの力学によっておかしなことも起こるし、君主にネガティブな情報が伝われば、たとえ嘘であっても一瞬で文字通りクビを飛ばされかねないような危険なものということになっている。よって、そんな中でいわゆる「政治的な」立ち回りをしないというのは、とても考えられない事だ。世の中は非情である。有能であればあるほど、誰かの不興をかって冷や飯を食わされるリスクが高まったりもするのだ。努力して実力を身に着け、サクセスしたいのであれば、その分、足を引っ張られることや危険な嫉妬に対処することにも十分気を遣わなければならない。

ところが、世の中には、一定数「組織内政治」というものはよからぬものであり、フォーマルなルールに従ってオープンな対話をベースに正々堂々と組織は運用するものである、と頑なに考える善良な人々もいるようである。まあ、その気持ちもわからなくはないし、そういうイケてる組織もどこかにはあるのかも知れない。今後、ホワイトで意識の高い若者みたいな人が増えていって、次第に策謀好きでセコイ昭和の人物はあまり評価されなくなったりとか、そういう未来もあるかもしれない。

とはいえ、現実はまだその段階にはいたっていない。最初は垣根の無かった組織でも、順調に会社がデカくなって、すくすくとセクショナリズムが成長し、部分最適vs全体最適の問題が深刻になってきたりとか、なんかの拍子に政治的な人間がメンバーに加わったりとかすることもあるだろう。何しろ、統治の問題というのは、古代中国から考えても2000年以上の長きにわたり考えられてきたことであるが、未だにあーでもないこーでもないと議論が尽きないエリアなのである。未来を見ても、人間が集団を作る限りは、そう簡単にはクリアできない問題であるとも十分考えられる。

ゆえに、組織内政治に対する鋭敏性を養い、その手法に精通していることは、その力を行使するか否かとは別の問題として、社会人にとっては結構大事なことだと現時点でおれは考えている。理想を掲げるのは重要だ。しかし、おれは実務家であり、組織やクライアントの目の前のREALな問題も解決しなければならない。ややこしい問題というのは、なぜか正攻法では動かない。それをごにょごにょとしてなんとかするのも仕事の一つなのだ。

ただし、おれは組織人ではない

ところで、おまえは何をしている人間なのかという点を追及されるのが、この話をする上でのおれの最大のウィークポイントだ。おれはストリート系会計士であり組織人ではない。サラリーマン経験に至っては5年ぐらいしかないし、しかも古き良き監査法人とかいう基本的にあまり組織の体をなしていないところでしか働いたことがないので、普通の会社でのリアルな悩みとか、具体的な処世術みたいなものは、実はあまりよくわかっていない。ただの、組織内政治になぜか興味を持っている残念なおじさんというのが実態である。

一応、用意した言い訳をしておくと。組織内政治で重要とされるスキルは、企業のアドバイザーのような仕事をする際には、非常に役に立つ。顧客企業の社内力学のようなものを適切に把握しておかないと、よくわからない恨みをかって、とんでもない汚名をかぶせられてクビにされるようなことも無きにしもあらずなのだ。よって、対企業で商売をやっていきたいと考えている場合、組織内政治の基本について最低限は理解しておくべきだとおれは考えている。

また、仕事以外の団体でのコミュニティ活動みたいなものを考えても、誰が有力者でどのように意思決定をしているかみたいなことに対する敏感さは必ずと言っていいほど必要になる。経済的な業績のような明確なKPIを持たない組織においては、ことにその傾向は強くなるような体感もある。おまえもいつPTAの役員みたいなものをやらざるを得なくなるかわからない。話の通じないやっかいなジジイが長年君臨しているよくわからない地元の委員会とかとも多分うまくやらなければならない。その時に正論みたいなものはたぶんあまり役にたたないだろう。それでいいのかとは思うが、REALはREAL。兵家の思想は現実主義なのだ。

というわけで、組織人として切実に必要でなくても、組織内政治について基礎的な理解をしておくことは役に立つし、まるで人生に関係ないことでもなかったりするとおれは考える。そして、今回おれは、身の程をわきまえているので、基本的な事しか言わないつもりだから安心してほしい。実際に、組織内でサヴァイヴしサクセスするために必要なのは、「組織内政治のりくつ」ではなく、状況に応じて臨機応変に立ち回ることだろう。それについて助言することはできないが・・・・そうだな・・・・そういう時は取り敢えず、「孫子」でも読めばいいんじゃなかろうか。

自由研究の概要

さて、前置きが長くなったが、今回は、組織内政治(社内政治)について、いくつかの文献をあたり、そのエッセンスを簡単に(できるだけ)まとめようというものだ。要するに趣味的な自由研究ノートである。この辺で既にスクロールバーにひるんでいる読者がいるとしたら、正常だ。ほとんどの部分は読み飛ばして差し支えないので、あまり気にしないでもらいたい。

軽い読み物を求めている場合は、序文が多少の暇つぶしとして良いのではないかと思っている。そしては、まとめは、おじさん力をアッピルすべく老害臭多めに仕上げてある。


差し当たり、今回は以下の文献を参考にした。本稿は、これらの文献から得たものを、ごく大雑把にまとめるものである(論文ではないので)。よって、詳細な内容や正確な内容を知りたい人は、必要に応じて原典を参照してもらえれば良いかと思う。

ちなみに、結論としては、「知ってた」になる。そりゃ、現実を対象としている研究なのだからそうだろう。

少しだけディスクレーマーを書いておくと、おれはもちろん学術研究を専門としていないただの実務家であるので、参照した文献が評価の高いものなのか、トンデモなのかはよくわからない。そもそも、組織内政治に関して手軽に読める文献があまり多くないので、取り敢えず見つけたものを読んでみたレベルの話である。内容的にはわりと共感できるものが多かったと感じているが、それは単純におれが権謀術数とか社内政治とかが好きだからであって、一般に妥当だと受け入れられる内容なのかどうかはよくわかっていない。いずれにせよ、批判・進化の余地は多分にあるのではないかと思うところなので、それを踏まえて興味があるところをザっと読んでいただければ幸いである。

(論文)
木村琢磨(2011)「組織内政治と企業内キャリア:文献サーベイ」

https://hosei.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=7610&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

大嶋玲未、廣川佳子(2020)「日本企業での新規提案場面における組織内政治の実態と機能」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaiop/34/1/34_59/_pdf

Takuma Kimura(2015)“Networking and Facework as Political Behavior within Organizations”
https://www.seekdl.org/conferences/file/paper/20151224_044424.pdf

大嶋玲未、宮崎弦太、芳賀繁(2016)「セルフ・モニタリングが組織内政治の知覚およびスキルに及ぼす影響」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/personality/25/2/25_135/_pdf

小城武彦(2015)「日本企業の組織衰退メカニズムの探索的研究ー実質破綻企業の事例からー」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/taaos/4/1/4_26/_pdf

寺畑正英(2002)「人事政策における政治的プロセスの影響」
https://toyo.repo.nii.ac.jp/record/5064/files/keieironshu59_079-091.pdf

田中堅一郎(2001)「組織市民行動 ―測定尺度と類似概念、関連概念、および規定要因について―」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaas1986/15/1/15_1_1/_pdf

大嶋玲未、宮崎弦太、芳賀繁(2018)「組織成員の主要5因子性格が組織市民行動に及ぼす影響における政治スキルの媒介効果」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jaiop/32/1/32_31/_pdf

(書籍)
高城幸司(2014)「社内政治の教科書」

https://amzn.asia/d/8dsFuIg
実践的ないわゆる「政治的スキル」や「政治的な立ち回り」について書いた本。

芦屋広太(2018)「社内政治力」
https://amzn.asia/d/bZrpitK
同上。ボリュームが少ないので読書が苦手な人向け。

ジェフリー・フェファー(2011)「「権力」を握る人の法則」
https://amzn.asia/d/92AoTZY
海外を中心とした熾烈な権力闘争とその闇について書いた本。権力のメリットも説いており、自己啓発的。

組織内政治の研究の状況

組織内政治については「会社には『社内政治』が付き物である」などと言われており、諸外国でも広く見られ、海外では学術研究の蓄積がある(木村2011)。一方で、国内における実証研究はまだ少ない(大嶋他2020)。

組織内政治の研究は大きく以下のアプローチで行われてきた(木村2011)
・政治行動、影響戦術を扱ったもの(初期、1970年代)
・POPs※を中心的な概念とするもの(1980~2000)
・政治スキルに焦点を当てたアプローチ(2000~)

※ POPs(Perceptions of Organizational Politics)とは、従業員に知覚された組織内政治のこと。客観的事実ではなく、主観的知覚としての組織内政治を言う。
Ferris他の定義(2000)によると、
「同僚や上司の私利的行動が、どの程度、仕事環境の特徴として強く表れているかに対する、個々人の主観的評価」
であり、要するに「政治度合い」みたいなものは測定しづらいので、従業員等の知覚度合いを調査する方が科学的なんじゃないか、みたいな話であり、学者ではないおれからすると、まあそんな風に考えて研究してるんだな、ということが分かれば良いという感じの話である。

ポイントは、社内政治のようなものは、いかにも日本っぽいもので、合理的で個人主義的な他の文化圏ではあまりないのではないか、と考える人がいるかも知れないが、ありようは多少異なったとしても、どこにでも多かれ少なかれある、というところだ。むしろ、ポストをめぐって熾烈な争いがあり、必要があれば他人を追い落とすことも辞さず、和をもって尊しとしない文化圏のほうが、かえって政治的な権力闘争のようなものは熾烈なのではないかという気もする(フェファー2011を参考)。

組織内政治の定義(木村2011)

広義:組織の基本的な機能に貢献しうる、多様な社会的行動
Pettigrew(1973)
「組織における資源配分システムに要求を出すために、個人または組織のサブユニットによって行われる行動」

Tushman(1977)
「目標の定義、方向性、その他組織の主要なパラメータに影響を与えるために、権限やパワーを用いること」

★Pfeffer(1981)フェファー
「選択に不確実性や不同意がある状況において、自分にとって望ましい結果を得ることを目的として、パワーやその他の資源を獲得・開発・使用するために、組織内で行われる活動」

狭義:組織によって正式に認められていない、私利的な行動
Mayes & Allen(1977)
「組織に公認されていない目標を達成するため、および、公認されていない影響手段によって公認された目標を達成するための影響力のマネジメント」
→ 打算的で巧妙な策略的行為が政治であるとして、単なる影響力と区別。

★Mintzberg(1983)
「非公式で、表向きは局地的で、一般的に軋轢を生じさせ、そして特に技術的な意味で、非合法な個人または集団の行動であり、公式権限や、公認のイデオロギー・専門性によって認められていない行動」

Ferris他(1989)
「短期的・長期的な自己の利益を最大化するために、他者の利益に合致する形、あるいはそれを犠牲にし得る形で、行動が戦略的に設計される社会的影響のプロセス」

世間でよく言われるダーティーなマネジメント手法のようなイメージは、組織内政治的な行動が時として私利的に行われる、という現実に基づいている。一方で、組織運営においては部門間の利害対立のような、部分最適と全体最適の食い違いの問題を円滑に処理することが不可欠であり、その際に、公式な意思決定プロセスとは他に、インフォーマルな協議や情報伝達が駆使されることはよくあることである。つまり、組織内政治は、成員の自己奉仕に濫用されがちという負の側面はあるが、組織運営の効率化に資する面もある、というようなことが言われている。

もう一つ、組織内政治的なものがネガティブイメージを持たれがちな原因として個人的に思うのは、政治力の源泉となる社内外のネットワークや権力者との人間関係のようなものは、ビジネスの実践を通じて蓄積し、蓄積したことによりさらに強化される資本のようなものであり、このようなソーシャル・キャピタル※を持たざる者(典型的には若年者や新参者)が不公平感を抱きやすいことがあるのではないかというところだ。要するに、持たざる労働者であるおれのようなやつが、やたらとブルジョワジーを打倒したがるのと似たようなところがあるんじゃないかと思っている。

いずれにせよ研究者たちが指摘していることは、組織の意思決定は、組織内のオフィシャルな規範的手段に基づいて合理的に行われることが「あるべき論」ではあるが、実際には、手続き的な慣習があったり、資源をめぐる組織内コンフリクトの政治的解決によらなければならない部分があり、現実の組織を理解するためには組織内政治を理解する必要がある、ということになるだろう(大嶋他2016など)。

※ 本稿では、個人の持つ社会関係資本を「ソーシャル・キャピタル」と呼ぶことにしている。共同体や社会が備えている資本の意味では用いていない点を一応断っておく。

政治行動と政治スキル(木村2011)

政治行動

政治行動とはどういうものか

リストアップされたものは、特に一般的なイメージと相違しない。実践的に特に重要であると考えられているのは、「ネットワーキング」である(木村2015)。要するに味方を増やしたり情報源を確保したりといったことは、仕事をうまくいかせるためには必須である、ということだ。ネットワークがあればこそ、他者の権威を借りたり、時には連帯してターゲットを攻撃したり、という事が可能となる。また、強力なネットワークを構築するためには、上位者へのアピールや他者への便益の提供といった行動が必要となるだろう。

なお、あらためて言うほどのことでは無いが、先に述べたように、ネットワークのようなものは経済的な資本と同じく、ネットワークがネットワークを強化するように働く。つまり、人脈の広い人のもとには人が集まるし、情報を沢山持っている人の元には情報が集まる。

政治スキル

Ferris et al.(2005)
「仕事において他者を理解する能力、および、その知識を用いて、個人的・組織的な目標の達成に役立つように他者の行動に影響を与える能力」

(構成要素)
社会的鋭敏性:他者を鋭敏に観察し、様々な社会的状況に敏感に反応し、適応する能力

対人影響力:微妙なニュアンスを把握する力や説得力により、周囲の人に影響を与える能力

ネットワーキング能力:人的ネットワークを形成し、活用する能力

仮現誠実性(apparent sincerity:うわべの誠実さ):自分が、高潔・正直・誠実な人物であると他者に思わせる能力

政治スキルに着目する研究は、従来、ネガティブな影響が取り上げられがちであった組織内政治について、組織や個人に及ぼすポジティブな影響を強調している。実際に、政治スキルの高い人間は職務上のパフォーマンスが高いことが実証されている(大嶋他2016)。

政治スキルに仮現誠実性が含まれているのはある意味「政治らしさ」とも言えるかもしれない。印象形成能力、印象マネジメントのようなものは社会でうまくやっていくには重要な能力だ。経験上、見せ方がうまくない人は、組織内で損をする可能性が高いように思う。ちなみに、おれは、内心というものは何らかの表現を通じてしか他者に理解してもらえないものなので、他人にとっては自分の内なる善みたいなものは存在しないも同じだと考えている。結局は、善行をするしかない。仮にそれが嘘や戦略であっても特に他人を害さないのであれば、事実上の善行とみなしても差し支えないだろう。

同じように、真実有能であることと、有能であると認識されることとはまた別のことだ。多くの場合では、有能であると他人に認識されている人間は、実際に有能であるが、実際に有能な人間が、他人に必ず有能だと認識されているとは限らない。このことに関連する研究がある。

組織内政治のスキルについては、セルフ・モニタリングというパーソナリティ特性と正の相関があると言われている(大嶋他2016)。セルフ・モニタリングとは(対人場面において)「周囲の状況や他者の行動に基づいて、自己の行動や自己呈示(自分をより良く見せようという意図に合わせた振舞いをすること)が社会的に適切であるかを観察し、自己の行動をコントロールすること」としてマーク・スナイダーにより1970年代に提唱された概念である。

Lennox & Wolfe(1984)が開発した、「他者の表出行動への敏感さ(感受性)」 と「自己呈示変容能力(変容性)」のセルフ・モニタリングの2因子と政治スキルの関係を調べた研究によると、感受性は「仮現誠実性」「社会的鋭敏性」に及ぼす正の影響があり、変容性は「ネットワーキング能力」「仮現誠実性」「社会的鋭敏性」「対人影響力」のすべてに正の影響があった(大嶋他2016)。

このことから、組織内で人脈を作り、その力を用いて個人的または組織的な目標を達成していくためには、組織内の対人関係や権力構造に応じて、自分の印象を操作する能力が重要になることがわかる(大嶋他2016)。もちろん、それを効果的に行うためにも感受性は欠かせないだろう。

一言ですませてしまうと、会社組織みたいなところでうまいことやっていくためには、敏感で柔軟でいる必要がある、ということになる。

組織内政治と人事評価

人事評価が多分に政治的である事は、組織人であれば誰もが思い当たるところであろう。POPsに着目した研究の結果、昇進機会に恵まれない組織成員は、原因を組織内政治(ネガティブ)に求めがちであることが知られている(木村2011)。

少し脱線するが、業績評価と政治的アプローチを論じた一風変わった論考を参照しておこう。(以下、寺畑2002を参考とし、筆者の理解に基づく味つけがほどこされている)

人事評価は、誰もが客観的でありたいと願い、創意工夫を凝らしているところである。しかし、実際には客観的な評価は実現出来ておらず、不公平感が生じない程度の次善の評価制度に留まっているのが現実だ。昇進について行われた研究では、初期の昇進スピード、出身部門、経験した職務の幅がその後の昇進の予測変数となっていると結論付ける研究がいくつか存在するが、これらを「客観的」と言って良いのかと考えると疑問がある。

昇進の意思決定の難しさは、現在の職位において測定されたパフォーマンスが、より高位の職務でも高い業績につながるとは限らないというところにある。ゆえに、過去にこういう人物を昇格させたらなんかうまく行った、というような適当なシグナルに基づいて昇進を決定しているのが現実である。

そして、こうしたシグナルには、政治的利用が可能であるという弱点がある。要するに、自分の気に入った部下に人事評価で良い点を与え、さっさと昇進させ、様々な職務を経験させれば、いくらかハックすることができる。それは、評価者にとって部分最適をもたらすかもしれないが、組織の全体最適につながっているかどうかはよくわからない。

管理者は部下を用いて自部門の業績を向上させる必要がある。そのためには部下によく働いてもらわないといけないわけだが、その目的で「モチベーションを高めるために昇進させる」みたいなこともよくある話である。つまり、組織全体の有効性というよりは、どちらかというと、部下を効果的に管理するためのツールとして業績評価が用いられていると見るのが、より現実に近い、ということだ。

組織運営に、合理性・客観性を強く求めることは、極論、組織を「機械」になぞらえる考え方であるが、現実には、その機械を構成しているのはおよそ「部品」とはみなし難い、多様で気まぐれな人間たちなのである。機械の部品どうしはちゃんとデザインすればもめないが、人間はどんな組織でも必ずもめる。つまり、機械のメタファーは現実の組織に当てはめるには妥当性を欠いている。組織というのは社会に他ならないのであり、社会運営において政治的なアプローチは不可欠なわけである。

だいたい、企業を取り巻く状況というのは常に流動的である。その場、その時で望ましい人材像や評価指標も変化していく。被評価者の業績やシグナルにどう意味づけをするかという判断自体が、結局は政治的に行われるものだ。つまり、人事評価というものは、客観性、正確性よりも正当性(コンセンサス)の問題であり、コンテクストと目的に基づいた政治的なプロセスと見たほうが現実の理解には資するのである。そのプロセスの中で、業績評価指標というのは、意思決定の正当化に根拠を与えるものに過ぎない。

とまあ、こういったような批判的な検討が行われているところらしい。

話を組織内政治に戻すと、「政治行動」が人事評価に与える影響を調べた研究がある。Judge & Bretz(1994)は、キャリア・サクセスにおいて、「職務重視戦術」「上司重視戦術」という影響行動が、どのように影響するかを検証した。それぞれの内容は以下のとおりである。

「職務重視戦術」:自分の有能性をアピールする、自己PR活動
「上司重視戦術」:ゴマすり等で上司好感度を高める

お分かりかと思うが、結果は「上司重視戦術」がキャリア・サクセスと正の相関を示した(木村2011)。

結局、人事評価で重要なのは「上司からの評価」であり、職務遂行能力や業績が評価に忠実に反映されるわけではない。そう言ってしまうと身も蓋もないわけだが、業績評価と業績そのものが別の問題である事は、「組織市民行動」に関する研究からも指摘されている。

「組織市民行動」(OCB:organizational citizenchip behavior)とは、要するに、正式な職務内容ではないし、指揮命令系統により要求されてもいない行動であるが、組織の社会的機能を円滑にする援助的な行動のことを言う(田中2001を参考)。いくらか組織内政治と似た部分と、似た資質を要する部分があるが、ここには利己的なものはあまり含まれない。(ただし、巡り巡ってメリットが返ってくるみたいなことや、偽善も善みたいな話はあるだろう。)

OCBがなぜ行われるかについての研究から、それが業績評価と結びつきやすいからだという事がわかっている。ちなみに、OCBを行いやすい従業員は必ずしも実際の業績が良いわけではないらしいが、総じて「上司ウケ」は良く、高評価を得やすいということである。なおこれは、特段日本企業に限ったことでは無いが、日本企業ではOCBをかなり頻繁に行っていることが指摘されており、あって当たり前とみなす傾向が強いのではないかとされている(田中2001)。

これらが示唆することは、結局は「機械のメタファー」みたいなものがいかに現実の組織に当てはまらないか、という事である。業績だけ高くていけ好かないやつがいれば、いつか自分にとって脅威となるかも知れないという危機感を感じさせて排除したくなるだろうし、なんだかわからんがかわいいやつとはずっと一緒に働いていたいだろう。いかがなものかと思っても、そういうものが人間である。もちろん、繰り返し述べている通り、それが全体最適につながらないことは経営にとっては重大な問題となる。とはいえ、ソーシャルな要素を排除して組織を統制することが相当な難業であることもまた事実であろう。

となると、経営者も従業員も、組織内における政治的な・・・・ソーシャルな・・・・プロセスやメカニズムをよく理解し、政治的にコンセンサスを形成しながら組織を動かしていく必要がある、というひとつのあり方が導かれる。というか、現実の組織運営は多かれ少なかれそうなっているように思う。問題は、それを脱却すべきか否か、というところだが、脱却が結局困難なのであれば、よりポジティブに活用する方法を考えたほうが良いのではないか、という議論の方向性は十分ありうるものだろう。

組織内政治的な仕事の進め方の実態

具体的な処世術的手法については高城(2014)、芦屋(2018)などを読めば良い。ここでは、学問分野で組織内政治的な行動の実態が調査されているものを見てみよう。

大嶋他(2020)では、日本企業※での新規提案場面における組織内政治の実態と機能についてインタビュー調査が行われている。

※ 対象者の所属組織は階層的な組織構造を持つ大企業。

<明らかにされた政治行動のカテゴリー分析>

<インタビュー内容の概要>

【仕事を早く進めるために他社とうまくやる】という視点
・案が通るようケースバイケースで他者と調整する
→上位者の理解を得るために事前に押さえどころを調査する。影響力のある他者の意見を得て付け加える。

・(本社部門では)他部署の協力無くしては進まない
→人とつながったり、うまくやっていく意識がないと仕事ができない。誰にどのように聞くか、どの順番で通すか。

・部下の他部署との交渉に口添えする事もあるし、口添えされることもある。
 →管理職同士での「ショートカット」が行われることがある。

・仕事を早く進めるために、効率的な聞き取りや水面下で早めに計画を進めたりする。
→ICTの進化とともに、政治的なムーブはアナログに感じるが、それがないと進まないし、より良くするための仕事のやり方である。

・多くの人がいて、時間的制約の中、納得感をもって薦めていく上で必要。
→階層が多い組織では「段取り」が必要

・関係者全員にとって都合の良い案件でないことは当然ある。事前の利害調整は必要。
→決裁後の実行フェーズを視野に入れておく必要がある(必要なサポートが得られないなど)

【役割や手順に従う】という視点
・事前調整、根回し、情報共有は明文化されていないが、常態化している。
→【仕事を早く薦めるために】の内容が、プラクティスとして定着している

・事前調整の中で、気付きを得て修正(最適化)をすることもある。
→正解はひとつではないので、落としどころを考えることも重要

・人を説得するには人となりに合わせたやり方が必要。

【組織内政治の必要性】
について
・構成員のベクトルがあっていれば要らないはずだ。
・部分最適がなくなれば不要になる。

Allen他(1979)やKipnis他(1980)でみられたネガティブキャンペーンのような逸脱的な政治行動はあまり検出されていない。
→米国企業のような特定の個人を意識した攻撃や迎合という行動はみられない。
→日本カルチャー的な和を乱さないマインドのあらわれなのか、インタビュー調査では拾いづらいのか。

また、木村(2015)は、組織内の政治的行動※において、「ネットワーキング」及び「facework」がどのように行わているかについて研究している。

※ 日本企業が対象

伝統的組織研究
マネージャーや従業員が合理的または正式な方法で意思決定を行うと仮定している。
→組織の現実を必ずしも反映していないという指摘。

1990年代の研究は、組織内政治について否定的な味方をしている。
→自己利益を向上させるための行動(Ferris他1996)

最近の研究
より最近のアプローチでは、組織の意思決定におけるメンバーの他者への政治的な非公式な行動の影響が強調されている(Tushman、1977)。

組織政治を組織生活の本質的な部分と見なし、時には組織の効果的な機能のために必要な場合もある。なかでも、近年の実証研究では、ネットワーキングが政治的行動の中核であることが示唆されている。

また、政治行動の主要な要素として「印象管理」がある。印象管理には、希望するイメージを得ることを意図した積極的な印象管理と、自分のイメージを保護するために使用される防御的な印象管理が含まれている。

防御的な印象管理の一種である「facework」
「人々が社会的尊厳を調整し、他者の社会的尊厳を支持または挑戦するために使用する一連のコミュニケーション行動」であり、「対人相互作用における外交」(Goffman、1955)

重要な要素と考えられているが、facework、つまり「面子」に焦点を当てた研究はあまり取り組まれていない。

以上の課題認識に基づき、日本企業でインタビュー調査を実施。

結果
以下の行動が観察された。
・ネットワークの利用
すべてのケースで、政治的な意図なしに開発されていた既存の対人ネットワークを活用して仕事を進めている。
→他者からの非公式なサポートが必要なときに利用
→露骨なネットワーキング行動は礼を失すると感じられる可能性(集団主義的社会)
→基盤の弱い転職者は意識的なネットワーキングも行っていた

・ソーシャル・キャピタルの利用
自分のソーシャルキャピタルより、仲介者のソーシャル・キャピタルを活用している。
→組織内に信頼基盤を築いている他者の影響力を使っている。

・他者の面子を保つ行動
すべてのケースで他者の面子を保つためのfaceworkが行われている。
→影響力のある他者が面子を失う行動に対する報復等を防止するために実施。
→CFOの意向を無視したケースでは回答者は後に降格された。

以上のとおり、フェファー(2011)のような、熾烈な権力をめぐる政治的な闘争が露骨である例は、日本企業での実証研究では明らかとはされていない。しかし、それがカルチャーの問題なのか、研究手法の問題(公には言いにくい)なのかを結論づけることは出来ない。また、政治的行動の失敗ケースがほとんどサンプルにされていない、という点は今後さらなる研究が期待できる部分だろう。

日本企業で、他者への攻撃がないかと言われると、そうでもないように思われる。非公式な社内のネットワーク、コミュニティ、そこまでいかなくても仲の良い者どうしで、他者の評価が話題に上ることは多々ある。飲み会の席で、あいつはダメだといったコンセンサスが生まれ、それが人事に影響することは十分考えられるだろう。一方で、体感する範囲では、あいつとは仕事をしたくないみたいな話はあっても、あいつがいると自分が輝けないから追い出そう、みたいな自分の出世や保身のための露骨な攻撃を目にする機会はあまり多くないと感じている。どちらかというと、組織目標を遂行するために、力が足りない、価値観が合わない人をいかに排除するか、ということが非公式組織ではよく論じられているように思う。

社内政治的な行動の根本にネットワークがあるという点については、大いに同意できそうな部分である。日ごろから人脈を作っておき、いざというときに影響力の大きい者の助力を得る。これは組織外の人たちとの付き合い方にもある程度当てはまる。ここで、なぜ経営トップでもないのに、組織内の公式な意思決定ルール外にも権威の及ぶご意見番のような人がいるのか、なぜ権威のある人の承諾を得ていることが水戸黄門の印籠のように機能するのか、といったことにも興味が湧いてくるが、それは今後の課題としたい。

また、インタビュー調査の中で、そもそも構成員が価値観を同じくし、方向性を共有できていれば、組織内のコンフリクトは防止できるものであり、徹底した透明化や組織内価値尺度の浸透が行えれば、インフォーマルな組織コミュニケーションによらずとも部分最適に陥ることなく、全体最適に向かう事が出来るのではないかという指摘がなされている。組織のサイズや構造、はたまたビジネスの内容にもよるだろうが、ある意味健全な根回しのようなプロセスを、最初から組織管理に取り込んでおくということも考えられなくはない。

ただ、部門間コンフリクトのようなものが発生する歴史的な経緯みたいな側面に目を向けると、昔は製造効率に目を向けた開発が強かったが、市場環境が変わって、マーケットイン志向の製品開発が求められるようになった、といったように、部門間パワーバランスというかビジネス上重要な職能が変わってきたみたいな局面において、それを受け入れて、いま旬の部門のプランに従って黙って働け、と言われてもそう簡単には行かないのである、みたいなことは多々起こりそうである。一度決めた(もしくは暗黙的にできあがった)ルールが、環境が変わるとうまく機能しなくなるというのは、経営には往々にしてあることだろう。

流動的で不確実な環境でチャレンジングな仕事をしなければならないといった局面においては正解がわからない。そういう場合には、例えば部門横断的なプロジェクトのような手法が用いられ、組織を前に進めるためのコンセンサスを迅速に形成しながら新たな取り組みを行っていく、ということが重要になってくるのではないかと思う。仮にそうした意見集約や調整をトップ自らが労を厭わず行うのであれば、中間管理職クラスが政治的行動に奔走する必要もないのかも知れないが、すべての企業経営者があらゆる場面において有能ということは考え難いので、多かれ少なかれ、自然発生的に組織内に生ずる政治的プロセスに頼らざるを得ない局面は出てくるのではないかと思われる。

組織成員の納得を引き出し、モチベーションを維持しながら複数の部署を巻き込む複雑なプロジェクトを仕上げるためには、少なくともソフトな政治的行動は必要になるのではないだろうか。

衰退企業と組織内政治

階層化が進み、一定のセクショナリズムが生じた組織において、インフォーマルなコミュニケーションが潤滑油的に作用し、組織の効率的運営を可能にしている、という事実がある一方で、組織の衰退に関するメカニズムの研究において、組織内政治の負の影響が指摘されている。

小城(2015)は、
①実質破綻に陥った日本企業と好業績を収める日本企業との比較事例研究、
②同じグループ傘下にありながら対照的な2社の比較、
③文化心理学アプローチ、

により、不振企業の共通点を探る探索的研究を行っている。
(後に著作を発表しているhttps://amzn.asia/d/7r05CzY

小城は、組織が衰退しつつあることはKPIを確認すれば容易に把握できるのにもかかわらず、なぜ脱却できないのかを説明するためには、組織内に何らかの自己維持的なメカニズムが働いているはずだと考える。

結果を分析した結果は以下のとおりである。

<不振企業の共通点>
①対立回避と社内秩序維持の規範
・予定調和的色彩が強い
・会議での闊達な議論の欠如。上位者への無批判な同調傾向
・「犯人捜し」となるPDCAの忌避
・事前調整、合意形成のためにエッジの効かない施策

②出世条件
・社内調整力の重視。
・政治性、恣意性が強く、実力よりも人間関係が重要な要素となっている

③経営幹部
・社内政治力と人間関係志向のリーダーシップが強い ⇔ 経営リテラシーや実務能力が弱い

これらの3つが悪循環※となり、外部環境変化への適応阻害サイクル(衰退惹起サイクル)を形成する。当該サイクルは、事業環境が安定的であれば、組織の効率性を高めるが、環境変化が起こると適応不全を起こし、組織の衰退からの脱却を困難にする。

※ 本来であればポジティブフィードバックという言葉を使いたいが、誤解を招きそうなので悪循環とした。ポジティブフィードバックとは、結果が再インプットされることにより強化されるフィードバックループのことを言う(出力が入力へ同相で帰還するもの)。人事の文脈等でポジティブ~、ネガティブ~が価値判断を伴った言葉として使われがちなので、念のため避けた。

そう、誰だって衰退したいわけではない。なのにそれを避けるのが難しいのはなぜなのか。これは面白い問いである。結果は、コンティンジェンシー理論的ではあるが、もっともな内容である。この論を踏まえると、組織内政治や政治的な人事プロセスというものが、企業にとって良いものだとはいえなくなってくる。ただし、だからと言って、逸脱を許容しない軍隊めいた官僚制組織が事業環境変化に強いかというと、それはそれで別問題であろう。

新規提案場面においても組織内政治的な行動は行われ、それが組織のスピードに資すると言われている一方で、組織内政治的なものが衰退の原因ともなっている。非公式なプロセスを持たず、柔軟かつオープンで正論が通りながらも変革をウェルカムする公明正大な組織というものがいったいどのように実現できるのか。そしてそれは持続的なのか。ハードルは極めて高そうである。

まとめ

以上、過剰な権力闘争のようなものはさておき、組織内政治と呼ばれるものがどういったもので、どういった場面で起こり、どういうメリットとデメリットがあるのかということを概観してきた。

政治スキルの現実的な必要性

まずひとつ言えることは、我々は資本家ではなく労働者なので、組織内政治と呼ばれるシステムが社会のあちこちに存在しているという事実を踏まえて、様々な状況でサヴァイヴできるようにソーシャル・キャピタルを蓄積する努力をしておくに越したことはない、という事だろう。

繰り返しになるが、人脈というものは一晩で出来上がるものではなく、年月とそれ相応の努力により築き上げられるものだ。いかなる専門的知識を持っているかというようなハードスキルとは異なる種類の能力であるし、対人コミュニケーション能力のようなソフトスキルともまた異なるものである。それゆえに、これを能力と呼ぶべきかどうかは若干迷うところではあるが、こと問題解決のような場面においては、一種の能力のように機能するのは事実だろう。そのため、いわゆる「デキる奴」の資質には、良好な人脈を有しているもしくは築き上げられそうな人格をもっていることが入りがちである。

ソーシャル・キャピタルの蓄積においてソフトスキルは有利に働く。しかし、だからといって一日で組織成員全員と友達になるのは事実上不可能である。人脈のようなソーシャルな資本は、仕事に必要な「実力」の中では、獲得に相応の時間と努力を要するタイプのものであり、個人の持つスキルがいかに高かろうとも、一朝一夕では挽回できない性質を持っている。

若くて能力が高い人からすると、組織内には、どう考えても実務能力では自分に劣ると考えられる上司・同僚がのさばっている、そんな風に見えることも時にはあるだろう。それは、ソーシャル・キャピタルの蓄積の差であり、それも実力だ。ここは資本主義の社会、持たざる者には厳しいのである。とはいえ、世の中を転覆するのは容易ではないので、処世術を磨くほうが基本的にはコスパが良いだろう。

出身や育ちにもよるが、価値観が異なる幅広の年代の人と付き合うのは一般に同年代と付き合うほど簡単ではない。適切なスキルや経験を持っていないとストレスになりがちだとも考えられる。そうした課題に直面した時に、対処するか逃亡するかは本人次第だが、どこへ行ってもソーシャルな要素は付きまとってくるものである。別にパリピになる必要はないし、おしゃべりなやつが必ずしも有利ではないと思うが、自分なりにいろんな人とうまくやる方法を見つけておくに越したことはないだろう。まあ、仮にどうしても人とうまくやるのが無理だということであれば、経済的・社会的に成功することばかりが人生ではないので、苦手な事は早々に諦めて、自分の道を突き進むのも面白いかもしれない。

戦わざるを得ない時に

組織内政治を用いて、もっぱら権力闘争に励んだり、自分の地位を脅かす有能な誰かを攻撃することは大っぴらにはおすすめしがたいことではあるが、世の中には、人を傷つけると癒されるようなやな奴もいるし、人を害しはしないが自分の事しか考えられないような奴もいる。時と場合によっては、戦いを躊躇してはいけないこともあるだろう。

この点に関して組織内政治の仕組みから学べる事は、1人で戦ってはいけないということだ。誰かに戦いを仕掛けるときは、適切な味方を確保して、世論を得て戦う必要がある。仮に、そうした擁護者が一切現れないのであれば、その戦いは仕掛けるべきではないし、なんなら間違っているのはおまえ自身かも知れない。戦わずして勝てるような時にしか戦ってはいけない。孫子を読むのだ。

経営が安定していて、役職者がちゃんと選抜されている組織はまだいい。ベンチャー企業とかだと、とにかく人がいないとかいう理由で、最低限の知識とか経験があるだけの、組織人としてはイケてないやつが管理職の椅子に座っていることがある。経営トップもその問題を適切に認識し対処できるほどの実力を持っていないケースが多い。

日々現場でツラい目に合っている人は、色々思うところはあるだろう。しかし、なんらかの能力に恵まれなくて自分の利益を守るのが精一杯の人に多くを期待してもあまり良いことはないのだ。自分の身は自分で守らねばならない。

そういうイケてない人たちは、信頼や協力というものの価値を知る機会のなかった不幸な人たちである可能性もある。Diversity・・・・そうこれはもはやダイバーシティなのだ。話が通じないからと言って、社会に居場所がないようなことではいけない。いろんな奴とうまく付き合っていかないといけないのがポリティカルにコレクトな現代もしくは未来なのである。

という具合に、哀愁が漂ってこそ人生には奥行きが出るというものだが、くそったれな環境で一生くすぶっていても仕方ない。政治的手法を駆使して変な奴の被害を受けないように環境を改善するか、さっさと逃亡するか、どっちかハッピーになりそうな方を選ぶといいだろう。黙って耐えるのは同情票を集めるのには良い戦略だが、ビックリマンシールのように票だけをひたすら集めていても宝の持ち腐れである。それも努力の賜物ではあるので、ちょっとぐらい有効に活用してもバチは当たらないのではないかとおれは思う。

組織論的にはどうなのか

もう一つ考えさせられることは、組織論的に組織内政治はどうなのか、という点だ。これについて、明確な結論は出ていない。言えるとすれば、組織内政治を善/悪といった二元論的に考えるのではなく、人間の集団にはそういうことが多かれ少なかれ発生するという前提のもと、いかにそれをうまく活用するか、という観点で組織運営に取り組むことなのではないかと思う。例えば、自社の組織内政治の状況を可視化して組織成員全体で考える、という試みをしてみるといったい何が起こるだろうか、などと色々想像は膨らむが、まあ、おれは経営者ではないので、適当なことを言うのはやめておこう。

非公式な組織メカニズムを見ずにガバナンスは語れるのか

有価証券報告書等の開示制度や、組織の内部管理体制を評価する局面においては、明文化されたオフィシャル・ルールばかりが「ガバナンス」として取り上げられているように感じられる。組織内の、曰く言い難い非公式なメカニズムは、何か不祥事が生じたような場面で、悪玉として取り上げられるのが精一杯だ。しかし、どんなイケてる企業にも、多かれ少なかれ組織内政治や非公式組織やネットワーク、暗黙のルールや謎のカルチャーのようなものはあるものだろう。そこに光を当てずして、一体ガバナンスの何がわかるというのだろう。

そして感想

組織内政治のようなものに限らず、人間の集団はどういうものなのか、もっとミクロに、そこで働く人々は何を考えてどう行動するものなのか、そういう部分を理解しようと努力することなしに、組織体制や管理体制がどうのこうのという事はいえないなあ、ということを再確認できた取り組みであった。勉強にはなったが、疲れた。

以上である。

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