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字で葛藤する未熟者。

僕の字は堅い字だと自分でも思う。

そんな字の癖が抜けない。

小学校の頃から漢字ドリルや漢字ノートで練習をすると思うが、人一倍あれを頑張っていた記憶はある。

先生に褒めてもらいたい、
そんな気持ちが強かったと思う。

丁寧に書くと花丸が貰えたり、たくさん練習してあるとコメントをつけてくれたりしてそれが嬉しかった。

小学校の漢字といったら、「とめ、はね、はらい」、
あとは書き順。
このポイントを耳が痛くなるほど、言われると思う。

漢字テストでも、いくら正しい漢字が書かれているとしても、ここがしっかりはねてないとか、止めてないとかで△をつけられたり、バツにされたりする。

今でも、とめ、はね、はらいをしっかり守って書こうと思う意識が自分のなかで抜けていないという意味では、子どもの頃にしたあの漢字練習は、その後の文字書き習慣に大きな影響を与えるし、
ある意味で教育成功してると言っていいのだろう。

(一番上の写真の手紙は小学校の頃、二十歳の自分に向けてっていうので書いたやつらしい。字はバランスは下手くそだけど、とめはねはらいの意識があることは見て取れる。「授験」って謎の漢字書いてるのはご愛嬌…)


でも、つくづくかっこいい感じの字じゃないなあ。
と今の自分の字を見てて思う。


かっこいいっていうのは、こう、なんか達筆な感じというか、滑らかさと柔らかさの中に凛々しさがある字というか。

小学生のころ鉛筆で漢字ノートに練習してるときから、
とめ!はね!はらい!
みたいな意識が強かったせいか、自然と筆圧がつよく、力を抜くことを知らない、
ザ 男子 みたいな字だった。

今は丁寧な字なのが伝わっているのか分からないが、
字下手だねと言われたことはよくよく考えればない。

が、自分の字が感覚的に好きではなかった。


唯一自分の字がかっこいいじゃん、
と思える時があってそれが、数学や簿記の計算をしている時のメモ書き。

この違いはなんだろうかと思ったけど、
丁寧に字を書くことを意識していないということだった。

字自体に判断がなされることがないから、ほとんど見られるという意識をせずに書く。
逆にその方が滑らかな字が描かれる。

ここの加減が自分でも難しいところだと思ってる。

大切な手紙だったり、ハガキ、役所に提出する書類とか、きっと誠意が伝わるようにとか、大事に書こうとか、しっかり丁寧に間違えないように書こうと思うものほど、力んで堅い字になっている。
とめも、はねも、はらいも間違えては無いけど、
自分があまり好きでは無い字に結果としてなっていく。

かっこいい字がかけたらなあと思うけど、
きっとかっこいい字がかけるようになった時は自分が言葉を流すようにしてしまう時なんだろなと葛藤している。

書道をやってる人なんかはこれがとても上手に両立できていて、心を込めれば込めるほどかっこいい字になっていく。凄い。

文字書きと心を統一をしていく修行なんだろうなあ。

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