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糸くずフィルターに籠った言葉たちで いつか本が書いてみたいな _ I adore …

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糸くずフィルターに籠った言葉たちで いつか本が書いてみたいな _ I adore García Lorca.

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木漏れ日を躱し裾は振れる

何かにつけて言葉にしたがっていた。 思い出す。 「言わぬが花」といえども私は、 その花すらどんな花であったのかを言葉にしたがっていた。 花も、言の葉も同じ水を飲んで育ってるんだからいいと思う、と私はあなたに話した。 するとあなたは、 微笑みながら共感した様子で、 土を一度ほぐしてあげるといいわよ、 と教えてくれた。 それはまるで雨水のごとき私の言葉をぜんぶ吸ってくれるあなたが、 あなた自身の秘密を教えてくれているみたいだった。 でも、私の育て咲かせたものたちは

    • shapelessness

      今いる他人の身体で僕が生きているという意識がないのと同じように、 自分が産まれる前の世界の誰かの身体で僕は生きたという意識はない。 だから、産まれる前ないしは死んだあとの自分の意識の所在は生きている今の僕には分からなくて、 それはその世にいないからじゃなくて、 僕じゃないからだ。 自分しか意識できないのだから、 前世なんてあってないようなもの。 不安になることは無い。 全ての恐怖は今世の自分限り。 死んでひとりぼっちなんて感じる自分もそこには無いんだから。 無と

      • さそりの毒

        何を食べたらいいのか全然分からない。 頭の中はいつもぼやけている。 冷たい空気を吸ってやっと窮屈な脳みそが緩む。 くっきりと先が見通せるわけでもないが、 何もかもが目の前を過ぎ去ってゆく。 今日も味もしない言葉をかじった。 足先にはサラサラとした感覚。風が戦ぐ 体温がゆっくり移動する。 僕は砂漠の夜のサソリを思い浮かべる。 ローマから遥か南へ逃げた3匹のうち1匹。 2匹は道の途中で死んだ。 ある夜に人間たちに見つかり、 火に追い詰められたとき、 パニックを起こ

        • 鼻詰まりにことば詰まり

          いくら書いてもいい文章が書けない。 そんな書き終わりの心地。 自分の文章の在り方がたまに嫌になるときがある。 いつも通りことばにして自分の心と向き合っているつもりでも、 それはつもりなわけで、 僕の頭が言葉を知らないだけか、それとも向き合えていないのかのどっちか。 でも書いてみようって意気込んでから、いつも書いているわけではない。 どうしても書きたくなることがあるからふとしたら綴っている。 それはことばとして綺麗にして、 昇華したくなっている衝動の現れだ。 昔から

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          4月書いた日記。

          去年の4月に書いてたものを見つけた。 淡い恋をしてる文章だった。 ちょうど今もアメリカにいるみたいだからなんかわかんないけど懐かしいような気もする。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━ 4.26 子どもの頃きたみたいにわくわくしてる 僕はどこにも行かないけどね。 みんなスーツケース持ってどこに行くんだろうって考えながら歩いて、 みんなどんな気持ちなんだろう。 誰かに会いに行くのかな?とか、 行ったことない土地に飛ぶのかな?とか、もしかしたら慣れっこもいるのかなとか思い

          4月書いた日記。

          夏が恋しいのは青が無邪気に明るいからだ

          夏が恋しいのは青が無邪気に明るいからだ。 全部、大正解だと言ってくれてるような晴朗な眺め。 今までの人生の後悔なんてどこ吹く風。 そうして飛ばされて、 行き着く海と空があの時のこころの全部だった。 沖つ潮風を感じ、心地よさに口元が緩む。 澄んだ瞳で遠く遠くどこまでも遠くを見つめる。 太陽がどこまでも、 ずっと先まで照らしてくれている気がするから。 あの海の向こう、 あの空の向こうから声がするから。 それは無邪気な青の存在。 ずっと追いかけていたあなたの姿。 ああ

          夏が恋しいのは青が無邪気に明るいからだ

          自分の良くないところ

          ものごとを先回りして考えること。 いいようにも思えるが、 最近自分に対してこれが善くない方向に 働いているんじゃないかと考える時もある。 先回りをして考える時。 それが自分の心からのもの、 能動的な気持ちから生まれるものならいいのだが、 対"外"を気にして行うときの自分が嫌だ。 なぜなら、 そこで考えを巡らせる背景にはきっと自分の中で、 人に怒られないようにだとか、 文句を言われないように、 ミスを責められないようにと、 波風を立てず、そのためにどうにか最終的には、

          自分の良くないところ

          昨日と今日の間

          朝、目が覚める前まで僕は、 夢の中でいっぱいの光を浴びていたはずなのに。 目が覚めてカーテンを開けると、 眩しくてびっくりした。 夢の中の僕から、現実の僕へ意識が移る時、 なにか大切なことが伝わるか伝わらないかの狭間みたいなものがある気がしている。 この感覚をもつ主語は夢の中の僕。 でも、それを捉えているのは現実の僕だ。 これを書いている僕はあくまで受け取り手だから、 正しいのか定かでは無いけど、 大切なこととは、例えば、 夢の中で泣いていた人は誰だったかとか、

          昨日と今日の間

          GOD JUL!

          旅をしたのは、ちょうど1ヶ月前になるのか。 帰りの機内、 どう頑張っても涙と鼻水が止まらなくなってる自分がおもしろかった。 ハンカチを左手に握りながら音楽を聴いていた。 目を閉じれば涙は溢れてこないかな、 そう思って目を閉じるけど、 目を閉じるとそこには貴方と旅した街と、 貴方の顔が映るからさらに涙が込み上げてきて仕方がない。 幸せと寂しさで感情が混ぜこぜになっていた。 昨年のクリスマスの一週間、 僕はあなたのいる北欧の地、 デンマークへ卒業旅行と題打って旅行をした

          GOD JUL!

          僕にとって絵本は

          僕にとって絵本は、 「冒険・想像・純粋さ」の象徴。 絵本はそれ自体のストーリーはかなりシンプルで、 複雑な部分など全くない。 だから、読んでいても小説のような世界観を体感する面白さは感じられないかもしれない。 だけど、絵本には読んだその人自身を、 その後の彼にとってのものがたりの主人公とさせる力を持っている。 現に僕はこどもの頃に読んだ絵本の記憶があって、 あの時に少なからず絵本から何かを感じとったと思う。 そしてその感覚のような、考え方のような何かが染み込んだ体で今

          僕にとって絵本は

          来年も生きる僕へ

          本当にすてきなものをみたとき、 またはすてきな人といる時、 そのことは記憶に刻まれるというよりも、 愛になって今を作ろうとする感覚になります。 つまり過去も未来も頭からはすっかり無くなって、 生きている今だけを見つめ、生きるという感じでしょうか。 今現在の感覚という事実はどんな過去や未来よりも強いものです。 それはそこまでのあらゆる可能性を勝ち抜いたものであって、 また過去のどんな事実よりも新しく、その時を生きるものとしての正しさを持っていると思います。 すてきな人

          来年も生きる僕へ

          お日様な存在

          湿った心をぽかぽかにしてくれる人、 私の元気の源みたいな人。 何気ない風景もきらきら輝かせて見せてくれる人。 自然からも、 そして人からも、みんなから愛されている人。 ほんとの晴れ人間は、 きっと雨の日にこそほほえんでいる。 向かうべき光として目標を与えてくれる人。 いつもそばにいてくれるから安心感があって、 それがあたりまえになってしまいそうになるけれど、 いなくなったときその大切さがわかる。 私はそうしてたくさん温めてもらったのでしょう。 人から受けたお日様

          お日様な存在

          未知の世界に

          不安な感覚がする。 初めて行く場所ばかりの空間を想像すると。 いいのか分からない足取りで進むから。 なぜか今日までの自分の行動が正しかったのかさえ疑わしくなる。 ほんとうに明日そこに自分がいるとしたら楽しみだが、もし明日そこに居られなかったらと思うと眠れなくなる。 何となくで生きちゃいないから、 何となくで失敗してしまうのが怖い。 でも、未知の世界にはいきたい。 その未知の世界には“何となく”が必要な気がしてる。 未知の旅をすてきなものにするためには、 想像をふく

          未知の世界に

          ゴキゲンな人

          僕はゴキゲン。 今日もゴキゲン。 退屈なんてない、ない、ない。 僕はゴキゲン。 今日もゴキゲン。 後悔なんてない、ない、ない。 僕はゴキゲン。 明日もゴキゲン。 おもしろがるのが上手いのさ。 僕はゴキゲン。 明日もゴキゲン。 人の優しさに気づくのさ。 僕のゴキゲン。 あなたのゴキゲン。 跳ねるうさぎをみて思う。

          ゴキゲンな人

          字で葛藤する未熟者。

          僕の字は堅い字だと自分でも思う。 そんな字の癖が抜けない。 小学校の頃から漢字ドリルや漢字ノートで練習をすると思うが、人一倍あれを頑張っていた記憶はある。 先生に褒めてもらいたい、 そんな気持ちが強かったと思う。 丁寧に書くと花丸が貰えたり、たくさん練習してあるとコメントをつけてくれたりしてそれが嬉しかった。 小学校の漢字といったら、「とめ、はね、はらい」、 あとは書き順。 このポイントを耳が痛くなるほど、言われると思う。 漢字テストでも、いくら正しい漢字が書かれ

          字で葛藤する未熟者。

          会計学は柔らかい学問

          この4年間、 いろんな角度から会計学という学問に触れてきていて、ずっと思う。美しい学問だと。 今この「美しい」は完璧さを表す美しさではなく、 むしろもっと泥臭い、 人間味のある美しさであると今は思っている。 勉強したての頃に感じた美しさは、 どちらかといえば、 「完璧さ」に近い美しさだった。 簿記をはじめとして、もの凄いからくりだと思った。 こんな発明的な体系を考えていった人たちは天才だと感じた。 そして、いろんなことを学んでいくうちに、 この「美しさ」の中身が

          会計学は柔らかい学問