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東浩紀『訂正する力』をお勧めしたい

やっとこさ、東浩紀『訂正する力』を読みました。今年の終わりに駆け込んで読みましたが、良い本でした。

東浩紀って誰?と思われるかもしれません。日本の現代の哲学者で、今はゲンロンというプラットフォームを運営している思想家です。東浩紀といえばポストモダンの言論人として有名でした。「でした」と過去形にしたのは、彼自身がポストモダンからある程度距離をおいた時間が長く続いたからです。

東浩紀は私の学生時代のスーパースターでした。『動物化するポストモダン』を始めとして、数々の本を出版していました。特に『存在論的、郵便的』ではデリダの脱構築を活用しながら、さらにポストモダン的に論を進めていくのは圧巻でした。

しかし、彼はポストモダンから距離をおくようになりました。それは日本のポストモダン受容に疑念を抱いたこと、言論界の窮屈さから抜け出すためでした。それと同時期に私も大学を卒業し、社会人として働き始めた為に、東浩紀の著作から離れていきました。

時は経ち、大学院もドロップアウトしたので自由に本を読めるようになりました。そこでふと東浩紀はいま何を書いているのか、何を考えているのか気になり始めました。どの本から手をつけようかと思った時に出会ったのが『訂正する力』でした。

まずは現在の東浩紀の思考を手っ取り早く知りたいなぁと思ったので、新書である『訂正する力』を手にしましたが、いやー、これが面白い。

どんなポイントがあったのかを3つのポイントに絞ってお伝えしたいと思います。全体的な見取り図としてはこんな感じです。

かなり端折ってつくったメモ書きなので、全体を網羅してません。今回はこのメモに沿って内容紹介をしていきたいと思います。

まず前提としてあるのは「訂正する力は、対話すること」であるということ。好き勝手に訂正するのは、ただの暴力であり、自由に理由もなく改変するにすぎません。そうではなく、自分の意見と異なる理論や意見と対話し、間違っていた・考えが変わったということが大切です。

「昔はAだった。しかし、今はBである」

意見が変わることや訂正することは悪いことではありません。変わることで「軸がブレた」という人もいるかもしれません。しかし、人はずっと同じ考えを持ち続けることが可能なのでしょうか?そこに東浩紀は切り込んでいきます。時代の流れや接する人や思考によって、考えが変わっていくことは全然あり得ます。むしろ、変わらない方がおかしい。変わることの寛容さが重要だと東は説きます。

そして、それは対話の中にヒントがあるのです。対話の中に変わる要素がいくつも散りばめられています。だからこそ、対話が必要なのです。そして、この変わっていく「訂正可能な存在」こそが、「交換不可能な存在」だとも東は言います。変わらないことも確かに重要でしょう。しかし、それ以上に間違いを認め、考えを改める。こういった柔軟な思考を持つ人の方が交換不可能なほど重要なのです。そして、それは「老い」とも関係していきます。

老いる力と再出発する力

「老いる」こと、それは人が単に死に向かっていくだけなのでしょうか。東の考えによると「老いる」ことは、新たな発見と経験を得るものだと言います。単に老いて頑固になるのではなく、老いる最中にさまざまな発見や経験をしているはず。それに目を瞑るのではなく、自己反省を繰り返して血肉とすることで、訂正が可能になっていきます。そして、そこが再出発の地点となるのです。老いること=再出発と東は捉えているのです。それは社会という動的なシステムに柔軟に、こちらも柔軟に対応していくことを意味しています。

私たちの生きる社会は静的なものではありません。動的に、ダイナミックに変容していくものです。それを無視しているのは単に時代遅れか頑固というものです。このことが常に日常をアップデートし、脱構築していくことにつながっています。

脱構築とは簡単に説明すると、「デコンストラクション(deconstruction)」という名前の訳語です。フランスの哲学者ジャック・デリダが掲げた哲学的思考の理論で、既存の枠組みや体系を解体し、新たに構築し直すことを意味します。 また、解体した枠組みや体系の中から要素を抽出し、新しい枠組みを構築することを表します。

若いころ、対話が浅かったころには見えなかったものに手が届く。それが老いです。そして、脱構築していくことによって、新しい考える再出発につながるのです。

東洋と西洋の思想の横断

本書の中では東洋の思想と西洋の思想を横断しながら、訂正することについて語られています。バフチンのポリフォニー理論やクリプキ、ウィトゲンシュタイン、本居宣長などなど。さまざまな思想家を手掛かりに論が進められていきます。

節操がないという人もいるかもしれません。しかし、私は逆に新鮮さを感じました。ここまで東浩紀という人は変わったのか、と。ハードな理論家だった東がここまで柔らかくなっているとは思いもしませんでした。これこそ東が自分自身を訂正してきたからにありません。理論一辺倒というのは言い過ぎかもしれませんが、そんなイメージが崩れ、とても人間臭くなったのは良い意味でイメージが変わりました。本書が読みやすい理由の一つかもしれませんね。

他の本も楽しみになってきました。『一般意志2.0』まで遡ってから読むか、新刊の『訂正可能な哲学』を先に読むか。正月休みの楽しみが一つ増えました。

語り下ろしの本書

この『訂正する力』という新書は、語り下ろしによって作成されました。東浩紀が語り、それを辻田 真佐憲が聞き手・編集として再構成しています。言ってしまえば、これも対話の本なのです。だからこそ今までと違った東浩紀の姿が浮かび上がってきたのかもしれません。とても読みやすく、お勧めです。

結びにかえて

今まで東浩紀入門というと『動物化するポストモダン』という新書が挙げられてきました。しかし、これからは『訂正する力』が東浩紀入門のスタンダードとなるでしょう。この本は多くの思想家のエッセンスを取り入れながら、東浩紀という人の変遷も辿れる良い本だと思います。この冬、お勧めしたい一冊です。機会があれば、ぜひ手に取ってみてください。

というわけで、今回の交換日記は読書感想文でした。それでは〜。


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