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【エッセイ】すべての映画を愛している

 この世につまらない映画なんか一本たりとも存在しない。

 というのが高倉の考えで、なので「つまらない映画は最後まで観ずに損切りしろ」などという考えには全く同意しかねる。映画に損切りしていい無駄な時間なんか一瞬たりとも無い。
 そもそも映画を「損切り」という言葉が出るということに違和感がある。損切り、ということは、映画を損得勘定で観ているということだろうか。映画を観て得することってあるか? 人は映画にどんなお得を求めているのだろうか。面白い物語を浴びたいとか、すごい映像が観たいとか? 思ったような物語や映像が得られなければそれは「損」ということだろうか。合理的に思ったようなコンテンツを浴びるため、これ以上時間をロスしないための損切り、ということなのであれば、そもそも映画はタイパ悪めなコンテンツなので、最初から浴びるコンテンツの候補に映画を挙げない方が良いと思う。家でテレビアニメ観てる方がよっぽどタイパいいんじゃない?

 一度観た映画を「つまらない」と感じたとしても、その「つまらない」が永続することはあまり無い。物語が一周回って面白くなってきたり、制作側の「これはやりたかったんだ!」が見えて笑えたり、鑑賞後に他の人の感想を見て「それな!!!!!」と盛り上がったり、結句得難い体験になりがちだ。
 「つまらない」映画を大きな声で「つまらない」と断じることができるのは最後まで観た人間の特権で、損切りした人間にはその資格がない。これは「損」にあたらないのだろうか。

 先日読んだ漫画「違国日記」に、こんな台詞があった。

でさあ だからあのとき槙生ちゃんが言ったこととかー
もっとずっとあとで意味が分かるのかなって最近思った

「違国日記」より引用

 一度観て「つまらない」と思った映画も、もっとずっとあとで意味が分かることもあるかもしれない。観ていなければ、この伏線回収だって得られない。映画を損得勘定で観るのだとして、これは「損」にならないだろうか。

 この世につまらない映画なんか一本たりとも存在しない。例え今つまらないと感じたとしても、遠い未来でもう一度観たとき、涙を流して感動する一本になるかもしれない。誰にも未来が分からない以上、その可能性を誰も捨てられない。
 高倉は、例え投資家になったとしても、映画は必ず最後まで観るし、そこに損得を求めたりはしない。
 この世に、つまらない映画なんか、一本たりとも、存在しないのだ。


 ときれいごとを言ったはいいが、それでも観るに堪えない映画もあるわけで、高倉はそういう映画を「時間をドブに捨てたいときに観ると良い映画」と呼んでいる。時間を大事にしたい人からしたらこれを観るのは確かに「損」なのかもしれないが、物は言い様ということだ。

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