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PERFECT DAYS ー自分の「世界」に閉じこもる葛藤

先日、遅ればせながら映画『PERFECT DAYS』を観に行って来た。カンヌ国際映画主演男優賞を受賞するなど評価の高い映画だ。期待に違わぬ素晴らしい作品だったので、自分なりにどういう作品だったか整理してみたい。(以下ネタバレとなるので要注意)

安住の地としての平山の「世界」

主人公の平山は都内に住む初老の独身男性である。ボロアパートに暮らし、公衆トイレの清掃員の仕事を生業としている。清貧な生活を送る平山だが、悲壮感は全くなく、寧ろ充実した日々の様子が生き生きと描かれる。毎朝決まった時間に起き、決まったルーティーンに従って身なりを整えたら車で渋谷区の公衆トイレの清掃に向かう。何箇所かの清掃が終わると、行きつけの銭湯に向かう。さっぱりしたら浅草の地下商店街にある居酒屋で一杯やり、帰ったら眠くなるまで小説を読む。こんな日常をひたすらに繰り返している。

無口で人付き合いのほとんどない平山の楽しみの一つは、毎日昼休憩で訪れる公園で、風に揺れる木陰の下で葉の間から漏れ出てくる光を写真に収めることである。こうして撮影した写真は定期的に現像し、押し入れに大量に保管している。しかし見返すことはない。平山は、毎日決まった場所の決まった角度で見える木々の僅かな揺らぎの瞬間瞬間を愛でている。他の場所を撮ったりはしないし、撮った景色を後で楽しむわけでもない。

物語の中で、この穏やかな日常が脅かされて新たな展開につながりそうな出来事がいくつも発生する。ある日、同じ清掃バイトで働く若者タカシに付き合わされ、ガールズバーで働くアヤと三人でドライブすることになる。アヤは平山が車内で愛聴している70年代のカセットテープが気に入り、帰り際にそれを持ち去ってしまう。しかし、アヤは意外にもあっさりそのカセットテープを返しに来る。さらに別れ際にはなんと平山に突然キスをして去るのだが、その後彼女とは何も起きないどころか一切物語に登場すらしない。タカシはその後バイトを突然やめてしまうが、代わりに入った清掃員(思わせぶりなカットから登場する)とも何も起きない。これだけではない。行きつけのスナックのママはどうやら平山に気がありそうだが、平山は何もしないし何も起きない。家出した姪っ子が居候しに来ることもあった。あるトイレには誰かが置いた○×ゲームの紙が残されており、毎日一つずつ記入する文通形式でやり取りをするくだりもあった。だが、最終的に相手が誰だったのかも明らかにならない。何があっても、次の日にはいつも通りのルーティーン生活に戻り、我々の期待するように物語は進展しないのである。

「平山の世界」と「世界」

物語の中盤、姪のニコに「この世界は、本当は沢山の世界がある。つながっているように見えても、つながっていない世界がある。僕のいる世界は、ニコのママのいる世界と違う」と語るシーンがある。「平山にとっての世界」が他の「世界」から隔離されている様子は作中に暗に何度も描かれている。何度も印象的なカットとして出てくるのが、都内の街中を走る車の中の場面と、浅草の地下街にある行きつけの居酒屋での場面である。

ここでは、平山の世界とは関係なくせわしなく動く社会の様子が強く対比されるように印象付けられている。何度も出てくる公衆トイレの掃除シーンもそうだ。掃除中に何度も利用者と鉢合わせるが、まるでいないかのように扱われたり邪険にされたりする。平山は自分の世界に安住し、わずかな揺らぎに楽しみを見出すことにしている。大きな揺らぎが起きそうなときでも、それ以上踏みださずに元の位置に戻るのである。ニコが実家に戻るとき、彼女が読んでいた平山の小説を貸したのだが、後のシーンで全く同じ本を古本屋で再度購入している。つまり、彼女が本を返しに来るイベントは発生しないし、させないのである。生活からランダムなイベントをできるだけ排除するため、生活は規則正しくしなければいけない。

平山の葛藤

そんな平山も、実はこの生活に完全に満足しているわけではない。心のどこかでは常に、自分の人生はこれでいいのだろうかということを考えている。物語の序盤、銭湯の休憩所のテレビで観ていた相撲の試合で、片方の力士が体をヒラリとかわし、バランスを崩したもう片方の力士が手をついて一瞬で勝負が決するシーンがあった。どこか力を出し切らず勝負が終わる、そんな姿が暗に平山に重ねられていたのではないだろうか。家出したニコを迎えに来た裕福に暮らす妹とはそれまで長年会っておらず、別れ際にはこのような生活をしていることへの後ろめたさが発露する瞬間もあった。

平山の趣味で一つだけ、「物語の進展」を少しだけ感じさせるものがある。それは木の苗を育てることである。神社の木の根元に生えている新しい芽を持ち帰り、鉢に入れて部屋でいくつも育てている。毎朝水をやり、その成長を楽しみにしている。この鉢を置いている部屋では、苗の生育のために青紫のライトを常時つけっぱなしにしている。平山の清貧な生活スタイルを考えれば単に窓際に置いておくくらいが関の山のようにも思えるが、ここまでするのには若干の違和感がある。日々のルーティーンを終えて夜帰宅するとき、外からはこの部屋だけ怪しく光っているシーンが何度も映されるが、これは繰り返される生活の中でも平山の胸に最後のささやかなプライドや変化への期待が残り続けていることを示していたのかもしれない。

物語の終盤、何が建っていたかも忘れ去られた更地や、死を前にした男との出会いなど、自分の人生の存在意義について考えさせられる出来事が続く。最終的にはそうした葛藤を和解させて、平山自身が「完璧な人生であった」と思える境地に至ったのであろう。そして今日も平山は公衆トイレ清掃に向かうのである。


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