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2022/5/27 妻が決断しました

前回の投稿から何か月が経過したでしょうか。
長い間が空いてしまいました。

今回の投稿は、同じくがんに悩む人たちのため無料公開とします。私たちの行ってきた選択、その誤り、葛藤が、そうした人たちの選択や判断をよりよいものとして、後悔を少しでもなくせることを願って。

はじめに


昨年9月に妻の乳がんの再発と転移がわかり、10月には通院を停止。その後、妻が望む食餌療法(『石原式』ダイエット)を実践してきましたが、通院していないので、ずっと、その効果を確かめることもできないでいました。

しかし、医師に経過を観察できないことを申し渡された以上、私たちは、自らの選択を甘受するほかありませんでした。

そして一月後の10月、私は遂にNoteを更新する気力を失ってしまいました。

しばらくツイッターも離れていましたが、あの戦争が起きて、妻にもとくに症状の発現が見られていなかったので、主に情報発信のため復帰し、妻との食生活の記録を発信し続けました。

そして今日、Noteを更新するまでに、およそ7か月の刻が過ぎてしまいました。しかし今月に入って、外の出来事への関心は再び薄れました。

妻に自覚症状が表れ始めたのです。

病状悪化の兆候

今年になってGWの少し前から、妻が胸に痛みを覚え、咳をするようになりました。GW中はこれらの症状が本格化し、ろくに外出することも適わない休暇となりました。妻自身が外出をしたがらず、家で映画を見るなどして過ごしました。

こんな休暇は初めてでした。妻が連休中に外出を望まないなんてことは…。

妻は元来体が丈夫で、この病気以外には大きな病気もほとんどしたことがありません。ですから、その妻が咳をし始めたことは、私にとって、見逃せないがんの悪化を示す兆候でした。

それでも最初は、環境要素を疑い、寝室や生活空間の徹底的な清掃や換気、空気清浄機の整備などを徹底して、本当にがんの悪化によるものなのか見極めようとしました。以前、私自身が新型コロナ感染が疑われた時に、マイコプラズマ肺炎に似た症状を発症して数か月、治らないことがあったからです。この時は結果的に、後で「加湿器肺炎」だったことがわかり、以来、加湿器を使わなくなりました(※因果関係が証明されていないので、メーカー名は敢えて明かしません。知りたい方は、DMをください。)。

妻自身も、経験したことのない痛みや、眠れないほどの咳に、自身の異変に気がついているようでした。それを妻は、必死に隠そうとしました。夜、私を起こさないように、仕事に支障をきたさないように、日々のことができるように。しかし、私はそれを黙って見ていられませんでした。

お互いに眠れぬ夜を幾度も過ごし、私も、妻も、睡眠不足になって憔悴していきました。都度起こる痛みを和らげるために、患部に湿布を貼ったり、市販の痛み止めを飲んだり、患部のマッサージをしてあげていましたが、何も話し合わずにいることは限界でした。今となっては連休中だったか、その直後だったか思い出せませんが、妻の心情を慮ってずっと妻に語りかけるべき言葉を失っていた私は意を決して、妻に話を持ちかけました。

長い沈黙を破って、私たちは遂に話し合いました。

話し合いと行動

妻の身に何が起きているのか。
これからどうしていくのか。
(妻は)どうしたいのか。
少しでも長く生きたいのか。このまま耐えるのか。
そのため(双方)にどこまでする(覚悟がある)のか。
そのために何が必要なのか。どんな手続きが考えられるか。

気持ちの問題。
必要な対応の問題。
必要な手続きの問題。
必要な調整の問題。

その中で妻が初めて、最寄りの病院を自分で受診すると言いました。

GW明けすぐだったと思います。

まずは妻に、私のかかりつけのクリニックを訪ね、痛み止めを処方してもらい、そこで紹介状を貰って総合病院を受診して医師の判断を仰ぐことになりました。ところがそのクリニックでは、後期高齢者や末期患者の在宅緩和ケアは行っていても、妻の年齢の若年層のがん患者に対するケアは行っていませんでした。前回最終受診時のデータは提示したのですが、それだけでは現在のがんの病状についての診断ができなかったため、紹介状なしに地元の総合病院を受診するしか選択肢がなくなりました。

しかし、妻がなかなか仕事の休みをとれません。妻はよほど身体的に無理にならないかぎり、仕事を辞めるつもりがありません。だから勤務日程の調整も行わないまま、あくまで通常通りに仕事を続けていました。

一方で、クリニックに処方された痛み止めが尽きそうな中、妻の病状は幾分か好転していきました。夜、眠れないほどの痛みや咳が起きることもなくなり、薬なしでも耐えられる状態にまで症状が好転していたのです。

話し合ったのがよかったようです。

「病は気から」と言いますが、本当に、心が病めば身体も病むのですね。いつのまにか、痛み止めを飲まなくても、普通に眠れるようになっていました。話し合いをしたことで、心の枷がとれて、気が楽になったのでしょう。ストレスがなくなって、がん細胞たちが少し悪さをやめたようでした。

とはいっても、それで(がんの転移による)症状が緩和されたとか、治癒した訳ではありません。転移が広がっていて、それが自覚症状として表れている。その事実は変わりませんから、なるべく早く、専門医の診断を受けて治療を行わなければいけないことには変わりませんでした。

初診と診断

結局、最寄りの総合病院の外科を受診できたのはそのさらに一週間後でした。その一週間の間は、妻に自覚症状がなくても、気が気でありませんでした。この「一週間」という期間のあいだに、どれだけ進行してしまうのだろう。妻のステージではどの位の速度でがんが増殖していくのだろう。

結局、私は、痛み咳もなく眠れるようになった妻の傍らで、眠らずに色々調べ続ける日々を過ごしました。その頃は深夜に及ぶツイートが続いていたと思います。勿論、妻についてはどうしても言語化できずにいましたが…。

そうして、初診の結果CTを受け、以下の診断結果がでました。

左内胸リンパ節転移の胸骨浸潤
多発肺転移は増大増加
両側胸水貯留→癌性胸膜炎
肝転移出現

「病状説明用紙」に記載されたCT検査の診断結果より(原文ママ)

前回、昨年9月にがん専門病院で告げられた診断結果よりも明らかに悪化していました。再発してから7か月、『石原式』人参林檎ダイエット(食餌療法)のみで頑張ってきましたが。「話し合い」の中で妻は初めて私に明かしました。あれは「気休めだった」と。正直、そうは解っていながらも、私は一縷の希望を託していました。妻の「生きる力」を信じたくて、『石原式』はそれを補完するのにベストな手段だと、本気で思っていたからです。

だから、妻に「気休めでしかない」とハッキリ言われた時は、それほど驚きはしませんでした。けれども驚きはしなくても、少し怒りも覚えました。唯一の対抗手段として、7か月もの間、実践し続けてきたからです。それを今になって・・・。でも、堪えました。そう言った妻の気持ちが、痛いほどにわかったからです。妻はがんの恐ろしさを、自分の家系を襲ったがんの恐ろしさを、誰よりも身を以て知っているのですから。

だから妻は、初めてがんが判ったときと同じ言葉を私に言いました。

「ごめんね。こんな病気になってしまって」

私たちはまた、一緒に泣き明かしました。

妻の決断


CTの診断結果を記した「病状説明用紙」には、今後の治療方針も記載されていました。その治療方針は、皮肉にも、7か月前にがん専門病院で示されたものと同じで、高額医療費の補償が必要になるものでした。

フェソロデックス(ホルモン療法)
リュープリン(ホルモン療法)
イブランス又はベージニオ(分子標的療法:いずれもCDK4/6阻害剤)

治療が高額になることは私には気になることではありません。それだけの収入があるから、ということではなく、お金の問題ではなかったからです。また、以前全摘手術のための入院を行った時から、高額医療補償制度の有効性については承知していました。だから私は妻に、お金のことは気にしてほしくなかったのです。しかし妻はずっと、そのことを気にしていました。

私は、これまでの生活を少し切り詰めることになることは承知しつつ、妻の生きることの質(QOL)を維持すること、高めることを諦めようとは思いません。そのために、今の仕事になんとしてもしがみつき、安定した収入を確保して、なおかつ、国の制度を最大限に利用することを決めていました。そのための努力ならなんでもする。節約もする。無駄も省く。欲しがらない。

だから、妻はお金のことは気にしないでいいのです。

このことは、妻には直接伝えていません。

けれども、「高額療養費支給制度」や「限度額適用認定制度」を活用してがんばろうと、妻と話し合った結果、妻が遂に決断しました。

来月から、妻は上記の治療を受けます。

分子標的療法については、「ベージニオ」か「イブランス」のいずれかという選択肢がありますが、私たちは「ベージニオ」を選びました。副作用のリスクとして、「ベージニオ」の方がまだ妻は耐えうると考えたからです。

そして女性として、何よりも大きな犠牲は、今回の療法は人工的に閉経を促進して閉経状態を作り出し、その上でがん細胞の増殖抑制を図るものであるということです。

妻は今月46歳になりました。
なんとか予後4度目の誕生日を迎えることが適いました。

それでも閉経を迎えるまでまだまだ時間があります。しかし、この治療を選択したことにより、女性として二度と妊娠することができなくなるという、とてつもなく大きな代償を払うことになります。

当初、「タモキシフェン」を用いたホルモン療法を行った時にも、妊娠はできなくなることを覚悟していましたが、治療を中止した後、自然に閉経するまでに、再び妊娠を選ぶ選択肢もあったのです。

しかし今回の療法を選択したことで、その選択肢もなくなりました。

それが、妻の決断の重みです。

さいごに

私は、妻のこのとてつもなく重い決断を尊重して、全面的に支えられるよう、あらゆる努力をしていくつもりです。

じつは、私たちはGW後、2年ぶりに兄弟家族と再会する機会があったのですが、このこと(再発と病状悪化)を伝えることがどうしてもできませんでした。再会したことを心から喜び、楽しみ合いたかったし、なにより、妻や私を大切に思ってくれる兄や、義姉や、父や、母に、2年ぶりに再会した場で悲しい知らせを伝えたくなかったのです。だから、このNoteが、初めて、その時、私たち夫婦の心中にあったことを明かすものとなります。

そのことについては申し訳なさで一杯です。

こんな過ちや後悔を何度も繰り返している私たちですが、どうか引き続き、私たち二人の「戦い」をお見守りください。

2022年5月27日




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